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扉のむこう ~読書のすすめ~

最終更新日:2025年1月11日

はじめに

「扉のむこう」へ

 大妻多摩がすすめるいくつかの本をここに紹介しました。気軽に読める短編集から、ページ数が多く読み応えのあるものまであります。ジャンルも、古典的な名作はもちろん、現代の作品まで幅広く取り上げました。今まであまり本を読んでいなかった人にも、堅苦しく考えず、少しでも読書に関心を持ってもらいたいと考えたからです。また、すでに本好きの人も、この冊子をきっかけに新しいジャンルに挑戦し、さらに読書の楽しみを知ってもらえたら嬉しく思います。

 人は誰もが一度きりの人生を豊かなものにしたいと願っています。ではどうしたら豊かな人生を送ることができるのでしょう。その方法の一つに読書があげられるのではないでしょうか。読書を通じて、実際には体験できないことも、本の世界の中で擬似体験できるからです。

 舞台は見知らぬ町かもしれないし、無人島かもしれない。深い山の中かもしれないし、海の底かもしれない。戦場かもしれないし、宇宙かもしれない。空の輝き、風のざわめき、花の色、土の匂い。町の雑踏、車の行き交う音、ネオンの光。そこに登場する人々の喜びや悲しみ、優しさや思いやり、あるいはまた冷淡や残忍……。空想の翼を羽ばたかせれば、読書を通じていろんな世界に遊ぶことができます。そして、その世界でいろんなことを感じ取り、感性を磨いてください。たくさんの知識を吸収してください。そうすれば、空想の世界だけでなく、現実の自分の人生もきっと楽しくなるはずです。もしかすると一冊の本との出会いが、あなたの人生を変えてしまうこともあるかもしれませんよ。

 この冊子の題名「扉のむこう」の扉とは、本の表紙扉のことです。あなたが図書館に、あるいは本屋さんに立っているところを想像してみてください。そこにはたくさんの本が並んでいます。その一冊一冊の「扉のむこう」には無限の世界が広がっているのです。ぜひ、扉を開いて本の世界の旅を楽しんでください。

大妻多摩中学高等学校 推薦図書委員会


  •  中高生が手に取りやすいよう、文庫本を多く選んでいます。題名、著者名のあとに、文庫本のシリーズ名、本校図書館の請求記号を記しています。

『走れメロス』 太宰治


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 913.6/D49

 破滅的な生活を送った末に、愛人と玉川上水で入水心中した太宰治。彼の作品には自身の苦悩が色濃く反映されたものが多いのですが、その中で『走れメロス』は、比較的生活が安定していた時期に書かれたもので、人間の信頼と友情をうたい上げた明るい作風の作品です。
 メロスは、結婚式を間近にひかえた妹の花嫁衣裳や祝宴のご馳走を買うために、はるばる野を越え山を越え、シラクスの市にやってきました。ところが、以前にやってきたときと比べて町はひっそりしずまりかえっています。道で出会った老人の話では、暴君ディオニスが人のことを信じられなくなり、悪心を抱いているという理由で罪のない人々を次々と殺しているというのです。正義感の強いメロスはそれを聞いて激怒し、自分の手で王を殺そうと王城に乗り込みますが、あえなく捕らえられてしまいます。本来ならその場ですぐ処刑されるはずだったのですが、メロスは死ぬ前に一目でいいから妹の花嫁姿を見たいと思い、ディオニスに三日だけ猶予をもらえないかと頼みます。そして、もし三日後の日没までに戻ってこなかったら、シラクスに住んでいる自分の親友セリヌンティウスを自分のかわりに殺してもよいと申し出るのです。これを聞いた残虐な心の持ち主であるディオニスはほくそえみます。どうせメロスは戻ってこないだろう、身代わりとなったセリヌンティウスを殺すのもまた面白いだろうと。

 「願いを、聞いた。その身代わりを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代わりを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ」
 「なに、何をおっしゃる」
 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ」

 はたしてメロスは約束どおりに戻ってくることができるのでしょうか。
 この作品は二十ページたらずの短編です。新潮文庫の『走れメロス』にはこの他に、「富士には、月見草がよく似合う」のことばで有名な、名文章との評価が高い『富嶽百景』、若い女性の何気ない一日を、その女性のことばを通してきめ細かく描いた『女生徒』、自殺未遂をし、借金を重ね、酒におぼれ、誰からも相手にされなくなって孤独に苦しむ自らの半生をつづった『東京八景』などがおさめられています。

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『坊っちゃん』 夏目漱石


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 913.6/N58

 主人公の「坊っちゃん」は、一本気で直情径行、竹を割ったような性格で、曲がったことが大嫌いな、ちょっと口の悪い江戸っ子です。見方によってはひねくれもののようにも感じられ、もし自分の近くにこのような人がいたら少々付き合いづらい、そんなたぐいの人間かもしれません。
 この坊っちゃんが、ちょっとしたことがきっかけになって、愛媛県松山市の中学校に数学の教師として赴任することになりました。着任してみると、教員は個性的な人たちばかり。坊っちゃんはさっそくあだ名をつけます。校長は「狸」、教頭は「赤シャツ」、数学主任は「山嵐」、英語の「うらなり」、美術の「のだいこ」……。
 坊っちゃんはしだいに、うらなりから「マドンナ」を奪ったり、自分にとってけむたい存在であった山嵐をおとしめようとする赤シャツに対する怒りの感情が抑えられなくなります。そしてついに……。
 ストーリー自体は単純、痛快な勧善懲悪の物語のようにも思えますが、物語の結末にはそこはかとない寂しさも感じられ、それがこの作品の味わい深さになっています。また、登場人物それぞれの個性がたくみに描き分けられていて、「ああ、こういう人いるなぁ」と思わせられてしまうところも、この作品が名作とされるゆえんなのでしょう。

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『塩狩峠』 三浦綾子


新潮文庫 913.6/Mi67

 主人公の鉄道職員永野信夫は、結納のために列車で札幌に向かっていました。その途中、塩狩峠の頂上にさしかかったところで、どうしたことか客車は機関車から離れてしまい、急坂を暴走し始めました。永野は恐怖におびえて混乱する乗客を落ち着かせ、客車のデッキについていたハンドブレーキを必死になって回します。客車はかなり減速したものの、ブレーキが故障しているのか、どうしても停止させることができません。再び加速し始めたら、急カーブにさしかかったところで客車は転覆してしまいます。乗客たちを救うために、そのとき永野がとった行動は……。
 明治末年に実際にあった出来事を題材にして書かれた小説です。衝撃的な結末が強く印象に残りますが、そこにいたるまでに描かれる主人公永野信夫の、小学校時代の親友吉川との友情、職場の同僚への思いやり、病身のふじ子へ注ぐ純粋な愛情など、明治の日本人の凛とした生き方には背筋がぴんと伸びる思いです。最近の日本人が失いつつある、まっすぐで誠実な生き方をもう一度考え直すきっかけになる一冊になるのではないでしょうか。

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『老人と海』 ヘミングウェイ


新潮文庫、光文社古典新訳文庫 933.7/H52

 キューバの年老いた漁師サンチャゴ。若いころは、腕相撲では誰にも負けない力自慢でしたし、漁でも大物をたくさんしとめてきました。しかしここのところ、もう八十四日も一匹も釣れない日が続いていました。サンチャゴを慕い、いつも一緒に沖に出て魚をとるすべを教えてもらっていた少年マノーリンも、とうとう両親からサンチャゴの船に乗ることを禁じられてしまいます。サンチャゴと一緒に漁に出ると運に見放されてしまうというのです。
 ある日、一人でいつものように漁に出たサンチャゴ。そのしかけに、今までに出会ったことのないような巨大なカジキマグロがかかります。そして、四日間にわたる激闘の末、ついにそれをしとめます。しかし、大きな獲物を舷側(げんそく)にくくりつけ、遠い沖合いから自分の村を目指して船を走らせているその途中で……。
 作者のヘミングウェイは、自然の厳しさと、それに立ち向かう老人サンチャゴの勇姿をあくまでも客観的に、淡々と描きます。そしてサンチャゴも、チョットは愚痴もこぼしますが、怒りまくったり泣きわめいたりせず、どこか悟りきったところがあって、運命をそのまま静かに受け入れる人物であるかのように描かれています。それだけに、マノーリンのサンチャゴを思いやる優しさが印象的です。
無情な運命、冷厳な現実、そしてそれと対比させるように描かれる老人と少年の心の交流が心に残る名作です。

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『チャップリン自伝―若き日々』 チャップリン


新潮文庫 778.253/C33

 山高帽にチョビひげ、きつすぎる上着にだぶだぶのズボン、ブルンブルン振り回すステッキに大きすぎる靴。あの世界的に有名な喜劇役者チャップリンを知らない人はいないでしょう。この新潮文庫の一冊は、彼の自伝のはじめの三分の一、少年時代から大成功を収めるまでの道のりを振り返ったものです。
 自身が製作した作品が世界中で次々に大ヒットし、大きな富を築いたチャップリン。しかし、彼の少年時代は貧しさのどん底にありました。父親は売れない芸人で飲んだくれ。若くして死んでしまったので、チャップリンは父親とほとんど一緒に過ごしたことがありません。母親が内職をしながら、女手ひとつで彼とその兄シドニイを育てることになります。ところが、やがてその明るくて優しかった母親も、栄養失調のために精神に異常をきたしてしまいます。チャップリンとシドニイは、精神病院に入院させられた母親と離れて貧民院で過ごすことになるのです。
 このような貧しくて辛かった少年時代があったからこそ、チャップリンの映画は、ドタバタやギャグの連発で爆笑を誘いながらも弱い者に対する優しいまなざしがあり、見るものをホロリとさせる独特の魅力を持つことになったのでしょう。
 「自伝」ですから、もちろん実際にあった出来事が書かれているのですが、小説を読んでいるような面白さがあります。この一冊を読んでからチャップリン映画を見ると、またひとつ違った味わいを感じられるのではないでしょうか。

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『月と六ペンス』 モーム


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 933.7/Ma95

 モームが「画家ポール・ゴーギャンの伝記から暗示を受け」て書いた小説。主人公の「僕」の目を通して描かれる画家のストリックランドは、虚構を織り交ぜながらもゴーギャンの生涯を色濃く反映させています。
 ストリックランドは四十になる中年男。ロンドンに住む、妻子あるごく平凡な株式仲買人。周囲の人間からすれば何の不自由もない幸せな家庭を築いているように見えました。ところがある日突然、その幸福そうに見えた家庭を捨ててパリへ行ってしまいます。知人の間では、愛人とともに逃げたのだというもっぱらの噂。残された家族を気の毒に思った「僕」は、パリへ行ってストリックランドの居場所をつきとめ、家族のもとへ戻るように説得します。

「なんてけちな了簡なんだろうねえ、女ってやつは! 愛だ。朝から晩まで愛だ。男が行ってしまえば、それはほかの女が欲しいからだと、そうとしか考えられないんだからねえ。いったい今度のようなことをだよ、たかが女のためにやるなんて、僕をそんな馬鹿な人間だと、君、考えてるのかね?」
 「じゃ、奥様を捨てておいでになったというのは、女のためじゃないとおっしゃるんです か?」
 「当たり前さ」
 「名誉にかけてですね?」
  なぜこんなことを訊いたものか、僕自身にもわからないのだが、考えてみると、ずいぶん無邪気なことを言ったものだ。
 「むろん、名誉にかけてもいい」
 「じゃ、いったいなんのために家出なんぞなすったんです?」
 「絵が描きたいんだよ、僕は」

 このあとこの小説は、ストリックランドと知り合いになった人々から「僕」が聞いた話をつなぎながら、彼がタヒチで壮絶な最期を迎えるまでを追っていきます。
 自分の人生のすべてを美の追求に注ぎ込んだ芸術家の魂の軌跡を描いた作品。ゴーギャンの作品を見るたびに、ストリックランドの生き様を思い出さずにはいられない、強烈な印象が残ることでしょう。

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『風が強く吹いている』 三浦しをん


新潮文庫

 二〇二四年に第一〇〇回を迎えた箱根駅伝。大手町と箱根の間を疾走する学生たちが繰り広げる熱いドラマが、日本中の多くの人々を魅了し続けています。皆さんの中にも、お正月の二日と三日はテレビに釘付けになっている人もいることでしょう。この作品は、箱根駅伝に出場して十人でたすきをつなぐという夢に向かって突き進む若者たちを描いた青春小説です。
 竹青荘(ちくせいそう)は、小田急線の成城学園前と京王線の千歳烏山の間にある、寛政大学の学生が入っているおんぼろアパート。そこの住人である四年生の清瀬灰二(はいじ)と、寛政大学に入学予定だった天才ランナー蔵原走(かける)との運命的な出会いから物語は始まります。灰二が走を竹青荘に迎え入れ、竹青荘の住人はちょうど十人になりました。すると灰二は突然、この十人で箱根駅伝への出場を目指す!と宣言します。当然のことながら他の九人はこの宣言にビックリ。陸上競技の経験者は三人しかいない。この素人集団で箱根駅伝に出られるわけない!、と。
 それでも、灰二の信念を持った説得に、やがてみんな箱根駅伝出場に挑戦することを承諾します。ある者は軽いノリで、またある者は渋々と。このあと十人はどこまで自分を高めていけるのでしょうか。そして、自分を高めたその先に、どのような風景を見ることになるのでしょうか。
 個性豊かな十人が力を合わせて大きな夢に向かって疾走するさわやかな青春の物語。これを読んだら箱根駅伝のファンになってしまうこと間違いなしです。

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『赤毛のアン』 モンゴメリ


新潮文庫、角川文庫、角川つばさ文庫 933.7/Mo38

 年老いた兄妹、マシュウとマリラは、家の仕事の手伝いをさせるために孤児院から男の子をもらうことにしました。ところが何かの間違いで、孤児院から連れてこられたのは、真赤な髪の毛でぎょろついた緑色の目、そばかすだらけの顔をしたやせっぽちの女の子、アン・シャーリイでした。馬車で駅まで迎えに出たマシュウは、その場でアンを帰すわけにもいかず、とりあえず家に連れて帰ります。しかし、その帰り道の途中で、マシュウはこのおしゃべり好きな女の子をすっかり気に入ってしまうのです。最初は反対していた、ちょっと気難しいところがあるマリラもついに折れて、三人での生活が始まりました。これは、空想癖があってとてもおしゃべり、おっちょこちょいでしょっちゅう失敗をやらかすけど、その天真爛漫で純粋な心に誰もがひきつけられてしまうアンの成長の物語です。
 無口だけどいつも優しくアンを見守り、おしゃべりをじっと聞いてくれるマシュウ。そして、しつけに厳しく、はじめはアンのおしゃべりや数々の失敗に閉口していたマリラにとっても、やがてアンはかけがえのない存在になっていきます。こうしたアンを包み込む愛情の温かさが、読む者の心も温かくしてくれます。また、この物語の舞台となっているのはカナダのプリンス・エドワード島にある「アヴォンリー」という小さな村ですが、その四季折々の美しい風景の描写もこの作品の大きな魅力の一つになっています。アンはお得意の想像力で、自分の気に入った風景に名前をつけていきます。「輝く湖」、「すみれの谷」、「恋人の径」、「白樺の細径」といったように。みなさんもアンに負けないくらい想像力を働かせて、カナダの美しい風景を心に描きながら読んでみてください。
 この一冊を読み終えると、きっとみなさんの心の中には一生忘れ得ない、赤毛の女の子の友だちができることでしょう。

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『あしながおじさん』 J・ウェブスター


新潮文庫、角川文庫、角川つばさ文庫、岩波文庫 933.7/W52

 主人公のジルーシャ・アボット(ジュディ)は、ジョン・グリア孤児院で赤ちゃんのころから育てられた身寄りのない女の子。そのジュディが十八歳になったとき、大きな幸運がおとずれます。孤児院の評議員にもなっているあるお金持ちの紳士が、条件をつけてジュディを大学に通わせてくれるというのです。その条件とは、毎月一回、大学での勉強や生活の様子を手紙に書いて知らせること、これだけでした。この小説は、最初の部分をのぞいて、大半がジュディからその紳士へあてた楽しい手紙で構成されています。
 ジュディは孤児院を出る前に、その紳士を一度だけチラリと見かけます。その印象から、ジュディはこの紳士を「あしながおじさん」と呼ぶことにしました。なぜこんな呼び方をしなければならなかったかといえば、この紳士が素性をいっさい明かしてくれなかったからです。名前はもちろん、どこに住んでいるのかも教えてくれないし、返事も一度も書いてくれません。しかし、学費を払ってくれるばかりでなく、毎月十分なお小遣いをくれるし、クリスマスには素敵なプレゼントも贈ってくれるのです。いったい「あしながおじさん」とは誰なのでしょうか……。
 ところで、作家をめざすジュディは読書も大好きで、シェイクスピアの『ハムレット』、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』、オールコットの『若草物語』、スティーブンソンの『宝島』といった作品を読んでいます。みなさんもこうした名作をたくさん読みましょう。物語の主人公ジュディと同じ本を読んでいるというのも素敵なことですよね。

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『大きな森の小さな家』 ローラ・I・ワイルダー


福音館文庫、角川つばさ文庫、講談社文庫、933.7/W73

 年老いた兄妹、マシュウとマリラは、家の仕事の手伝いをさせるために孤児院から男の子をもらうことにしました。ところが何かの間違いで、孤児院から連れてこられたのは、真赤な髪の毛でぎょろついた緑色の目、そばかすだらけの顔をしたやせっぽちの女の子、アン・シャーリイでした。馬車で駅まで迎えに出たマシュウは、その場でアンを帰すわけにもいかず、とりあえず家に連れて帰ります。しかし、その帰り道の途中で、マシュウはこのおしゃべり好きな女の子をすっかり気に入ってしまうのです。最初は反対していた、ちょっと気難しいところがあるマリラもついに折れて、三人での生活が始まりました。これは、空想癖があってとてもおしゃべり、おっちょこちょいでしょっちゅう失敗をやらかすけど、その天真爛漫で純粋な心に誰もがひきつけられてしまうアンの成長の物語です。
 無口だけどいつも優しくアンを見守り、おしゃべりをじっと聞いてくれるマシュウ。そして、しつけに厳しく、はじめはアンのおしゃべりや数々の失敗に閉口していたマリラにとっても、やがてアンはかけがえのない存在になっていきます。こうしたアンを包み込む愛情の温かさが、読む者の心も温かくしてくれます。また、この物語の舞台となっているのはカナダのプリンス・エドワード島にある「アヴォンリー」という小さな村ですが、その四季折々の美しい風景の描写もこの作品の大きな魅力の一つになっています。アンはお得意の想像力で、自分の気に入った風景に名前をつけていきます。「輝く湖」、「すみれの谷」、「恋人の径」、「白樺の細径」といったように。みなさんもアンに負けないくらい想像力を働かせて、カナダの美しい風景を心に描きながら読んでみてください。
 この一冊を読み終えると、きっとみなさんの心の中には一生忘れ得ない、赤毛の女の子の友だちができることでしょう。

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『若草物語』 オールコット


新潮文庫、角川文庫、角川つばさ文庫 933.6/A41

 いつも落ち着いていて、大人への一歩を踏み出しつつある長女のメグ。男勝りに活発で、しょっちゅう失敗をやらかす次女のジョー。内気ではにかみやだけど、とても優しい心の持ち主である三女のベス。姉たちに囲まれて、ちょっとこましゃくれたところのある末っ子のエミイ。父マーチの出征中、個性的な四人の姉妹と母親のマーチ夫人とで過ごす日々の心温まる物語。
 マーチ家は敬虔なキリスト教徒の一家です。決して経済的に豊かではないし、四人はまだまだ子どもなので次々といろいろな事件を起こしますが、聖書の教えにもとづいた母親の強く優しいことばに導かれ、心豊かに楽しい毎日を送っていきます。
 このマーチ夫人が娘たちを教えさとすことばの中には、読者の心にも響くものがたくさんあります。おしつけがましくなく、自然と心にしみ入るようなそれらのことばから、幸せな人生を送るために必要なさまざまな知恵や教訓をみなさんも自然と学ぶことでしょう。古きよき時代のアメリカの家庭では、子どもたちはこのようにして家族の愛情に包まれながら、健やかに、幸せいっぱいで成長していったのだろうなと思わせられる作品です。

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『アルプスの少女ハイジ』 ヨハンナ・シュピリ


角川文庫、角川つばさ文庫 943.6/Sp9

 一九七四年(昭和四九年)に放映されて大ヒットしたアニメ「アルプスの少女ハイジ」をビデオやDVDで見たことがある人も多いでしょう。ぜひ原作も読んで、美しいアルプスの自然の描写を味わってみてください。高原に咲き乱れる草花や夕焼けに染まる山々、風に枝葉を鳴らす大きなもみの木などを心に思い浮かべながら読んでいくと、まるで自分もアルプスの山々に抱かれているような感じになることでしょう。
 ちょっと頑固だけど本当はとても優しいアルムおじいさん、車椅子の生活を送っているクララ、山羊飼いの少年ペーター、目が見えないペーターのおばあさんなど、アニメでもおなじみの人たちが登場します。そしてハイジは、こうしたまわりにいる人たちみんなを、その明るさ、素直さ、優しさで幸せにしていきます。
 アニメは原作の一部を削ったり、新たにエピソードを作って挿入したりしている部分も多いので、この機会に原作の持つ味わいを楽しんでみましょう。岩波少年文庫にも『ハイジ(上・下)』として収められています。

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『兎の眼』 灰谷健次郎


角川文庫、角川つばさ文庫 913.6/H15

 この物語は、とある小学校を舞台に、若い女性の小谷先生を主人公として、生徒とその保護者や同僚の先生、そして町の人々が織りなす人間模様が描かれています。
 勉強ができず、字も書けず、無口で、ハエを友だちにしている鉄三。その鉄三を親代わりに育てているバクじいさん。知的障害があって「オシッコジャー」をしてしまうみな子。小谷先生が頼りにしている「教員ヤクザ」の足立先生……。この物語に登場するのは、心のどこかに傷を負っていたり、社会的に弱い立場に置かれている人たちばかりです。でも、彼らはみな、自分に与えられた境遇のなかで精一杯、誠実に生きています。
 読み進めていくうちに、登場人物たちに対する作者のあたたかいまなざしにふれ、きっとみなさんも優しい気持ちに心が満たされてくることでしょう。
 このところずっと昭和ブームが続いていますが、人々の絆が強かった昭和の雰囲気がとてもよく伝わってくる作品です。

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『博士の愛した数式』 小川洋子


新潮文庫 913.6/O24

 みなさん、友愛数という数を知っていますか。
 220の、自分自身を除いた約数の和は、
 1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
 284の、自分自身を除いた約数の和は、
 1+2+4+71+142=220

この220と284のような関係にある数の組み合わせを友愛数といい、めったにない組み合わせだそうです。このような、数字や公式、定理などにまつわるエピソードをからめながらこの物語は展開していきます。
 主人公は小学生の息子がいる未婚の母。家政婦の仕事をして生計を立てています。ある日、家政婦紹介組合から新しく紹介された家に行くと、そこには未亡人の老婦人が待っていて、離れにいる六十四歳の義弟の面倒を見てもらいたいとのことでした。その初老の男性は、正真正銘の博士号をもつ数学者でしたが、数学のことしか頭になく、身なりや部屋の整理整頓にはまったく無頓着な「変人」でした。そして何よりも、交通事故の後遺症のために、記憶が八〇分しかもたないのです。はじめのうちは苦労しますが、やがて博士の部屋を訪れるようになった息子が博士を慕うようになり、主人公にとって博士、息子と三人で過ごす時間はかけがえのないものとなっていきます。
 この作品は、全国の書店員が一番読んでもらいたい本として、二〇〇四年、第一回本屋大賞に選ばれました。心温まるストーリーに加え、数学の「美しさ」にも気づかせられる作品です。数学が不得意、嫌いという人もぜひ読んでみてください。

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『神様のカルテ』 夏川草介  


小学館文庫 913.6/N58

 主人公の栗原一止(いちと)は、信州の松本城の近くにある病院に勤める内科医です。勤務医が少ないためフル回転で働き、睡眠時間を削らなければいけないほどの激務が続いています。夏目漱石を愛し、そのせいか自らの話しことばもなんとなく明治時代風で堅苦しく、少しとっつきにくい感じです。でも実は、医療の先端技術を学べる大学病院での出世の道を捨て、地方の一病院で患者に寄り添う医療を模索し続ける心優しい医師なのです。人生の最後のときを迎えようとしている高齢の患者のために、自分は何ができるのか……と。
 少女のように純粋な心の持ち主である奥さんのハルや、同じアパートに住む風変わりな飲み友達、そして個性的な同僚の医師や看護師との交流もユーモアにあふれた文章で描かれ、物語に彩りを添えます。
 『神様のカルテ』はシリーズものとして書き継がれ、大ベストセラーになっています。作者の夏川草介さんは現役の医師で、医療現場での体験をもとに、「医師としてこういうふうに生きたい」と思っている姿を主人公の栗原一止に重ね合わせているそうです。とくに将来医療関係の仕事に就きたいと思っている人にはぜひ読んでもらいたい心温まる物語です。

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『ナイフ』 重松清


新潮文庫 913.6/Sh28

 本書には五本の短編が収められています。表題にもなっている「ナイフ」は、ひどいいじめにあって苦しんでいる息子の真司のために、相手の少年たちに自分の怒りがどれほどのものか思い知らせてやろうと懐にナイフを忍ばせながらも苦悩する父親の物語。「ワニとハブとひょうたん池で」は、主人公のミキがある日突然、理由もなくクラスの仲間からハブにされてしまい、いじめというゲームの対象になってしまう話。
 五本の作品のうち四本がいじめをテーマにしたもので、陰湿ないじめのリアルな描写は、読んでいて胸が苦しくなるほどです。しかし、暗い印象ばかりでなく、希望のようなものさえ読んだあとに感じるのは、作者の「いじめなんかに負けるな!」という強く優しいメッセージが伝わってくるからでしょうか。
 これらの作品には、いじめにあっている本人だけではなく、いじめの傍観者になってしまった人や、自分の子どもがいじめの対象になってしまった両親など、いろいろな立場の人たちの心情が描かれています。そこでは、たとえば一口に父親といっても、弱い息子にかわって自分が相手をやっつけてやろうと考える人もいれば、自分が口を出して救ってやるよりも、いじめを乗り越えられるような強い人間になることをひたすら息子に求める人もいます。もし自分がこの人の立場だったら……と考えながら読めるといいですね。いろいろな立場の人の考えや気持ちが理解できる。これも「頭がいい」ことのとても重要な条件の一つです。

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『ナミヤ雑貨店の奇蹟』 東野圭吾


角川文庫

 東野圭吾氏は数々の受賞歴を持つ超売れっ子のミステリー作家です。二〇二三年にはその作品が一〇〇冊となり、累計販売部数はなんと一億部を突破しました。ミステリーというとちょっと怖い話という印象を受けるかもしれませんが、ここでは東野圭吾作品の中でもハートフルな作品を紹介します。
 高級車を盗んだ翔太、敦也、幸平の三人は、廃業して空き家になっていたナミヤ雑貨店ににもぐりこみます。すると、シャッターの郵便受け取り口から悩み相談の手紙が落ちてきました。手紙の内容を読んで、なんとなく見過ごせない気分になってしまった三人は、その手紙に対する回答を書くことにします。実は、この手紙は「過去」から送られてきた手紙でした。やがて時空を超えた手紙のやり取りが始まります。三人は相談者の悩みにどのように向き合っていくのでしょうか。そして、相談者の悩みはうまく解決されて、相談者は幸せな「未来」を迎えることができるのでしょうか。
 ナミヤ雑貨店に関わる登場人物たちの人生が奇跡的に絡み合っていく圧巻のストーリー展開にぐいぐいと引き込まれます。そして、胸にしみるそれぞれの人生の物語。ファンタジーともいえるような、心温まるミステリー小説です。

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『伊豆の踊子』 川端康成 


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 913.6/Ka91

 自分を見つめ直すために伊豆に一人旅に出た旧制一高の学生である主人公が、旅の途中で出会った旅芸人の一座の中にいた踊子に淡い恋心を抱くお話です。
 お互いに好意を抱きながらも、二人は一定の距離を保ち続けます。男女の仲がずいぶんと軽くなってしまった現代にあっては、この作品を読んで「ありえない!」と思う人も中にはいるかもしれません。しかし、青春のほんのひととき、二人の心に育まれた清純無垢で甘く切ない想いに胸を打たれる人もきっと多いことでしょう。
 はかない恋だったからこそ、主人公の心に永遠に踊子との思い出が刻まれたのかもしれもせん。そして、主人公と同じように、読む者の心の中にも愛らしい踊子の鮮やかなイメージが残ります。それは、踊子の何気ないしぐさを描写した川端康成の文章の美しさによるところが大きいといえるでしょう。ぜひ、この抒情的な美しい文章を味わってみてください。
 旅情がかきたてられる作品でもあります。もし伊豆に、とくに天城や下田あたりに旅行に行く機会があったら、この作品を読んでから出かけるのもいいでしょう。伊豆の風景が、また一味違って見えてくることでしょう。

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『野菊の墓』 伊藤左千夫


新潮文庫、岩波文庫 913.6/I89

 主人公の政夫と、二歳年上の民子との初恋を描いた物語です。
 この作品の伊藤左千夫の文章があまり上手ではないというのは、読者の誰もが感じるところです。しかしそれでもこの作品が長く読み継がれてきたのは、ぎこちないながらも二人がお互いの胸の中に恋心を少しずつ育てていく姿が初々しく描かれ、それが人々の共感を得るからでしょう。

「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さァどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
 「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
 「僕大好きさ」

 いまどきの恋人同士は相手を花にたとえるこんな会話などしないでしょうし、読んでいるこちらのほうが照れくさくなってしまうような感じです。でも案外、こういう恋がしてみたい(あるいはしたかった!?)と思っている人が多いのかもしれません。だからこそこの作品は読み継がれているのでしょう。
 この作品が発表されたのは明治三十九年(一九〇六)ですが、当時は、「恋」はけがわらしいもの、という考え方がまだまだ強く、ましてや男が年上の女性と付き合うとなると世間から非難の目が向けられたのです。そのことはとくに女性にとって辛いことだったでしょう。また、「家」制度のもとで、結婚はしばしば本人同士の意志よりも親同士の意向が重視されました。そうした当時の時代背景も読み取りながら、近代日本の恋愛観や結婚観の変遷について考えてみるのもよいでしょう。

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『潮騒』 三島由紀夫


新潮文庫 913.6/Mi53

 「歌島(うたじま)は人口千四百、周囲一里に充(み)たない小島である。
  歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西に向かって 建てられた八代神社である。
  ここからは、島がその湾口に位置している伊勢海の周辺が隈(くま)なく見える。北には知多半 島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海 岸線が隠見している。」

 これは『潮騒』の冒頭部分です。物語の舞台となっている「歌島」は、渥美半島と志摩半島のあいだに実在する神島で、ここに描かれているようにたいへん風光明媚なところです。周辺には豊かな漁場も広がっており、古代から神が支配する島とされてきました。このちょっと神秘的で、漁業を生業(なりわい)の中心とする素朴な人々が暮らす「歌島」を舞台に、青春賛歌ともいうべき純粋な恋の物語が展開します。
 主人公の新治は、海女(あま)の母と中学生の弟と三人で暮らしている、十八歳の純朴で無口な青年です。父親を戦争でなくしたあと、海女の仕事をしながら苦労して自分を育ててくれた母に何とか楽をさせてあげたいと漁にはげむ毎日でした。
 ある日、新治は浜辺に見知らぬ美しい娘がいるのを見かけます。娘は、島の金持ちで、頑固者として知られていた照爺(てるじい)の末娘初江(はつえ)でした。幼いころに志摩に養女に出されたのですが、跡継ぎの息子が病気のために亡くなって急に寂しさを感じた照爺が呼び戻したのでした。
 しだいに新治と初江は惹(ひ)かれあっていき、不器用なまでに純粋な恋仲になっていきます。しかしその一方で、照爺は、安定した収入のある家の次男として育った安夫を、入り婿として初江と結婚させることを考えていました。その安夫自身も新治をライバル視し、初江を新治から奪い取ろうとします。やがて、新治と初江がこっそり会っていることを噂で知った照爺は、激怒して、初江を監視のもとにおいて新治と会えないようにしてしまいました。果たして、二人の恋の行方はどうなるのでしょうか。
 作者の三島由紀夫は、ノーベル文学賞の候補にもなったことがあります。物語の内容とともに、その精緻な文章も味わいましょう。
 三島由紀夫の他の作品は、背徳、反逆、異常人などをテーマにしたものが多く、さわやかな恋愛小説である『潮騒』は、実は彼の作品の仲では異色のものであるといえます。ぜひほかの作品も読んでみてください。

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『瀬戸内寂聴の源氏物語』 瀬戸内寂聴


講談社文庫 913.36/Se93

 いわずとしれた、平安時代中期に紫式部によって著された『源氏物語』。光源氏を主人公に、五〇〇人あまりの人物が登場し、七〇年あまりにわたる出来事が描かれた長編の王朝物語。日本の文学史上、最高傑作ともいわれています。
 しかしながら、実際に『源氏物語』を読んだことがあるという人は、思いのほか少ないかもしれません。そこでここでは、『源氏物語』を読みやすく一冊に抄訳したものを紹介しました。入門編として読んでみてはいかがでしょうか。
 もし本格的に読んでみたいというのであれば、読みやすいものとして、瀬戸内寂聴訳・講談社文庫(全一〇巻)、田辺聖子訳・新潮文庫(全五巻)、円地文子訳・新潮文庫(全六巻)などがあります。これらよりは多少読みづらいかもしれませんが、与謝野晶子訳・角川文庫(全五巻)、谷崎潤一郎訳・中公文庫(全五巻)は歴史的な名訳として有名ですので、チャレンジしてみてもよいでしょう。以上の五人の訳は、多かれ少なかれ訳者の創作が入っていたり、また思いや考えが入っていたりします。原文に忠実な訳を読みたいのであれば、今泉忠義訳・講談社学術文庫(全七巻)、玉上琢弥訳・角川文庫(全一〇巻)があります。
 さらに、「興味はあるけど、いきなり長い文章を読むのはちょっと……」という人にはマンガの『あさきゆめみし』(大和和紀 全七巻 講談社漫画文庫)がおすすめです。『試験によくでる「あさきゆめみし」』という受験参考書が出されているくらい、この漫画は『源氏物語』の入門編として有名です。
 源氏の正妻となりながら夫婦仲がうまくいかず、最後は源氏の愛人である六条御息所(みやすどころ)の生霊(いきりよう)に取り殺されてしまう葵(あおい)の上。幼少のころから源氏に養育され、やがて正妻の扱いを受けるようになりながらも子ができず、源氏の女性関係に心を悩ませ続ける紫の上。田舎育ちながら美しさと気品を備え、源氏とのあいだに娘をもうけるものの、その娘が紫の上の養女となって会えなくなってしまう明石の君……。一人一人の境遇に、同じ女性としてみなさんは何を感じるでしょうか。
 『源氏物語』は一度で読む作品ではない、ともいわれます。年を経て読み返してみると、自分の成長や、その間のさまざまな体験を通じて、登場人物に対する印象が最初に読んだときと変わったり、心の動きがより深く理解できるようになったりするからです。こういう、一生を通じて一つの作品を楽しんでいくという読書も素敵ですね。そのために、まずは中高生のときに『源氏物語』の世界にふれてみてください。

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『ロミオとジュリエット』 シェイクスピア


新潮文庫、角川つばさ文庫、岩波文庫 932.5/Sh12

 「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの。」誰もが知っているこのセリフで有名な恋愛悲劇のスタンダード。
 モンタギュー家の一人息子ロミオは、ある夜、いがみ合っているキャピュレット家の仮面舞踏会に忍び込みます。その会場で、こともあろうにキャピュレット家の一人娘ジュリエットに一目惚れしてしまうのです。そしてまた、ジュリエットもロミオに心惹かれてしまいます。当然それは許されざる恋でした。最初にあげた有名なセリフは「どうしてあなたはモンタギュー家のロミオなの。」という意味なのです。
 ロミオへの思いを募らせるジュリエットを見て、ロレンス修道士はある秘策をジュリエットに授けます。それが計画通りにうまくいけば、二人は両家のいさかいから逃れて幸せになれるはずでした。ところが、ちょっとした行き違いから、この策略が大きな悲劇を生むことになるのです。
 演劇の脚本ということもあり、一つ一つのセリフがとても詩的です。ストーリーとともに、ことば一つ一つも楽しんでみましょう。

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『美女と野獣』 ボーモン夫人


新潮文庫、角川文庫、角川つばさ文庫 953.6/B31

 ある商人が取引に失敗しての帰り道、森の中で吹雪にあって道に迷ってしまいます。空腹と寒さのためにもう死んでしまいそうになったとき、遠くに輝く明かりを見つけました。それは大きなお城からもれてきたものでした。そこに逃げ込みましたが、誰もいるようすはありません。用意されていたご馳走を食べて元気を取り戻した商人は、帰りぎわに娘へのおみやげにとバラを一枝折りました。そのとき、ものすごい音とともに野獣が現れ、「お前を殺す。殺されたくなかったら娘を差し出せ」というのです。悲しみにくれながら家に戻った商人は、涙ながらに三人の娘たちに事情を話しました。すると、心優しい末娘のベルが、父親のために喜んで身代わりになって野獣の住む城へ行くというのです。果たしてベルの運命は……。
 映画やミュージカル、そしてディズニーのアニメにもなっている有名な童話です。これが発表されたのは一七五七年、そのころ日本はまだ江戸時代の半ばでした。この「美女と野獣」をはじめ、ボーモン夫人の作品はヨーロッパ中で少年少女たちの間に読み継がれてきました。一つ一つの物語は短いので、この角川文庫にも全部で十五の作品が収録されています。主人公は王様、王妃、王子、王女といった人たち。そこに仙女が現れ、いろいろな魔法を使います。きっと昔の子どもたちは、空想の翼をはばたかせながら夢中になって読んだことでしょう。

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『初恋』 ツルゲーネフ


新潮文庫、岩波文庫、光文社古典新訳文庫 983.6/Tu6

 十六歳の主人公ウラジミールが両親とともに別荘で過ごしていたとき、隣に没落した貴族のザセースキ公爵夫人が引っ越してきました。その隣家の庭先で、ウラジミールが公爵夫人の娘ジナイーダを一目見たときから、彼の心はすっかり彼女にとらわれてしまいます。寝ても覚めても彼女のことで頭はいっぱいです。
 ジナイーダのもとには、彼女を自分のものにしたいと考えている男たちが四六時中出入りしていました。軽騎兵のベロヴゾーロフ、詩人のマイダーノフ、医者のルーシン、年配の伯爵マレーフスキイ……。ウラジミールもこうした男どもの仲間になってしまうわけです。しかし当のジナイーダは、こうした男たちをしもべのように使い、彼らをきりきりまいさせることを楽しむのです。男たちは喜んで彼女の言いなりになります。公爵の娘らしい気品ある美しさとともに、こうしたやんちゃでずるいところもあわせ持っているのがジナイーダの魅力です。
 ところが、その気高いジナイーダのふるまいに変化があらわれます。どうやら誰かに心を奪われてしまったようなのです。そのことがまたウラジミールの心をかき乱します。ジナイーダの心を奪ったのはいったい誰なのか。ある晩、ウラジミールは暗闇にまぎれ、ジナイーダのもとを訪れる男の正体をつきとめます。その男とは……。
 この作品が発表されたのは一八六〇年ですが、いつの時代でも「恋の病」に取りつかれた少年の悩ましい心情は変わらないのでしょう。だからこそ、この作品も色あせることなく、時代を超えて読み継がれていくのでしょう。また、みなさんは同姓として、ジナイーダの生き方をどのように感じるでしょうか。

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『若きウェルテルの悩み』 ゲーテ


新潮文庫、岩波文庫 943.6/G56

 主人公のウェルテルは、美貌の女性ロッテにすっかり心を奪われてしまいました。しかし、すでにロッテにはアルベルトという婚約者がいました。アルベルトも立派な人物で、ウェルテルは彼からロッテを奪う気にはなれません。これは絶望的な恋でした。けれど、ロッテへの思いは苦しいまでに募るばかり。苦悩の果てに、この恋を永遠のものとするためにウェルテルが選んだ道は……。
 一七七四年にこの作品が発表されたとき、「精神的インフルエンザの病原体」と評されて大きな反響を巻き起こしました。ストーリーの大半がウェルテルから友人に宛てた手紙の形をとって展開されており、こうした、当時としては斬新な文学の手法によってウェルテル自身に恋の苦悩を語らせたのです。その手紙に記されたことばはしばしば詩的なものとなりました。このあふれんばかりの恋の情熱の描写が、青春文学の傑作とされるゆえんなのでしょう。

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『ジェーン・エア(上・下)』 C・ブロンテ


新潮文庫、岩波文庫、光文社古典新訳文庫 933.6/B75

 作者のシャーロット・ブロンテは、『嵐が丘』の作者エミリー・ブロンテの姉です。姉妹で世界の文学史上に名を残しているのはほかに例を見ません。
 孤児だったジェーン・エアは、叔母のもとでその子どもたちと一緒に育てられました。しかし、いやいやジェーンを引き取ることになった叔母は彼女のことを虐待し、やがて放り出すように寄宿学校に入れてしまいます。この寄宿学校、ローウッド学院もまた劣悪な環境でした。ここで八年間を過ごして成長したジェーンは、自分の力で住み込みの家庭教師の口を探し出し、ローウッド学院から出ていきます。
 次第にジェーンは、住み込み先の屋敷の主人ロチェスター氏に心惹かれるようになります。しかし相手は貴族。あまりに身分が違いすぎ、この恋は実るはずもありません。実際ロチェスター氏は、名門貴族の美しい娘イングラム嬢との結婚を間近に控えているようでした。ところがここで思いがけないことが起こります。ロチェスター氏がジェーンに結婚を求めてきたのです。半分信じられない思いのまま、大きな喜びの中でジェーンは結婚式当日を迎えます。しかし式の途中で、ある人物によってロチェスター氏のいまわしい過去が暴露されます。そのときジェーンがとった行動は……。
 新潮文庫版で上下二巻約九〇〇ページにわたる長編ですが、波乱万丈のジェーン・エアの人生は先が読めず、これからいったいどうなるのだろうと思わず次々とページをめくってしまいます。まさに「ドラマチック」な展開です。
 一八四七年(日本では江戸時代の末)にこの作品が発表されると、文学的に高い評価を得たのと同時に、一部の人々からは「絶対に良家の子女に読ませてはならぬ小説」とされ、社会的にも問題になりました。それは、自分の思いや感情をストレートに表に出すジェーンの姿が、当時のイギリスではレディとしてあるまじきものと考えられたからです。自らを信じ、強い意志と行動力をもって人生を切り拓いていくジェーン・エアの生き方に、みなさんは何を感じるでしょうか。

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『銀の匙(さじ)』 中勘助


角川文庫 913.6/N31

 ぜひとも読んでみて欲しい一冊です。しかも、中高生で読み、さらに大人になっても思い出して開いて欲しい最高の本でしょう。
 今の時代では、もしかしたらがらくたでしかない道具が、少年にとってはかけがえのない宝物であった……。そんな時代の名作です。あくまで子どもの目線で見たもの聞いたものを子どもの立場で書いているこの作品は、本当に美しいものです。言葉遣いの美しさも現代の作品にはないものです。あの夏目漱石も「きれいだ、描写が細かく、独創がある」と称賛しています。
 有数の進学校である灘中学校では、かつて中学三年間かけて文章の語句からヒントを出し、連鎖的に様々な語句を学ばせていったようです。携帯やパソコンなどの横行している現代だからこそぜひとも読んで欲しい作品です。

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『路傍の石』 山本有三


新潮文庫 913.6/Y31

 時代は明治。主人公の吾一は、十分な学力がありながら、貧しさゆえに中学に進学することができませんでした(当時、中学は義務教育ではありませんでした)。ろくでもない父親が金を使い込んでしまい、行方知れずになってしまったのです。母親の内職による細々とした稼ぎで何とか生活しているという状態でした。そして、小学校を卒業した吾一は呉服屋に奉公に出されます。奉公先では、「吾一」では小僧らしくないと、「五助」という名前に変えられてしまいます。それからというもの、吾一にとって苦難の連続でした。
 小説のなかでの話ではありますが、おそらく当時は、吾一のような境遇の少年はたくさんいたことでしょう。今日のみなさんの生活とはあまりにかけはなれた境遇かもしれません。しかし、それだからこそ、この本を読んで自分の価値観や人生観を幅広いものにすることができるのではないかと思います。
 新聞に連載されていたこの小説は残念ながら未完に終わってしまいますが、それでも過去に四回も映画化されています。逆境におかれながらも、誠実に、たくましく成長していく吾一に人々が共感を覚えるからでしょう。一庶民であった吾一の成長物語に、みなさんは何を感じ取るでしょうか。

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『西の魔女が死んだ』 梨木香歩


新潮文庫 913.6/N55

 主人公のまいは、中学に入学してまもなく、学校に行けなくなりました。原因はいじめでした。両親はまいをしばらく田舎のおばあちゃんのところに預け、ゆっくり過ごさせることにします。このおばあちゃんこそが「魔女」でした。
 おばあちゃんの家は、豊かな自然に囲まれた、今でいう里山のようなところにありました。そこでまいはおばあちゃんと一緒に、野いちごを摘んでジャムを作ったり、鶏小屋から産みたての卵をとってきて朝食のハムエッグを作ったり、洗濯機がないので大きなたらいにシーツを入れて足で踏んで洗濯したりと、昔ながらの生活を送ります。実は、こうした生活は魔女になるための修行の一環でした。
 まいは心優しい「魔女」のもとで、いじめを乗り越えられるような強い精神力を鍛えるはずでした。しかし、近所に住むゲンジさんに嫌悪感を抱き続けていることを厳しくしかられたことをきっかけに、まいはおばあちゃんに反感を持つようになってしまいます。そして、二人の関係が気まずくなったまま、まいは両親のもとに戻らなければならない日がやってきます。まいは「魔女」として成長できたのでしょうか……。
 この本を読んで、みなさんも「魔女」になる「修行」がどのようなものか、ちょっとのぞいてみませんか。

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『夏の庭』 湯本香樹実


新潮文庫 913.6/Y97

 みなさんは、「死」について考えたことがありますか。誰しも大人になる前に一度は「自分は死んだらどうなるのか」ということを考えるようです。
 主人公の木山とその親友、山下、河辺は小学六年生。山下が二人に、自分のおばあちゃんのお葬式に出たときの話をしたことから、河辺は死体に興味を持ち始めます。そして、近所で一人暮らしをしている、もう先は長くないと思われるおじいさんを毎日見張り、その死体の第一発見者になろうと木山、山下にもちかけます。はじめは乗り気ではなかった木山も、人が死ぬとはどういうことなのか、やはり思いをめぐらせて心の中がもやもやしていたので、その話に乗ってしまいます。当然山下も引きずり込まれ、放課後三人でおじいさんの家をこっそりのぞき見して監視する、探偵のような毎日が始まりました。
 もうすぐ七月になるというのに、おじいさんはコタツに入ったまま、毎日テレビを見てばかりいます。生きる気力を失い、何をする気にもなれないのか、ゴミは庭にうち捨てられたまま、もちろん雑草はのび放題、家はボロボロ……。ところが、おじいさんは三人に監視されていると気づいてから、死ぬどころか逆にだんだん元気になっていきました。そして三人とおじいさんとの奇妙な交流が始まるのです。
 生きること、死ぬこと、この人間にとってもっとも大きな問題を、三人の少年とおじいさんとの交流を通じ、ときにはユーモラスに、ときにはしんみりと描いています。三人の少年の成長の物語という形をとりながら、深いメッセージ性を持つ作品です。一九九二年に発表されてから、海外でも高い評価を得て、十カ国以上で翻訳・刊行されています。これからも長く読み継がれていく作品になるのではないでしょうか。

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『あすなろ物語』 井上靖


新潮文庫 913.6/I57

 明日は檜(ひのき)になろうと念願しながら、永遠に檜になれないという悲しい説話を背負った「あすなろ」の木。
 この作品は、鮎太という一人の人間の少年期から壮年期にいたるまでの感受性の劇を、六つの物語として語っています。鮎太が出会う六人のまったく性格の違う女性との関わりや、明日は何ものかになろうとつとめている多くの「あすなろ」たちの姿から、人間の運命というものを感じていくことのできる物語といえるでしょう。
 人生のなかで人は様々な人間に出会い影響を受けていきます。その中で「思い出す人々」を通じて、幼年、少年、青年、壮年と各時期の自分を見つめなおしていく材料を与えてくれる作品といえるでしょう。中高生は今の時期とこれから生きていく将来を想像しながら読むと興味深いと思います。そして壮年に達したときもう一度読んでみましょう。

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『秘密の花園』 バーネット 


新潮文庫、角川つばさ文庫 933.6/B93

 主人公のメアリは、仕事に忙しい父親から愛情を注がれることがなく、パーティー好きの母親からも遠ざけられ、乳母や召使いのもとで育てられました。十歳のときに大流行したコレラによって両親と乳母を一度に亡くし、それまで過ごしてきたインドを離れて、イギリスのヨークシャーに住んでいる叔父のもとに引き取られることになります。
 わがままし放題に育てられたメアリは、最初のうちは世話役のマーサとけんか続きでしたが、やがて小鳥や動物と心を通わせることができるマーサの弟ディコンと出会い、屋外で遊ぶようになってから少しずつ心も体も成長していきます。そんななか、預けられていた叔父の大邸宅の一室で、他人の目を避けるようにしてひっそりと暮らしていた同い年の少年コリンと出会います。コリンは少し前のメアリと同じように、わがままで、ときにヒステリックになり、でもその一方、毎晩ベッドで泣き暮らしているような子でした。
 これは、メアリとコリンが、ディコンとその母スーザン・サワビー、そして庭師のベン・ウェザースタッフらの助けを得ながら成長していく物語です。そして、その舞台となったのが「秘密の花園」。その花園には不思議な「魔法」がありました。その「魔法」とは……。
 バーネットといえば『小公子』、『小公女』の作者としても有名です。もしまだ読んだことがなかったら、ぜひ『小公子』、『小公女』も読んでみてください。

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『青い鳥』 メーテルリンク


新潮文庫

 チルチルとミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を求めて「光」、「イヌ」、「ネコ」、「パン」、「砂糖」、「牛乳」、「水」、「火」たちと、「思い出の国」や「夜の御殿」や「幸福の花園」といった不思議な世界を旅する幻想的な物語。世界中の人々に読み継がれているとても有名な童話ですから、幼い頃に絵本で読んだことがあるという人も多いでしょう。ただ、絵本は子ども向けに短く、わかりやすく原作を書き直したものなので、この作品の本来のかたちでもう一度読み直してみると、また新しい発見がたくさんあることと思います。
 『青い鳥』は象徴主義の代表的な作品と言われています。例えば「青い鳥」が「幸せ」を象徴しているように、この作品に出てくる多くの人やモノは何かのたとえになっています。それぞれが何のたとえになっているのかを想像しながら読み進めてみてください。
 実は、メーテルリンクがこの作品に込めたメッセージについては、人によって少し解釈に違いがあるようです。子ども向けであるとはいえ、とても深みのある作品です。あなたはどのように作者からのメッセージを感じ取るでしょうか。

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『蜘蛛の糸・杜子春』 芥川龍之介


新潮文庫 913.6/A39

「蜘蛛の糸」
お釈迦様が地獄で苦しんでいる一人の男を救おうと、極楽から垂らした一本の蜘蛛の糸。男はその糸にしがみつき、極楽へ向かってのぼりはじめました。しばらくのぼってから男がふと下を見ると、大勢の男どもが糸に群がっているではありませんか。そのとき、その男は……。
「杜子春」
その日暮らしの貧しい若者、杜子春。ある日、唐の都洛陽で出会った仙人の教えに従って山ほどの黄金を掘り出し、一夜にして大金持ちになります。しかし、その財産もそのうちに使い果たし、またもとの一文無しに。やがて大金持ちになっても何も満たされないことを知った杜子春は、その仙人の弟子になり、自分も仙人になることを望みますが……。

 芥川龍之介の作品はいろいろな出版社から出されていますが、新潮文庫の『蜘蛛の糸・杜子春』には、少年少女向けに書かれた短編が一〇編収められています。表題の二作品は、大正時代に少年少女向けの雑誌として発刊され、大変人気のあった『赤い鳥』誌上に発表されたものです。
 この本に収められた作品では、誠実、正直、エゴイズム、欲望、平凡な生活の中の幸せといったテーマが、気品にあふれた美しい文章で語られています。芥川龍之介は少年少女たちに対して、立派な大人になるのですよ、と作品を通して語りかけているようです。これらの作品を読んだ人は知らず知らずのうちに人間のあり方や、自分の生き方について考えさせられます。そうして考えることが心の糧になり、人間を成長させるのでしょう。
 自分を成長させてくれた本は、大人になっても、ふとまた読み返してみたくなるものです。これらの作品はきっとそんなふうにみなさんの心に残ることでしょう。

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『こころ』 夏目漱石


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 913.6/N58

 学生だった主人公の「私」は、夏休みの数日間を鎌倉で過ごしているとき、「先生」と出会います。「先生」はあまり人付き合いが得意そうではありませんでしたが、「私」は何となく心をひかれていきます。やがて「私」は「先生」とことばを交わすようになり、東京に戻ってからも、やはり東京に住んでいた「先生」の自宅を時々訪ねていくほどの関係になりました。
 この小説の前半は、「私」の目を通して謎めいた「先生」の姿が描かれていきます。そして後半は、「先生」から「私」にあてられた長い遺書の形をとって物語が展開していきます。「先生」は長い間罪の意識にさいなまれ続け、ついに自殺という道を選んでしまったのです。なぜ「先生」は、自ら命を絶たなければいけなかったのでしょうか。「先生」は、過去にいったい何をしてしまったのでしょうか。
 この作品は、大正三年に『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』に連載されたものです。当時、漱石は自筆の広告文に、「人間の心を研究するものはこの小説を読め」と書いています。「先生」の遺書には、過去に自分のエゴイズムが招いた重大な結果にずっと悩み続けた「先生」の心の動きが緻密に、克明に描き出されています。みなさんは、その時どきの「先生」の心の揺れをどのようにとらえるでしょうか。

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『ヴェニスの商人』 シェイクスピア


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 932.5/Sh12

 船を何隻も持っているヴェニスの若き商人アントーニオー。情が厚いアントーニオーは、恋に悩む友人のために、自分の胸の肉を抵当にして悪徳高利貸のシャイロックから莫大な借金をします。ところがその後、彼の持ち船が遭難するなどの不運が重なり、アントーニオーは全財産を失ってしまいます。やがて借金返済の期限がやってきました。証文どおり本気で胸の肉を取り立てようとするシャイロック。借金を返せず、かといって肉を切り取らせるわけにもいかないアントーニオー。この二人のあいだで裁判となります。しかし、証文にはっきりと書かれてしまっている以上、アントーニオーに勝ち目はありません。
裁判官    では、胸をあけるように。
シャイロック さよう、その胸だ、証文にそうある、そうでございましょう、裁判官様? 「心臓すれすれに」はっきりそう書いてある。
裁判官    そのとおりだ。秤はあるのか、肉の目方をはからねばなるまい?

 アントーニオーの運命やいかに!
 シェイクスピアの喜劇の代表作。この作品では、この「人肉裁判」の話にラブロマンスもからまっていて、楽しく読み進めることができます。
 シェイクスピアといえば、世界でもっとも有名な文豪の一人。教養の一つとして、ぜひその作品は読んでおきたいものです。

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『クリスマス・キャロル』 ディケンズ


新潮文庫、角川つばさ文庫、講談社文庫 933.6/D72

 強欲で金のことしか頭になく、誰にも心を開こうとしない頑固な老商人スクルージ。ある年のクリスマス・イブの晩、彼の部屋にかつての仕事仲間、マーレイの亡霊が現れます。マーレイは、生きていたときにスクルージとあくどい商売をしたことの報いとして、重い鎖の環をぶらさげていました。スクルージに、お前もこれまでのような生き方を続けているとこうなるぞ、と忠告しに来たのです。そして、これから「過去」・「現在」・「未来」の三人の精霊が順に現れることを予告して消え去ります。
 予告どおりに現れた「過去」・「現在」の精霊と時空を越えた旅をするうちに、スクルージは善意と良心を取り戻していきます。しかし、三番めの精霊と一緒に見た自分の「未来」は悲惨なものでした。さて、現在に戻ったスクルージは自分の未来を変えることができるのでしょうか。
 この作品が発表されたのは一八四三年で、日本でいうと江戸時代の末です。この作品には、当時のイギリスの庶民がクリスマスを心から楽しむようすが描かれ、読んでいて温かい気持ちになります。それはまた、ディケンズの人間の良心を信じる強い気持ちが、クリスマスの描写に随所にあらわれているからでしょう。
 ちなみに、「メリー・クリスマス」ということばや、クリスマスの贈り物のやりとりは、この『クリスマス・カロル』をきっけかにして起きたといわれています。

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『異邦人』 カミュ


新潮文庫 953.7/C14

 無神論者で、無口で、人付き合いがあまりうまくない主人公ムルソー。彼が、養老院に預けていた母親の葬儀に行くところからこの小説は始まります。
 ムルソーは母親の死に際し、「死ななければよかった」とは思いますが、それ以上の感慨を抱くこともなく、涙も流しません。翌日には女友達のマリイと海水浴を楽しんだり、映画をみたりします。そのマリイから、あなたは私を愛しているか、と尋ねられると、「恐らく愛していないと思われる」と答えます。自分と結婚したいか、という問いには、「それはどっちでもいいことだが、マリイのほうでそう望むのなら、結婚してもいい」と淡々と答えます。周囲の人間からすれば、ちょっと扱いにくい風変わりな人物です。
 そのムルソーが、なりゆきで友人になったレエモンの、女性関係をめぐるいざこざにまきこまれて殺人を犯してしまいます。それもいつものように、無感情のまま……。
 法廷においてもムルソーは淡々と、冷静に事実だけを受け答えするだけ。その態度が裁判官、陪審員、検事、傍聴席の人々の間に彼に対する嫌悪感を広げていきます。自分の罪に対する悔恨の情はないのか、と。そして、裁判官から殺人の動機を聞かれたとき、ムルソーはいつものように、自分が思ったことをそのまま答えます。その答えとは……。
 ムルソーの、死刑によって終止符が打たれるその人生は悲劇的なようにも見えますが、この小説は単なる悲劇ではありません。ましてや単なる変わり者の死刑囚を描いたものでもありません。この作品が不朽の名作のひとつに数えられているのは、人間の生き方に対する深い問いかけが示されているからです。みなさんはムルソーの考え方や生き方に、何を感じ、何を思うでしょうか。

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『ハムレット』 シェイクスピア 


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 932.5/Sh12

国王だった父の亡霊があらわれ、父の死は今国王となっている叔父の謀略による暗殺だったことを知らされたハムレットは父の復讐を誓います。息もつかせぬ展開で、思わず次々とページをめくってしまいます。
シェイクスピアの四大悲劇(他の三つは『オセロー』『マクベス』『リア王』)のなかで最高傑作とされ、もっとも多く上演されている作品です。それだけに人びとの心に残る名言も多く、なかでも、
「生きるか死ぬか。それが問題だ。」
という言葉が有名です。この言葉にハムレットのどのような苦悩が表されているのか、想像しながら読んでみてください。
また、この作品は後世の文学や絵画にもしばしば取り上げられています。とくにハムレットの恋人オフィーリアが死んでしまう場面は、多くの画家が繰り返し描いています。そうした絵画を見て、『ハムレット』のイメージを広げていくという知的な楽しみ方もあります。
演劇のみならず、文学や絵画にも大きな影響を与えた文豪シェイクスピアの作品は、やはり教養のひとつとして読んでおきたいものです。シェイクスピアの作品を通じて世界のいろいろな人たちと文学・芸術や人の生き方について語り合うことができたら素敵だと思いませんか。

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『フランダースの犬』 ウィーダ


新潮文庫、角川つばさ文庫 933.6/O91

 主人公のネロは、アントワープ近くの一小村に、おじいさんと愛犬パトラッシュと暮らす心優しい少年です。とても貧しい生活でしたが、ネロは不平も言わず、パトラッシュと一緒に牛乳配達の仕事をしながら、誠実に、心は満ち足りた暮らしを送っていました。
 ネロは時折、アントワープの教会堂を訪れました。その祭壇にある、偉大な画家ルーベンスが描いた聖母マリアの絵を見るためです。そして、自分もルーベンスのような大画家になりたいという大きな夢を持っていました。実際に、自分でも気づいていませんでしたが、ネロには美術における「天才」を神から与えられていたのです。しかしこのあと、ネロには次から次へと不幸が降りかかってくることになるのです……。
 誰もが知っている有名な物語。幼いころに絵本で読んだ人も多いのではないでしょうか。ぜひ原作も読んでみてください。自分が行ったことがなくても、フランダース地方の風景が目に浮かぶようです。そしてまた、どうしようもないほどに悲しい運命をたどるネロ少年とパトラッシュを、慈愛にあふれた心で優しく包み込むような、味わい深い文章です。

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『車輪の下』 ヘルマン・ヘッセ


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 943.7/H53

 自身の少年時代の体験をもとに描かれた、ヘッセの自伝的な小説です。時代は十九世紀末(日本でいえば明治前半)、舞台は南ドイツのシュバーベン地方にあるカルプという小さい町です。
 主人公のハンス・ギーベンラートは、町の中でも優秀な少年でした。当時、両親が金持ちでなければ、優秀な子どもの将来はただ一つの狭い道があるだけでした。それは、州の試験を受けて神学校に入り、つぎにチュービンゲン大学に進み、それから牧師か教師になる、というものです。そうなれば、生活は国から保障され、人々からは尊敬される存在になります。そういう人物を町から出すことは、町の誇りでもありました。ハンスも神学校に入学すべく、通っていた小学校の校長先生や地元の牧師から個人的な補習を受け、猛勉強を始めます。そのためには、川で釣りをしたり、野原をかけまわったりする少年らしい遊びをすべて犠牲にしなければなりませんでした。そうした努力の末、州の試験にみごと二番という好成績で合格します。
 ハンスは、町の大きな期待を担って神学校に入学しますが、しだいにノイローゼになってしまいます。やがて問題生徒の烙印を押されるようになり、そして、あれほど苦労して入学した神学校なのに退学せざるを得なくなるのです。町に戻ったハンスを待っていた運命とは……。
 ヘッセが愛してやまなかった故郷の町や自然の描写が秀逸で、それが悲しく切ないストーリーに気品を添え、心にしみ入る作品となっています。

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『嵐が丘』 E・ブロンテ


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 933.6/B75

 作者のエミリー・ブロンテは三姉妹の二番目で、姉のシャーロット・ブロンテは『ジェーン・エア』の作者として有名です。彼女らが生きていた十九世紀において、すでに姉のシャーロット・ブロンテは文学作家として名声を博していましたが、『嵐が丘』が一八四七年に発表されたときには、この作品はさほど注目されませんでした。しかし、時を経るにしたがってこの作品は多くの読者に感銘を与えるようになり、やがてシェイクスピアの『リア王』、メルヴィルの『白鯨』と並べて「英語文学の三大悲劇」とまで評価されるようになりました。
 この物語の中心人物であるヒースクリフは、幼いころに嵐が丘にあるアーンショー家の主人に拾われてきたジプシーの孤児でした。やがてヒースクリフを可愛がっていたアーンショー氏がなくなると、彼は家の者から邪険に扱われるようになります。
 ヒースクリフは、アーンショー氏の娘キャサリンに恋心を抱いていました。しかしそのキャサリンは、嵐が丘から四マイル離れたところにあるリントン家の長男エドガーと結婚してしまいます。恋に破れたヒースクリフは、両家に対する復讐をたくらむようになります。両家の人々は二代にわたってヒースクリフに苦しめられ、破滅への道をたどっていくのです。この両家に、幸せは二度と戻ってこないのでしょうか……。
 それにしてもこの物語に登場する人物は、ヒースクリフをはじめとして、そのほとんどが自己中心的で、相手のことを口汚くののしる人たちばかりです。憎しみが憎しみを呼び、情念が渦巻くようなさまは、読んでいるこちらのほうも胸がむかむかしてくるような感じです。ヨークシャー地方の荒涼とした自然を背景に、人間の執念、激情、狂気を描き出した作品です。

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『人間失格』 太宰治


岩波文庫、新潮文庫、角川文庫 913.6/D49

 「恥の多い生涯を送ってきました」  こんな書き出しから「自分」の手記は始まります。主人公である「自分」の名は大庭葉蔵。
東北の田舎に生まれ育ち、子どもの頃から人とはちょっと違った感覚の持ち主でした。何もかもが「わからない」のです。自分は幸せなのか、不幸なのか、苦しみとは何なのか、空腹とは何なのか、人は何のために生きているのか……。そして、いつも自分は人とは違っているのではないかという不安や恐怖心にとらわれていました。でも人とはつながっていたい。そこで彼が人とつながるために選んだ方法は「道化」でした。自分の心の苦しみやゆううつは押し隠し、ひたすらおどけて周囲の人たちを笑わせました。
 やがて成長し、東京の旧制高校に入学した葉蔵は、悪友から進められた酒、煙草、左翼思想、遊女に浸っていきます。これらに浸っているほんのひとときだけ、人間に対する恐怖心から解放されたのです。そしてしだいに破滅的な生活を送るようになっていきます。その行き着く先は……。
 この小説は、一九四八年に雑誌『展望』に連載されたものです。最終回が掲載される直前に太宰は、彼を慕う女性とともに玉川上水に入水し、自ら命を絶ちました。この作品はフィクションではありますが、彼の人生が色濃く反映された自伝的な小説であるともされ、読者はみな主人公の大庭葉蔵に太宰の人生を重ね合わせて読み進めることになります。
 陰鬱な感じのする太宰の作風を嫌う人がいる一方で、熱烈なファンもまた多いといえます。太宰の作品に登場する人物の人間的な弱さが、あたかも自分のことを描いているように感じられ、共感を得るからではないでしょうか。そうしたなかでもとくにこの作品は、読む者の心の奥底に訴えかけてくる不思議な魅力を持った作品です。

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『楢山節考』 深沢七郎 


新潮文庫 913.6/F72

 民間に伝わる姥捨の伝説をテーマにした小説です。昔、貧しくて食べ物も十分に蓄えられなかった農家では、口減らしのために一定の年齢に達した老人を山に捨てにいくということがおこなわれていました。それが村のしきたりにもなっていたのです。
 主人公の老婆おりんは、家族の生活を楽にするために、かねてから「楢山まいり」の準備をしていました。息子の辰平は、本当はまだまだ元気なおりんと少しでも長く暮らしていたかったのですが、ついにおりん自らが「楢山まいり」の日取りを決めてしまいます。その日の夜明け前、辰平は重い心をひきずりながら母おりんを背負い、神の住む楢山へと向かうのです。
 貧しい農民が生きのびていくための厳しいおきてや姥捨の凄惨な風景。明るく気丈にふるまうおりんの姿や家族の情愛。これらがないまぜに描かれて一種独特の雰囲気がかもし出されている作品です。

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『あん』 ドリアン助川


ポプラ文庫 913.6/D87

 書名になっている「あん」とは、どら焼きの中に入っているあんのことです。物語は、東京の町なかにある小さなどら焼き店「どら春」の店先に、七十歳を過ぎた手先の不自由な女性・吉井徳江がやってくるところから始まります。このあとストーリーは、「どら春」でアルバイトとして働くようになった徳江と、若い雇われ店長・千太郎の二人を軸に展開していきます。細々と営業を続けていた「どら春」は、徳江が作るおいしいあんのおかげで売り上げを伸ばしていき、それまであまりやる気のなかった千太郎も仕事に前向きに取り組めるようになっていきました。しかし、やがて徳江がハンセン病なのではないかという噂が広まって、再び客足が遠のいてしまい・・・
 かつてハンセン病患者は、科学的な根拠のない偏見によって社会から完全に隔離され、専用の施設の中で一生を送らなければなりませんでした。『あん』は、理不尽極まりない仕打ちを受けてきたハンセン病患者を取り上げることによって、人として生きることの意味を問うた作品です。
 この作品は二十二の言語に翻訳され、世界各国で刊行されています。また、二〇一六年には映画化され、カンヌ映画祭のオープニング上映作品にも選ばれました。ハンセン病という重いテーマを取り上げながら、読んだ後になぜか温かい気持ちになれる、そんな不思議な魅力を持った作品です。この本が投げかけている「生きることの意味」が人々の共感を得るからこそ世界中で読み継がれているのでしょう。

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『破戒』 島崎藤村


新潮文庫、岩波文庫 913.6/Sh45

 主人公の瀬川丑松(うしまつ)は父親から、被差別部落の出身であることを隠せ、という戒めを受けていました。もし出自がばれてしまったら、周囲から厳しい差別を受けることになるからです。丑松はその戒めを守りながら、小学校の教員として平穏な日々を過ごしていました。しかし、同じく被差別部落の出身でありながら、あえて自分の身分を明かして社会的差別と闘う猪子蓮太郎(いのこれんたろう)への尊敬の念から、やがて自らその戒めを破ってしまいます。その結果は……。
 明治時代の被差別部落の問題を告発して社会に訴えた、日本の自然主義文学の頂点ともいえる作品です。
 この作品は当時大きな反響を呼びました。しかしながら差別問題がこの作品によって解決されたわけではありません。のちの大正デモクラシーの時代に、被差別部落出身者に対する差別の撤廃を訴える全国水平社が結成されましたが、それは根強い差別がずっと続いていたということを示しています。そして今日、日本ばかりでなく世界を見渡してみても、黒人に対する差別、女性に対する差別、少数民族に対する差別など、さまざまな差別がいまだに存在しています。
 どうして人間の心は差別という感情を生み出してしまうのでしょうか。また、どうしたら世の中から差別をなくすことができるのでしょうか。この作品にふれたことをきっかけにして、差別の問題について少しでも考えてもらえたらと思います。

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『蟹工船』 小林多喜二


岩波文庫、新潮文庫 913.6/Ko12

 近代日本は驚異的なスピードで産業を発展させ、欧米の先進国に追いついていきました。しかし、その陰には、少数の資本家のもとで過酷な労働を強いられていた多数の下層労働者がいました。下層労働者たちはほとんど人間扱いされず、その命も軽くみられていました。彼らは企業にとって使い捨ての道具に過ぎなかったのです。
 この作品は、昭和の初期、北の海で操業する蟹工船(かにこうせん)を舞台に、彼らがいかに悲惨な状況におかれていたかを描き出したプロレタリア文学の傑作です。みなさんのおじいさん、おばあさんが生まれたころの日本、つまり同時代ともいえるころの日本で、ここに描かれているような状況に労働者たちがおかれていたことに驚かされることでしょう。
 作者の小林多喜二は、文学を通じ、虐げられた労働者の立場に立って政府や資本家を糾弾します。やがて政府から目をつけられた彼は、特別高等警察に逮捕され、拷問の末虐殺されてしまいます。彼の作品の行間からは、彼の怒りの声がもれ聞こえてくるようです。
 現代日本の社会で、ワーキングプアが社会問題になるなか、この作品が再び脚光を浴びるようになったのは、なんとも皮肉なことです。

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『沈黙』 遠藤周作


新潮文庫 913.6/E59

 キリシタン禁制の厳しい江戸時代の日本に、ポルトガル人宣教師が布教活動のため潜伏しました。その名はロドリゴ。彼が尊敬していた宣教師フェレイラが信仰を捨てたという情報を知り、信じられない思いで日本にやってきたのです。「神の存在」を信じながら拷問を受け処刑されていく日本人信徒や、背教のすえ裏切りを重ねていく日本人キチジローの存在。そしてその裏切りのためロドリゴは捕まります。
 その後、長崎奉行の尋問、日本人信徒への拷問のなか、ロドリゴは信仰を捨てることを迫られていくのですが、その過程で、フェレイラとも運命的な出会いを実現するのです。フェレイラとの会話から、日本人にとっての信仰とはどのようなものなのかという遠藤氏らしい解釈が現れています。
 そしてロドリゴの運命は。信仰を捨てるかもしれない最後の状況に対しても、神は最後まで沈黙を守り続けます。
この小説は実在した宣教師の話を題材とするものです。高校を卒業するまでにはぜひ一読して欲しい名作といえるでしょう。

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『苦海浄土 わが水俣病』 石牟礼道子


講談社文庫 493.152/I78

 美しい海岸線の続く水俣の漁村に新日本窒素の工場が建てられ、そこから出される排水が原因で水俣病が発生しました。水俣病という病名は四大公害病の一つとして小学生のときにも習うので、知らない人はいないでしょう。
 高度経済成長期に経済の発展が最優先される中、水俣病への対策は後手に回りました。工場の排水に病気の原因があるのではないかと疑われても、「疑わしい」というレベルでは工場の操業は止められませんでした。そんなことをしたら経済の発展が鈍ってしまうからです。工場排水は海に垂れ流され、患者たちは悲惨な状況におかれ続けました。
 著者の石牟礼道子さんは水俣村に入り込んで患者たちに寄り添い、そのありのままの姿を描き出すことで、公害の恐ろしさ、そして企業や政府の無策を訴えました。病に冒されて絶望的な状態になっている我が子に無上の愛を注ぎ続ける親たちや、自然の恵み豊かな美しい不知火(しらぬい)海の描写が、かえって病気の悲惨さを際立たせています。水俣病がなければ、平穏で豊かな暮らしが続いていたはずなのに……。この作品は発売以来静かに読み継がれているドキュメンタリーの傑作です。
 この本を読むと、水俣病という名前を知っているだけでは実はあまり意味がなかったのだということに気付くでしょう。水俣病に苦しんだ人びとの実態を知ることによって、「水俣病」ということばの持つ響きがみなさんにとって以前とは全く異なったものになるはずです。「知る」ことの大切さや、「知らない」ことの恐さにも気付くのではないでしょうか。本をたくさん読み、心を動かし、頭を動かし、本物の教養を身につけていきましょう。

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『モモ』 ミヒャエル・エンデ


岩波少年文庫 943.7/E59

 モモは、髪がボサボサの、ボロをまとった浮浪児です。ある町はずれの古代の円形劇場の廃墟に住んでいました。身なりはみすぼらしくても、近所の子どもたちはモモと遊ぶのが大好きでした。モモは想像力が豊かで、いつもとても楽しい遊びを考え出してくれるからです。また大人も、モモに自分の悩みをじっと聞いてもらうだけで自然とその悩みが解決してしまうので、この少女をかわいがりました。こうしてモモの周りに集まった人たちは、子どもも大人も、ささやかではありますが満ち足りた心で日々の暮らしを送っていました。
 しかし、やがてこの町のいたるところに不気味な「灰色の男たち」が出没するようになります。時間泥棒です。彼らの策略にはまってしまった人たちはみんな一分一秒を節約する忙しい生活を送るようになり、モモと遊んだり、モモとゆっくり話したりする時間がなくなってしまいました。とうとう誰にも相手にされなくなったモモは、独りぼっちになってしまいます。そして、時間泥棒から時間を取り戻すことができるのは、もはやモモしかいないのです。どうやってモモは時間泥棒からみんなの時間を取り返すのでしょうか。
 この物語は、不思議な少女モモを主人公にしたメルヘンチックな冒険ファンタジーです。童話という形をとってはいますが、この作品には日々時間に追われて人間的な生活が失われつつある現代社会に対する痛烈な批判が込められています。将来、みなさんが社会に出て、「忙しい」とか「暇がない」といったことばが口癖になってしまっている自分にふと気づいたら、もう一度この物語を読んでみてください。時間泥棒から時間を取り返せるかもしれませんよ。いや、その前に、すでにみなさんには「暇がない」かな?

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『不思議の国のアリス』 ルイス・キャロル


新潮文庫、角川文庫 933.6/C22

 ある日の昼下がり、アリスが土手で遊んでいると、チョッキを着た白兎がポケットから取り出した時計を見て、大急ぎで兎の穴に飛び込んでいくのを見ました。好奇心にかられたアリスは、白兎のあとを追いかけて穴に飛び込みます。その穴は途中から急坂になっていて、アリスは深い深い地の底へと転がり落ち、「不思議の国」に迷い込んでしまうのです。そこでアリスはわくわくどきどきするような体験をしていきます。「私を飲んで」と書いてあるビンに入った薬を飲んですごく背が縮んでしまったり、「私を食べて」と書いてあるケーキを食べて巨人になってしまったり……。また、さまざまな「不思議の国」の生き物たちと出会います。突然現れ、突然消えるチェシャ猫、すすり泣きしながら自分の身の上を話す亀まがい、やたらと「その者の首をはねよ!」と命令を出すハートの女王……。
 こうした奇想天外な空想の世界に遊ぶことができるのも、読書の大きな楽しみの一つですね。

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『トム・ソーヤーの冒険』 マーク・トウェイン


新潮文庫、角川つばさ文庫、岩波文庫  933.6/Tw

 ミシシッピ河畔の小さな村に住むわんぱく小僧のトム・ソーヤーとその仲間たちが繰り広げる、自由奔放な少年少女の世界を生き生きと描いた作品。
 ミシシッピ川に浮かぶ小さな島に渡って何日も帰ってこなかったり、殺人事件を目撃して事件に巻き込まれたり、迷路のような洞窟に女の子と一緒に入りこんで出てこられなくなったり……。トム・ソーヤーは、学校の勉強はできないくせに、いたずらをするときや自分の失敗を隠したりするときにはすごく頭が働くのです。もし今、自分の近くにこんな子がいたら迷惑するだろうなと思いながらも、そのわんぱくぶりは痛快で、読んでいると自分も一緒に冒険しているような楽しい気分になります。
 物語の面白さもさることながら、マーク・トウェインの簡潔で正確な文章も読者をこの作品の世界に引き込む大きな要因になっています。

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『海底二万里(上・下)』 ジュール・ヴェルヌ


新潮文庫、光文社古典新訳文庫 953.6/V62

 一八六六年、大西洋に「謎の巨大生物」があらわれ、人々は不安と恐怖にかられます。その正体を突きとめるべく、生物海洋学者のアロナクス教授は忠実な使用人コンセイユとともに高速フリゲート艦に乗り込みます。やがてその巨大生物と遭遇、巨大な鯨「イッカク」ではないかと考えられていたその「謎の巨大生物」の正体は、ネモ船長が操る巨大な潜水艦ノーチラス号だったのです! アロナクス教授とコンセイユ、そして頑固な銛打ち名人のネッド・ランドの三人はノーチラス号に捕らえられ、ここから世界中の海をかけめぐる大冒険が始まります。
 ワクワクドキドキするストーリー展開もさることながら、おびただしい数の海洋生物が紹介されたり、化学反応の話、海流や海底の地形の話、はたまた芸術家や思想家も紹介されたりと、全編にわたって知的な刺激に満ちています。とくに「生物」が好きな人にはたまらない作品でしょう。
 潜水艦に乗り込んでの世界一周。傍らに地図帳や海洋生物の図鑑を置きながら読み進めることをおすすめします。気になる生物が出てきたらインターネットで検索してみるのも面白いでしょう。
 ジュール・ヴェルヌは、日本でいうと幕末から明治にかけての頃に活躍した作家です。本作品のほか『八十日間世界一周』や『月世界旅行』などに代表される彼の「空想科学小説」は、科学が急速に発展していく当時にあって、世界中の若者の心をつかみました。ただ、この『海底二万里』は、「空想科学小説」というだけではなく、どこか暗い陰を持っている謎に満ちた人物・ネモ船長の秘密が明かされていくストーリー展開が、文学としての味わいや深みを与えている作品です。

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『地底旅行』 ジュール・ヴェルヌ  


岩波文庫 953.6/V62

 一八六三年五月二十四日、一流の地質学者であるリーデンブロック教授は古本屋で貴重な七百年前の本を手に入れます。そしてその本に挟まれていた古紙には、暗号で地下世界への入り口がどこにあるかが記されていました。その解読に成功すると、教授は甥(おい)である主人公のアクセルとともに、アイスランドのスネッフェルス火山をめざしました。その火口が地下世界への入り口なのです。現地で雇った無口だけど頼りになるハンスとともに、三人の地底旅行が始まります。
 この小説で描かれる壮大で幻想的な地底の世界は、もちろん想像上のものです。しかし、この冒険の途中で語られる地質学、古生物学、天文学、物理学といった分野の知識は正真正銘の学術的なもので、読者の知的好奇心をくすぐるものです。この作品は、空想的なものと学術的なものが渾然となって展開される「空想科学冒険小説」で、作者のジュール・ヴェルヌはこうしたジャンルの開拓者とされています。

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『川の光』 松浦寿輝


中公文庫 913.6/Ma86

 クマネズミのタータ、チッチの兄弟とそのお父さんは川辺に暮らしていました。ところが暗渠(あんきょ)工事が始まり、楽しい日々を送ってきた愛着のある故郷を捨てて、新たな棲みかを探さなければならなくなりました。まだ自然が残っている川の上流を目ざし、三匹の大冒険が始まります。旅の途中、三匹の親子に襲いかかる様々な困難。時には絶体絶命のピンチに陥り、ハラハラドキドキの連続。果たして三匹は無事に新天地にたどり着くことができるのでしょうか。
 懸命に生きる三匹のクマネズミの親子の姿や、旅の途中で三匹が出会った仲間たちの優しさに、私たちがふだんの生活の中でつい忘れがちになっている大切なものに改めて気づかされます。また、スリル満点のストーリー展開の中にも、生きとし生けるものへの愛情が溢れているお話です。読んだあとには心の中に温かなものが残ることでしょう。
 実は、この作品は童話のような形を取っていますが、もともとは読売新聞の朝刊に連載されたものでした。ですから、当然、大人の読者を想定して書かれたものだったのです。作者(東京大学の先生!)はこの作品にどのようなメッセージを込めたのでしょうか。みなさんはあまり難しいことを考えずに、純粋にハラハラドキドキの物語を楽しんでもらえればよいと思いますが、中学生・高校生の豊かな感性で、きっといろいろな場面からいろいろなことを感じ取ってくれることと思います。

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羅貫中 作 小川環樹・武部利男 訳


岩波少年文庫 923.5/R11

 日本の邪馬台国が成立しつつあった時代。中国では漢帝国が滅亡の危機に瀕していました。その後の中国の主導権をめぐって、多くの人物が登場しどんどん話が展開していきます。劉備、関羽(かんう)、張飛の「桃畑の誓い」から話は始まり、軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)の天才的策略が成功していくところは読んでいて爽快でしょう。「天下三分の計」により、魏・呉・蜀の三国が対立する時代へと進んでいく過程もわくわくします。
 また、現代に残る言葉も話のなかによく出てきます。「白眉(はくび)」「水魚の交わり」「三顧(さんこ)の礼」「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」など有名なたとえ話として使われています。
 三国志は日本人にとても人気があります。多くの英雄豪傑(ごうけつ)が登場し、戦乱のなかを生き抜いていく姿にとても引きつけられるものなので、ぜひ読みながら手に汗握る時間を体感してみましょう。

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『天平の甍』 井上靖


新潮文庫 913.6/I57

 奈良時代、日本に戒律を伝えるために五度の渡航失敗を乗り越え、失明しながらも来朝した鑑真。小学校の社会の教科書でも取り上げられているこの大きな出来事をテーマにした歴史小説。しかし、この小説のなかで鑑真はさほど目立つ存在ではありません。主人公は、遣唐使とともに唐に渡り、十年、二十年、あるいはもっと長い間、唐で学問を続けた留学僧たちです。
 この小説のなかで中心的な存在となる普照と栄叡(ようえい)の二人は、記録にもその名が残されている実在の人物です。ただ、実際にどのような人物だったのかは記録からはほとんどうかがい知ることができません。作者の井上靖は、歴史小説という舞台の上で、二人の人生を現代によみがえらせました。
 唐の高僧鑑真を日本に迎えることに情熱を傾ける栄叡。しかし、日本への渡航成功目前にして栄叡は病死してしまい、皮肉なことに、鑑真を来日させることに疑問を抱いていた普照が、鑑真とともに故国日本の土を再び踏むことになるのです……。
 律令国家が完成し、奈良の都では天平文化が花開きます。その陰には、古代日本の発展のために、航海の危険もかえりみずに海を渡っていった留学生や留学僧たちの情熱がありました。しかし、彼らのなかには、大きな時代のうねりのなかで運命を翻弄(ほんろう)された人々もたくさんいました。歴史の波のかなたに消え去ったそうした留学僧の人生を、井上靖はこの小説のなかでイメージ鮮やかに浮かび上がらせたのです。
 修学旅行で奈良の東大寺や唐招提寺を訪れる機会があったら、この一冊を読んで、留学僧たちの人生に思いを馳せてみてください。

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『吉村昭の平家物語』 吉村昭


講談社文庫 913.434/Y91

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
 おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
(平家物語、原文冒頭)

 この有名な冒頭ではじまる『平家物語』は、平清盛を頂点とする平家一門の栄華の模様と、その後の滅亡のさまを描いた軍記物語です。国民文学としても有名で教科書にも必ず登場する傑作(けっさく)作品です。源平合戦のさまがまるで映像でも見ているかのように臨場感あふれる文体で綴られています。この日本文学を代表する最高傑作の現代語訳に、歴史作家として有名な吉村昭が挑みました。吉村昭は現代語訳にあたって次のように述べています。
 「平易な現代文にするように心がけはしたが、一定の限度をこえることはしなかった。少年少女は、意味のわからぬ単語に出会い、その意味を知ることによって豊かな知識を得てゆく。少年少女におもねることは知識の蓄積をさまたげるだけで、彼らに不親切だと思うのである」
 この意図にこだわり、吉村昭は少年少女でもその醍醐味(だいごみ)を味わえるようにこの作品を完成させました。物語に出てくる登場人物の描写もきわめて巧みなものであり、性格もくっきりと表されています。あでやかな絵巻物でも見ているような感じで文章を読み進めていくことができるでしょう。ぜひこの作品からその素晴らしさを感じ取ってみて下さい。
 なお吉村昭という作家は、綿密な史料集めと現地調査に裏打ちされた歴史小説で有名です。この作品をきっかけとして、その他の作品にも関心を持ってみましょう。

※吉村昭の作品
・『ポーツマスの旗』(新潮文庫)……外務大臣小村寿太郎の外交交渉に焦点をあてた小説。・『冬の鷹』(新潮文庫)……解体新書で有名な前野良沢に焦点をあてた小説 

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『二十四の瞳』 壺井栄


新潮文庫、角川文庫、講談社青い鳥文庫 913.6/Ts15

 昭和三年、瀬戸内海に面した岬にある小学校の分教場に、若くてはつらつとした女(おなご)先生、大石先生が赴任してきます。大石先生はこの分教場に勤めることになってからも母親との同居を続けるために、苦労して自転車を購入し、片道八キロの遠い道のりを毎日通います。また、学校に着ていく服がなかったので、母親の古い着物を自分で縫い合わせて洋服をつくりました。ところが当時にあっては、洋服を着て自転車に乗って通う大石先生は、へんぴな田舎の村の人々からは大変なおてんばに思われ、なかなか打ちとけてもらえません。しかし生徒たちは大石先生の明るい人柄にすぐなつき、「小石先生」とあだ名をつけて慕います。その様子を見ているうちに、しだいに村人たちも大石先生を心から迎え入れるようになっていくのです。
 大石先生と生徒たちとの心温まる交流が続きますが、やがて成長し、卒業していった生徒たちを待ちうけていたのは、戦争という大きな時代の動きがもたらした厳しい現実でした。
 読み終わったあと心に残るのどかな瀬戸内の風景、生徒思いで明るく元気な大石先生、無邪気で純粋な生徒たち……。しかしこうした描写が、かえって彼らを襲う運命の無情さをきわ立たせ、読むものの胸をしめつけます。戦争というものが、いかに庶民にとって辛いものであるかを静かに訴えかけている作品です。

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『ビルマの竪琴』 竹山道雄 


新潮文庫 913.6/Ta68

 ビルマというのは現在のミャンマーのことです。第二次世界大戦中、ここで日本軍とイギリス軍とのあいだに激戦がありました。今でもミャンマーの森の奥深くには、多くの日本の無名戦士の遺骨が人知れず埋もれているのです。『ビルマの竪琴』はそうした歴史的背景のもとにつくられた作品です。
 ビルマ戦線に配置された部隊の一つに、合唱の上手な部隊がありました。隊長が音楽学校を出たばかりの若い人で、隊員たちに合唱の指導をしていたのです。隊員たちは「はにゅうの宿」、「庭の千草」、「野ばら」、「荒城の月」、「からたちの花」といった歌を上手に合唱し、歌う喜びによって戦場でのさまざまな苦しみを乗り越えてきました。この部隊の隊員であった水島上等兵は、ありあわせの材料で竪琴を作り、みんなの歌に合わせてその竪琴で伴奏をつけるのが得意でした。
 この部隊がまだビルマ戦線にいるあいだに、ついに終戦を迎えます。ある日水島上等兵は、いまだに頑強にイギリス軍に抵抗を続けている他の日本の部隊に降伏を説得する任務を隊長から拝命します。しかし、任務遂行のため出発した水島上等兵は、その後ゆくえ知れずになってしまうのです。
 ある時、全員捕虜となってさまざまな労働に使役されていた「合唱部隊」が、橋の上で水島上等兵にそっくりな顔立ちの、黄色い袈裟を着たビルマの僧とすれ違います。あれは水島上等兵なのか、それとも他人の空似か。死んだと思っていた水島上等兵は、もしかしたら生きているのか。生きているのなら、なぜ苦楽をともにした戦友たちのもとへ戻ってこないのか……。
 この作品は、「はにゅうの宿」、「庭の千草」などの名曲をバックに、多くの若く尊い命を奪った戦争の悲惨さを静かに訴えかけています。しかしそれだけではなく、信心深く、謙譲で、いつも微笑みをたたえ、貧しいけれども幸福に生きているビルマの人たちと、文明は進んだけれども何もかもが能力主義で、その人の生き方の深さなどはかえりみられず、ののしりあいながらあくせくして生きている日本人を対比させ、近代日本の歩みや今日の日本人の生き方にも疑問を投げかけています。
この作品が発表されてからすでに半世紀以上。時代を超えて読み継がれ、多くの人々の胸に訴え続けている戦争文学の名作です。

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『少年H(上・下)』 妹尾河童


新潮文庫、講談社文庫 913.6/Se72

 Hは神戸に住んでいるちょっといたずらっ子の少年。お父さんは紳士服の仕立て屋さん、お母さんは熱心なクリスチャン。この作品は、著者の少年時代の自伝的な作品です。
 時代は日中戦争が戦われていたころ。神戸周辺ではまだそれほど切迫した感じはなく、Hも元気いっぱいに遊びまわる毎日でした。それでも、Hが大好きだった近所の「兄チャン」が突然思想犯として連行されたり、よく遊んでもらっていた顔見知りの青年が出征を拒否して自殺したりと、純粋なHの心に重くのしかかる事件が起こります。
 読み進むにしたがって、次第に戦争の暗雲がHのまわりにも垂れ込めてきます。やがてアメリカとの戦争がはじまると、敵性用語ということでカタカナ言葉の使用が禁止されたり、金属が各家庭から回収されたり、「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンのもと、厳しい倹約生活を余儀なくされたり……。昭和二十年には神戸も空襲を受け、Hとお母さんは炎の海の中から、命からがら逃げ出すことができたのでした。
 みなさんが学校の歴史の授業で習う内容が、当時の庶民の生活に即して生き生きと描かれているので、ただ暗記していた歴史用語についても、「ああ、こういうことだったのか」と納得できます。戦時中の庶民の生活を通して、また少年Hの目を通して、戦争の理不尽さを平易に訴えかけている作品です。

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『知覧(ちらん)からの手紙』 水口文乃


新潮文庫 916/Mi94

 「智恵子 会いたい、話したい、無性(むしょう)に。今後は明るく朗らかに。自分も負けずに、朗らかに笑って往く。」
 穴沢利夫はこの手紙を恋人に残して、知覧の飛行場を飛び立っていきました。 
 この作品は、けなげなカップルのラブストーリーです。太平洋戦争の時代に、こんな純粋でそして淡い恋愛があったのかと思うと、とても切なくなってきます。二人の出会いから、利夫の告白。何となくお付き合いをしていく二人だが、智恵子が少しずつ利夫に惹かれていくのです。しかし、ベタベタしたものはなく、淡々とした、でもときにほほえましく、さらに重い運命に気づかされるラブストーリーなのです。利夫は、智恵子のつくったマフラーを首に巻き、智恵子の写真を胸ポケットに入れて特攻隊として出撃しました。
 二人の最後の別れの場面は、池袋駅のホームです。人混みにもみくちゃにされながら、二人は引き離されていきます。ほんの少しの別れと思っていたこの時が永遠の別れとなったのです。
 とても良い作品です。涙なくしては読み進めていけないかもしれませんが、ぜひ読んでほしい作品です。

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『西部戦線異状なし』 レマルク


新潮文庫 943.7/R26

 第一次世界大戦中、ドイツ軍が敗色濃厚となるなかで、若い兵士たちが次々と命を落としていく過酷な戦場を描いた戦争文学です。この戦争から登場した新兵器・毒ガスに兵士たちが苦しめられるようすや、塹壕や窪地を利用して敵の銃弾・砲弾・手榴弾をよけながら泥まみれ、血まみれになって戦うようすが描かれます。感情を抑えた表現ながらも、従軍経験のある作者レマルクの描写は、戦場の惨状を臨場感をもって伝えています。
 主人公ボイメルは十九歳。仲の良かった戦友たちが一人、また一人と戦死していきます。彼らはこの戦争に疑問を感じながらも、声高に戦争反対を唱えているわけではありません。自分の意思とは全く関係ないところで起こってしまった戦争という大きな歴史の波。それに飲み込まれるようにして命を落としていく彼らの運命に、みなさんは何を思うでしょうか。
 「異状なし」と報告された戦場では、実際には名もない多くの兵士の尊い命が失われていました。本編の内容もさることながら、この作品が世界中で読み継がれているのは、この書名によるところも大きいのかもしれません。読後、「西部戦線異状なし」ということばが、胸にずしりと重く響いてくることでしょう。

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『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治 


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 913.6/Mi89

 主人公の少年ジョバンニが友人のカンパネルラと、星祭りの夜に銀河鉄道に乗って幻想的な旅をする物語です。未完成ながら宮沢賢治の作品の中で最高傑作ともいわれる長編童話です。
 この作品では、人間の生と死、出会いと別れ、愛、幸福といったことが象徴的に描かれていて、解釈するのが難しいところもあります。それでも、心に深くしみいるような悲しくて美しいこの童話は、読む人の心をひきつけてやみません。
 賢治がこの作品を通して読者に訴えようとしたことを「解釈」することももちろん大切ですが、あまりそれにこだわらずに、自分の心の中に銀河鉄道の車窓に広がる風景や、乗客たちの風貌などを思い描きながら読み進めてみてください。とくに、この作品の文章には、宇宙の暗闇の中に浮かぶ光や色彩があふれています。たとえば、ジョバンニとカンパネルラが銀河鉄道に乗ってすぐの場面。

  そして、カンパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一々の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
 「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねぇ。」
  ジョバンニが云いました。
 「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」
 「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」
  ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
 「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろのすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆれうごいて、波を立てているのでした。
 「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」

 みなさんもぜひ、この作品を読んで銀河鉄道の旅をしてみてください。

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『変身』 カフカ


新潮文庫、角川文庫、岩波文庫 943.7/Ka15

 主人公のグレゴールはごく平凡なサラリーマンでした。しかし、ある朝、いつものようにベッドで目覚めると、自分の体は醜い虫に姿を変えていたのです。当然家族にも見つけられます。家族は恐れおののいたり、ショックに打ちひしがれたり。しかしこの虫がグレゴールかもしれないと思うと、殺すわけにもいかず、追い出すわけにもいかず……。  ありふれた日常生活の中に突然おとずれた異変。現実にはありえないことなのですが、その後しばらく続く巨大な虫と家族との生活を、作者は淡々と描いていきます。起こった出来事の奇怪さとはうらはらに、その静かで客観的な描写がなんとも不気味で、読んでいて不思議な感覚のする小説です。

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『ジーキル博士とハイド氏』スティーヴンソン  


新潮文庫、角川文庫、光文社古典新訳文庫 933.6/St5

 医学の博士号を持つ紳士ジーキル氏は、あるとき、自分の中から邪悪な部分だけを取り出すことができる薬の調合に成功します。この薬を飲むと、全くの別人であるハイド氏に変わることができるのです。ハイド氏は、その顔を見た人がゾッとするほどの恐ろしい人相をしていて、これがジーキル博士と同一人物であるとは誰も思えません。社会的な地位を得たジーキル博士は、世間的な体裁や良心から、さまざまな欲求や衝動を抑えなければなりませんが、ハイド氏に変身すれば、良心から責められることなく、自分の感情のおもむくままに行動することができました。そのうえ、ハイド氏がしたことに対して、博士は知らん顔のままでいられたのです。次第に博士はこのことに快感を覚えるようになり、ついには通りがかりのある高名な紳士を殺害する事件まで引きおこしてしまいます。運悪く殺人の現場を目撃されてしまったのですが、二度とハイド氏にならず、ずっとジーキル博士のままでいれば罪を逃れられるはずでした。ところが……。
 この書名は、今日では「二重人格」の代名詞にもなっています。誰の心の中にも、二重人格とまでは言わないまでも、善と悪の二面性はあるかもしれませんね。

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『ボッコちゃん』 星新一


新潮文庫 913.6/H92

 みなさん、ショート・ショートという文学のジャンルを知っていますか。一話が数ページからせいぜい十数ページで完結するもので、最後の部分で大きなどんでん返しがあったり、最後の部分を読むことによって、それまで謎の部分を残しながら展開されていた話が一気に、ああそういうことだったのか!とわかるようになったりする、あるいはまた奇想天外な物語、そんな特徴を持った文学です。
 星新一は日本におけるSF文学のパイオニアといわれている人で、『ボッコちゃん』は彼の自選のショート・ショート五〇編を集めたものです。現代社会をチクリと諷刺したもの、ミステリアスな話、最後に思わずふき出してしまうユーモラスなものなど、ワクワクドキドキ、読む者を飽きさせません。
 星新一の作品はほかにも数多く出されていますが、筒井康隆もショート・ショートの名手として有名ですので、ショート・ショートにはまったらぜひ筒井氏のほうも読んでみてください。

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『西遊記(上・中・下)』 呉承恩 


岩波少年文庫 923.5/G54

 『三国志演義』、『水滸伝』とならんで中国三大奇書のひとつに数えられる、みなさんもよくご存知の孫悟空が大活躍する物語。
 仏教の教えを唐に広めるため、経典を得ようと天竺(インド)へのはるかな旅に出立する三蔵法師。そのお供をするのが孫悟空、猪八戒、沙悟浄と、龍の化身である一頭の白馬。彼らはみな、散々に乱暴を働いてきた自分の過去を悔いて、三蔵の崇高な志による偉業を助けることによって救われたいと思うものたちばかり。しかし一行の行く手には、高貴な僧の肉を食らうと長生きができると信じる妖魔たちがいたるところで待ち受けています。この妖魔たちを孫悟空がさまざまな術を使って退治していくのです。妖魔だけでなく、ときどき苦戦に追い込まれる孫悟空たちを助けるために、釈迦如来や観音菩薩などの仏様や、それぞれの地方の神々もあらわれ、現代人が読んでも楽しめる冒険ファンタジーです。日本でも二回、テレビドラマ化され(一回目の孫悟空役は堺正章、二回目はSMAPの香取慎吾)、大ヒットしました。妖魔の姿などをいろいろ想像しながら読むと楽しいでしょう。ビデオやDVDで、テレビドラマではそれがどのように再現されているのかを見るのも面白いと思います。

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『怪談』 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)


岩波文庫、講談社学術文庫、光文社古典新訳文庫 933/H51

「耳なし芳一」
赤間関(あかまがせき)にある阿弥陀寺(あみだじ)は、平家の霊を弔(とむら)うために建てられた寺である。ここに盲目の琵琶法師、芳一が身を寄せていた。寺の和尚が出かけていたある晩、芳一のもとにある貴人の使いだという鎧兜(よろいかぶと)を身にまとった武者がやってくる。芳一は夜道をその武者に案内され、立派な門構えの屋敷に到着した。そして大広間に通され、求められるままに壇ノ浦での平家滅亡の場面を語った。芳一の語りを聞いた貴人たちは心を揺さぶられ、声をあげて激しく泣いた。実は、この貴人たちや武者は平家の亡霊だったのだ……。
「雪女」 
武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉(みのきち)という二人のきこりがいた。茂作は老人で、その手伝いをしている巳之吉は十八だった。ある日、二人が仕事を終えて山から帰るとき、ひどい吹雪に見舞われ、川の渡し場の番小屋で寒さをしのぐことにした。そこで二人はいつのまにか眠りに落ちてしまった。顔に落ちかかる雪の冷たさで巳之吉がふと目を覚ますと、小屋の入り口に白装束(しろしょうぞく)の美しい女が立っている。その女は茂作のうえにかがみこみ、茂作の顔に凍るように冷たい息を吹きかけた。恐怖におびえる巳之吉は声も出ない。そして、女は急に巳之吉のほうに向き直った……。

 ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーンはもともと東洋に関心を持っていましたが、アメリカのニュー・オーリンズで開かれた万国博覧会で日本の展示物を見てからというもの、日本への思いが断ちがたくなりました。そしてついに、明治二十三年(一八九〇)に来日、やがて帰化までして小泉八雲を名乗ります。それまで、イギリス、フランス、アメリカと、産業革命後の急速な工業化が進む社会で過ごしてきた彼の目には、当時の日本はいまだに前近代的なものが身近な生活の中のいたるところに残されている、エキゾチックなおとぎの国のように見えました。近代的な科学や文明が発展すればするほど、お化けや幽霊が出てくる怪談や、さまざまな怪異現象が語られる奇談は、「そんなバカな話はあるわけない」と見向きもされなくなります。しかし明治の日本では、現代人がすでに忘れてしまったそういう話がまだまだたくさん語られていたのです。そうした日本の、不可思議な、人智の及ばない世界の話、怪談・奇談を、ラフカディオ・ハーンは深い愛情を持って書きとめていきます。もし彼がいなかったら、今日では有名になっている「耳なし芳一」や「雪女」の話も、日本の近代化の波の中に消え去っていたかもしれないのです。

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『ユタとふしぎな仲間たち』 三浦哲郎  


新潮文庫 913.6/Mi67

 みなさんは座敷わらしを知っていますか。東北地方に昔から伝わる言い伝えによると、古い家の座敷の大黒柱あたりから、ひょっこり出てくる男の子がいるそうです。こわい幽霊や妖怪ではありません。座敷わらしは寝ている者をからかって遊ぶのです。かわいらしく何となく憎めない男の子なのです。
 物語は、そんな九人の座敷わらしと東京育ちで東北の村になじめない雄太(ユタ)との交友の話です。座敷わらしの姿や声はユタにしか聞こえません。ユタは彼らと仲間になることでいろいろな経験をし、たくましい少年へと成長していきます。話全体はユーモアに包まれ明るくほのぼのとしたものですが、間引きという悲しい風習を背負っている座敷わらしのせりふを読んでいくと、何となく切なくなってくるところもあります。
 無理せずさらっと楽しく読める小説です。全体的に明るい雰囲気のなか、ちょっとした切なさをこの物語を通じて感じてみてはどうでしょうか。

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『シャーロック・ホームズの冒険』 コナン・ドイル


新潮文庫 933.6/D89

 みなさんご存知の名探偵シャーロック・ホームズが、並外れた観察眼と推理力で大活躍する探偵小説です。シャーロック・ホームズの小説には短編と長編、両方ありますが、この『シャーロック・ホームズの冒険』は最初に出された短編集で、舞台は十九世紀後半のロンドンです。日本でいうと明治時代の中ごろにあたります。
 シャーロック・ホームズは、自分の事務所をたずねてくる依頼人の身なりや表情、指先を見ただけでその人の生活状況や職業、行動パターンまでもピタリと当ててしまいます。そして、まるで楽しんでいるかのように難事件・怪事件を次々と解決していくのです。その手際の鮮やかさに舌を巻き、彼の助手としてその活躍ぶりを記録にとどめておこうとする友人ワトスン。この物語はワトスンが語るという形をとって展開していきます。
 最初の小説が発表されてからすでに一世紀以上がたちますが、「シャーロッキアン」といわれる熱烈なファンが世界中にいて、いまだに人々を魅了し続けているシャーロック・ホームズ・シリーズ。新潮文庫からも十冊が出されています。

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『江戸川乱歩傑作選』 江戸川乱歩 


新潮文庫 913.6/E24

 江戸川乱歩は大正から昭和にかけて活躍した、日本の本格的な推理小説や怪奇小説、いわゆるミステリーの草分けとなった作家です。その名前は、史上初の推理小説といわれる『モルグ街の殺人』(岩波文庫、新潮文庫、光文社古典新訳文庫 所収)の作者であるアメリカの小説家、エドガー・アラン・ポーをもじったものです。今日、優れた長編推理小説に毎年贈られる賞として江戸川乱歩賞がもうけられていることからも、彼の文学界における功績がうかがえます。
 乱歩の作品は、巧妙なトリックがしかけられた犯罪が解き明かされていく話、ゾッとするような不気味な話、いったいこの先どうなるのだろうとドキドキしながら読み進んでいくと、結末に大きなどんでん返しがある話など、読者を飽きさせません。
 乱歩が生み出したキャラクターとして何といっても有名なのは、怪人二十面相と名探偵明智小五郎です。彼らは少年向けに書かれた「少年探偵団シリーズ」に登場し(明智小五郎は大人向けの作品にも登場します)、知力の限りを尽くした息づまる対決を展開します。その対決は「ルパン対ホームズ」を連想させます。昭和十一年の発売当初、当時の少年たちは明智小五郎の優秀な助手である小林少年に自分を投影させて、わくわくどきどきしながら読み進めたのです。 
 ここで紹介した『江戸川乱歩傑作選』は大人向けに書かれた作品九編を集めたものです。もし本格的に乱歩の作品が読みたい場合は、角川文庫に「江戸川乱歩ベストセレクション 全八巻」があります。内容や描写がちょっとグロテスクだったり血なまぐさかったりするのですが、「それはちょっと……」という人は「少年探偵団シリーズ」を読んでみてもよいでしょう。ポプラ社から全二十六巻が刊行されています。
大人向けの本格的な作品にせよ、「少年探偵団シリーズ」にせよ、乱歩のストーリー展開の新鮮さは、作品発表から何十年もたった今日においても失われていません。

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『O・ヘンリ短編集(1~3)』O・ヘンリ 


新潮文庫 933.7/H52

 何の変哲もない書名なので、知らなければ手にすることもないと思いますが、O・ヘンリーは短編の名手といわれた人なので、ぜひ読んでみてください。それぞれの作品は十数ページから二十ページ程度なので、気軽に読むことができます。前に紹介した星新一のショート・ショートのような感じです。ただ、星新一の作品はSFが多く、ブラック・ユーモア的な色合いが強いのに対して、こちらは日常生活の一コマを切り取ったような作品であるところに特徴があります。
 どの作品も最後の最後でどんでん返しがあります。読み終わったときに思わずクスッと笑ったり、なるほどそういうふうにオチをつけたか、と感心したり……。そのどんでん返しに、O・ヘンリーの人間に対する温かなまなざしが感じられ、それがこの短編集の大きな魅力の一つとなっています。

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『古事記物語』 福永武彦


岩波少年文庫 913.2/F79

 みなさんはヤマタノオロチ、因幡(いなば)の白ウサギ、海幸(うみさち)・山幸(やまさち)といった日本の神話を知っていますか。これらはいずれも『古事記』の中に出てくるお話です。『古事記』は古代国家が編さんした歴史書で、その書名はみなさんも知っているでしょう。歴史書というと何か堅苦しく感じられるかもしれませんが、『古事記』にはイザナギノミコトとイザナミノミコトの二神による日本の国土の生成神話からはじまり、たくさんの神々の喜怒哀楽に満ちた物語が描かれている、面白い読み物でもあるのです。
 戦後の日本の学校教育において、これらの神話は全くといってよいほど取り上げられなくなりました。それは、戦前の日本において天皇は神の子孫であるとされ、それを説明するためによく『古事記』が引き合いに出されていたからです。戦後になって、二度と再び天皇を中心とした独裁政治が行われないよう、天皇を神と結びつける『古事記』が忌避されたのです。しかしながら、ここまで民主主義社会が発展した現代に生きる私たちの中に、『古事記』を読んだからといって天皇が神の子孫であるとまともに信じる人は誰もいないでしょう。それよりもむしろ、世界各国どの国も、古代に自分たちの祖先が作り上げた神話を大切にしているのに、日本人が自国の神話を忘れようとしていることのほうが問題であるように思われます。日本の国土の生成神話や神々が織り成す物語は、日本人のもつべき教養の一つではないでしょうか。
 この『わかりやすい日本の神話』は、『古事記』の神話の部分を現代語に直してアレンジしたものです。泣いたり笑ったり、怒ったり悲しんだりするおおらかな日本の神々に出会ってください。『古事記』は神話の部分に続いて、歴代の天皇の事跡についても書かれています。もし興味を持ったらそちらのほうも、現代語に訳されたものが文庫本で出ているので読んでみてください。

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『「岩宿」の発見』 相沢忠洋


講談社文庫 210.23/I98

 人は好きなことにどこまで没頭し、その知識を高めていくことができるのでしょうか。この本は石器に魅せられて、その研究にのめり込んでいった相沢忠洋の自伝的物語です。相沢氏は考古学の研究者ではありません。少年期の生い立ちは必ずしも幸せとはいえず、父母の離婚の後、一家団らんへの思いを抱きつつ孤独の日々を送っていました。行商のかたわら自転車を走らせつつ、遺跡を踏査し遺物をみつけては部屋に持ち帰っていました。孤独だったからこそ、日本人の祖先の生活に思いをはせつつ石器収集に没頭していったのかもしれません。
 その結果、日本における旧石器文化研究の窓が開かれたのです。この本を読んでいくと、一つのことに集中して大きな成果をあげていくことのすばらしさを感じます。今どき流行らないかもしれない相沢氏の生き方を、この本を通じて体感してみるのも良いのではないでしょうか。

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『ギリシア神話を知っていますか』 阿刀田高


新潮文庫 164.31/A94

 オリンピックやマラソンが古代ギリシアに起源をもつことはみなさんも知っていることでしょう。そのほかにも、ふだん私たちが使っていることばのなかには、意外と古代ギリシアに関係するものがたくさんあることがこの本を読むとわかります。それだけ古代ギリシアの文明が偉大だったということでしょう。
 本書では、オイディプスとその娘アンティゴネの悲劇、ヘラクレスの大冒険をはじめ、トロイの木馬、クレタ島の迷宮(ラビリンス)、イカロスの翼、パンドラの壺といった有名なギリシア神話のエピソードがわかりやすく紹介されています。ここに登場するのは、恋をしたり嫉妬をしたり、自分の力を認めてもらうために果敢に困難な試練に立ち向かったりと、とても人間くさい神様ばかりです。この神々が繰り広げる壮大なドラマは、今日までヨーロッパの文学、思想、絵画、彫刻、演劇などに多大な影響を与えてきました。ヨーロッパの文化に興味がある人は、ぜひこの入門書を手にとってみてください。そして、もしギリシア神話をしっかり読んでみたいと思ったら、トマス・ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』(角川文庫、岩波文庫)や呉茂一『ギリシア神話』(新潮文庫)に挑戦してみてください。
 阿刀田高氏は同じシリーズで、『新約聖書を知っていますか』、『シェイクスピアを楽しむために』といったものも出しています。こちらのほうもおすすめです。
 それにしても、本書で阿刀田氏はしばしばわき道にそれて、文学、演劇、映画などについて縦横無尽に評論しています。ギリシア神話をひとつのネタにしてこれほど語ることができたらどんなに楽しいことでしょう。みなさんもたくさん本を読んで、知識・教養を高めていきましょう。

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『永遠平和のために』 カント


集英社 134.2/Ka59

 隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。〈中略〉いつも敵意で脅(おびや)かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。
(『永遠平和のために』池内紀 訳 集英社より)

 この文章を初めて読んだ時、ほんの少しですが衝撃を受けました。平和に暮らしていることが「自然な状態」だと思っていたからです。しかし、哲学者カントはその逆を指摘しました。
 ここから何を学ぶ必要があるのでしょうか。残念ながら、人と人、国と国というものは利害のぶつかり合いを避けることができないのかもしれません。このことをしっかり認識したうえで、油断をしてはならないということなのでしょう。
 永遠に平和を維持していくためには、さまざまな敵意があることを忘れず、積極的に「平和」を根づかせなければならないのです。そのために日本国として何ができるのか。個人として何ができるのか。  「憲法9条を維持すべきか、改めるべきか」という対立軸はこの一点にかかっているのではないでしょうか。
 哲学者が書いた難しい内容ではありますが、中高生向けにやさしく訳されてまとめられています。混沌(こんとん)とするグローバル社会のなか、平和を維持するために何が必要なのでしょうか。しっかりと考えていく手引き書としてぜひ手に取ってみましょう。

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『十代のきみたちへ ―ぜひ読んで欲しい憲法の本』 日野原重明


冨山房インターナショナル 323.1/H61

 決して、「改憲」に反対するための推薦著書ではありません。
 百歳を超えてもいまだ現役の医者である日野原重明さんが、ぜひとも十代の人々に伝えたいとの思いで記した渾身(こんしん)の著作です。「平和」の大切さを強く訴えているものともいえるでしょう。
 「改憲」という流れはもしかしたら必然かも知れません。しかし「時代に合わない」とか「押しつけられたものだから?(実際にはそういえない部分もあるのだが)」とか、一見分かりやすい論法で安易に変えることに疑問を持たず、賛成することでよいのでしょうか。
 大人ならいざ知らず、子ども(十代の間)はきれいごとでも「理想」にむけて、もがき、考えることが大切かも知れません。教育の現場では、そのことを追求するために、考えに考えを重ねることが必要でしょう。
 その先に時間をかけて苦しんだすえに、「改憲」という選択に進むということが大切ではないでしょうか。
 改めて現憲法の「理想」をかみしめてみてください。日野原さんの優しい思いやりのある文体から、このような想いを力強く感じてみるのもよいでしょう。

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『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』


角川ソフィア文庫

 春は、曙。やうやう白くなりゆく、山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびき  たる。夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛び違ひたる。・・・

 有名な『枕草子』の冒頭の部分です。
 作者の清少納言は今からおよそ千年前の平安時代中期、摂関政治の時代に中宮定子に仕えた女房でした。千年前に書かれた随筆ではありますが、清少納言のみずみずしい感性から生まれたその文章には、現代人が見過ごしがちになっているものに改めて気づかせてくれたり、時空を超えて、同じ人間として共感させられたりするものがたくさんあります。また、当時の宮廷文化や、貴族たちのありのままのすがたが生き生きと描かれているのもこの作品の大きな魅力です。
 古典はとっつきにくいという印象から、学校の授業以外で自分から『枕草子』を読んだことがあるという人はあまり多くないかもしれません。今回ここでおすすめした角川ソフィア文庫の『枕草子』は、有名な「段」をピックアップし、読みやすい現代語訳がつけられています。古文が苦手、という人は現代語訳だけを読んでみるのもよいでしょう。また、この本は理解を深めるためのミニ知識がいろいろなイラストで紹介されていて、知的な楽しみも味わうことができます。
 この入門書を読んで『枕草子』ファンになったら、ぜひ全編の読破にチャレンジしてみてください。

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『ロウソクの科学』ファラデー


岩波文庫、角川文庫 431/F15

著者のファラデーは高校の「化学」の教科書にも出てくる科学者です。日本でいうと江戸時代の末期にあたる時代に活躍しました。
 本書は、ロウソクに火がともるというごく身近な現象を取り上げ、そこにはどのような科学的法則が働いているのかということから始まって、科学の面白さ、奥深さを子どもたちに伝えようとしたファラデーの講演を書籍にしたものです。
 多くの人たちは、ロウソクに火がともっているという光景にとくに気を留めることはないでしょう。しかしながら、ロウソクの炎は強すぎてすぐにロウを溶かしきってしまうこともなく、逆に弱すぎて途中で消えてしまうこともなく、絶妙なバランスで最後まで燃え続けるというのは、考えてみれば不思議なことですね。そこにはどのようなしくみがあるのでしょうか。このように、しばしば科学という学問はごく身近なところにある事柄や現象に対して素朴な疑問を持つところから始まります。ぜひみなさんも身近なところに「?」を感じられるような好奇心を持てるように心がけましょう。もし「?」を感じられたら、その疑問を大切にしてみましょう。その先に思いもよらない面白い世界が広がっているかもしれません。

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『ソロモンの指環』 コンラート・ローレンツ


ハヤカワノンフィクション文庫 481.78:L88

 本書の題名となっている「ソロモンの指環」とは、『旧約聖書』に書かれた物語の中でソロモン王が神様から授けられた指環のことで、これを使えば動物の話がわかるという伝説があります。
 著者は、当時軽視されていた動物の行動の観察という古典的な手法を厳密に用いて動物行動学という分野を確立させ、ノーベル賞も受賞しました。ノーベル賞受賞者の著作なので、さぞ難しいことが書いてあるのかと思いきや、動物たちの愛らしい行動や意外な行動、そしてそれを見守る著者の体験がユーモラスな筆致で描かれており、楽しく読み進めることができます。
 著者は動物の行動をよりよく観察するために、様々な動物を自宅で飼育します。しかも、できる限り自然な生態が見られるように拘束しないかたちで。自宅で野生動物を放し飼いにしたらどのようなことが起こるでしょうか。家具は? 絨毯は? 生半可な動物好きにはなかなかできないことです。そうした動物との日々の中で、著者はかえったばかりのハイイロガンのヒナにじっと見つめられ、そのときから著者はこのヒナに自分の母親であると信じ込まれることになってしまいます。この経験が「刷り込み」の研究につながっていきます。
 本書を読むと、自分の好きなことを突き詰めて探究していくというのはこういうことなのだということがよくわかります。著者の動物に対する深い愛情と研究に対する情熱が読むものをぐいぐい引き込んでいく魅力的な本です。

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『ごもくめし』 大妻コタカ 


大妻学院 289.1/O89

 学祖大妻コタカ先生は、一八八四年に広島でお生まれになりました。その当時、義務教育は尋常(じんじょう)小学校の四年間だけで、女性には、一九四五年十月まで参政権も認められていませんでした。今とは、女性への社会的支援が全く違う時代、そして、十八歳で上京していらしたときに、燃える向学心以外何の財産も持たないコタカ先生が、このように大きな学院を遺されたのは、先生の志が脈々と次の世代へと受け継がれ、現代に生きているからです。
 コタカ先生は、三歳でお父様を、十四歳でお母様を亡くされました。二十四歳で家塾(かじゅく)を開き、八十五歳でお亡くなりになるまで、様々な困難にあわれますが、どのような苦しい場面であっても不撓不屈(ふとうふくつ)の精神、報恩感謝(ほうおんかんしゃ)の心で前へ歩まれていらっしゃいました。
 「ごもくめし」は、コタカ先生が、七十七歳の時に著された本です。先生の生い立ち、良馬(りょうま)先生との出会いとご結婚、家塾から学校へ、関東大震災での被災状況、第二次世界大戦時の大妻の様子など、いずれのページからでも読めるようにコタカ先生が記されています。
 コタカ先生のたくましい生き方は、私たちに勇気を与えてくださいます。コタカ先生の思いを知ることで、皆さんの大妻多摩中学校の生活は、さらに充実されることでしょう。

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『君たちはどう生きるか』 吉野源三郎


岩波文庫 159.5/Y92

 主人公は、まわりからコペル君と呼ばれている中学一年生の本田純一君です。書名はちょっと堅苦しいですが、コペル君が学校生活を送っていくなかで不思議に思ったことや、友人関係に悩んだりしたことについて、叔父さんがいろいろとアドバイスをしてあげる形で話が展開するので、すらすらと読み進めることができます。
 この本が最初に出版されたのは昭和十二年(一九三七)で、戦前のことですから現在とはかなり時代状況も違います。でも読んでみると、みなさんが学校生活を、あるいはふだんの日常生活を送っていくうえで参考になることやハッとさせられることがきっとあると思います。それだからこそ、本書は世代を超えてロングセラーとなっているのでしょう。
 本書は、軍国主義が世の中にはびこっていくなかで、正しいものの見方・考え方ができる健全な少年・少女を育てたいという願いから書かれました。しかし、そうした願いも時代の流れを押しとどめることはできませんでした。本書が出版された直後に盧溝橋(ろこうきょう)事件が起こり、日中戦争がはじまってしまいます。現代社会において、本書に登場してくるような少年・少女たちがまっすぐに育って社会を支えていけば、これからの日本はきっといい世の中になっていくことでしょう。

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『14歳からの哲学』 池田晶子 


トランスビュー 100/I32

 「哲学」というと、デカルト、パスカル、ニーチェといった哲学者の名前が浮かんでくるでしょうか。『広辞苑』を引いてみると、哲学とは「世界・人生の究極の根本原理を追求する学問」とあります。なんだか難しそうですね。でも本書では、著者の池田晶子さんは語りかけるような文体で、人が生きていくうえで大切な物の見方や考え方を示してくれています。
 池田さんはこの本のなかでたくさんの問いを発しています。例えば冒頭の部分では、
 「君はいま中学生だ。どうだろう、生きているということは素晴らしいと思っているだろうか。それとも、つまらないと思っているだろうか。」
と問いかけます。読んでいるほうは知らず知らずのうちに、哲学的な思考の世界に引き込まれていきます。
 本書は副題として「考えるための教科書」と書かれています。ふだんモヤモヤしていたことが、新しい見方や考え方を提示されることによってスッキリしたり、また逆に、何も疑問に感じていなかったことに関して問いかけられ(例えば、心はどこにあるのか、といったこと)、モヤモヤしてくることがあるかもしれません。いずれにせよ、「考える」ということがよりよい人生を送るためにとても大切で、また楽しいことであると気付かせてくれる一冊です。

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『生き方』 稲盛和夫 


サンマーク出版 159/I44

 著者の稲盛和夫氏は、京セラやKDDIを設立し、それらを一流企業に育て上げた当代随一の経営者です。六十五歳の時に得度して仏門に入ったことでも話題にもなりました。
 本書は、稲盛氏がどのようにして自分の会社を成功に導いたのか、という話からはじまり、書名にもあるとおり、人間の生き方にまで論が及んでいます。企業人、社会人として成功するためのノウハウやものの考え方ばかりでなく、死生観や人生論までもが語られているのです。生涯自分の心を磨き続けること、「足るを知る」こと、「利他の心」を持つこと、このような氏の考えが、氏の経営者としての経験とあわせて説得力をもって語られていきます。このような経営哲学を持つリーダーがいたからこそ、京セラやKDDIは大きな成功を収めることができたのでしょう。
 中学生からお年寄りまで、幅広い層に読まれているベストセラーです。みなさんがこれからの自分の人生を考え、勉強したり、将来の仕事について思い描いたりするときに、大きな指針を与えてくれる一冊です。

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