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#25 トルコの共和国記念日【トルコ滞在記】

更新日時:2022年11月8日

#25 トルコの共和国記念日【トルコ滞在記】

トルコ建国の父、ケマル・アタテュルク



#25 トルコの共和国記念日 (2014年10月29日)

日本への一時帰国から帰ってみると、イスタンブールはすっかり秋の景色になっていました。ボスフォラス海峡には朝、濃い霧が立ち込めるようになりました。日本よりも寒い気候で、夜などはストーブをつけています。コンヤという内陸の街では夜は5℃にまで下がっています。トルコというと年中暑いというイメージを抱くかもしれませんが、冬にはイスタンブールでも積雪があるのです。

さて、今日10月29日はトルコの「共和国記念日」です。
前日28日の午後から29日終日、休みになります。トルコでは最も大事な祝日です。

第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国にはギリシアをはじめイギリス・フランス・イタリアなどの連合国軍が侵入し、その占領下に置かれました。トルコは亡国の危機にさらされたのです。その時に抵抗運動のリーダーとして民衆を率い、連合軍をトルコから追い出し、弱体化したオスマン帝国を滅亡させて新生トルコ共和国を成立させたのが、軍人のムスタファ・ケマルでした。

すでに彼は第一次世界大戦中に、イスタンブールを攻略しようとした連合軍を「ガリポリの戦い(チャナッカレの戦い)」で阻止し、名を馳せていました。数日前にもこのガリポリの戦いのアニメがテレビで放映されていました。(ちなみにこのガリポリの戦いを提唱したのはのちのイギリス首相となるチャーチル海軍大臣でした)

トルコ共和国が成立すると彼は初代大統領に選ばれました。
彼はトルコ共和国を近代国家にするために多くの改革をおこないました。最も大きなものは政教分離ではないでしょうか。イスラム教を国教とするという条項を憲法から削除しました。トルコが比較的緩いイスラム教の国だと言われるのはこのためです。ケマル・アタテュルク自身もお酒が大好きだったというのはトルコでは公然の秘密です。

また、アラビア文字を廃止して、ラテン文字(アルファベット)を採用しました。日本人はイスラム教=アラビア文字というイメージを持っている人が多いのですが、トルコの人々は礼拝の決まったフレーズ以外はアラビア語を読めませんし、話せません。

さらにそれまでのトルコではすべての人が姓を持っていたわけではなく、彼は全国民に姓を持つように義務付けました。そこでトルコの人々はいろいろ考えて姓を持ったのですが、結構面白い姓がたくさんあります。私の周りのトルコ人を見てもたとえば…

Demir(デミル)さん    (日本語で「鉄」さん)
Cay(チャイ)さん     (日本語で「小川」さん。そのまんまですね)
Arslan(アルスラン)さん  (日本語で「ライオン」さん)
Savas(サヴァシュ)さん  (日本語で「戦争」さん)

と、いろんな興味深い姓があります。

このような近代改革をすすめたムスタファ・ケマルにはアタテュルク(トルコの父)という尊称が議会から授けられました。アタは父、テュルクはトルコという意味です。彼は現在でも「トルコ建国の父」として多くの人から尊敬されています。
全国どこの学校や公的機関にも彼の肖像画や銅像があります。紙幣にはすべて彼の肖像が描かれ、イスタンブールの空港の名前は「アタテュルク国際空港」です。

しかし、彼の一連の近代改革が西洋化を進め、イスラムの良き伝統や文化を衰退させてしまったとして批判的な意見を唱える人もいないわけではありません。そこも押さえておかないとバランスを欠くでしょう。

トルコセミナーでは、首都アンカラにあるアタテュルク廟を訪問します。ムスタファ・ケマル・アタテュルクについても事前学習をしておきましょう。

※本連載は、2014年~2015年にかけて掲載していた記事の復刻になります。
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