教員つれづれ草 255段
更新日時:2020年3月17日
国語科・小野による本の紹介コーナーです。
国語科・小野による本の紹介コーナーです。「コーナー」といっても、近年ずっとご無沙汰で、最後に書いたのが8年前ですから、サボり過ぎですね。
第13回の今回紹介するのは、戸田山和久『教養の書』(筑摩書房、2020年2月)です。
戸田山氏は名古屋大学の教授で、専門は科学哲学。かつて『新版論文の教室』(NHKブックス、2012年8月)というたいへん面白い本を読んで以来、戸田山氏の本を何冊か読んできました。今度、その戸田山氏が、大学の授業をもとにして教養の本を書くと知り、「それ、面白いに決まってる」と思い、出版後すぐに読みましたが、やはり面白かった。そして為になった。しかし、本当に為になるのは、私のような中高年よりも、これから大学生生活を始めようとしている高校3年生だろうと考え、ご卒業のタイミングで紹介します。
本書が想定している読者層は「大学新入生、高校生、ひょっとしてちょっと背伸びをした中学生諸君」です。戸田山氏は読者に向けて、「キミが大学に行くことの人類にとっての意味」を説きます。その意味とは、人類が築きあげ、次世代に伝え続けてきた「知的遺産の継承の担い手(リレー走者)になってもらうこと」です。そして「このような人がいないと、人類の幸福な生存は難しくなる。……キミが学ぶことは人類に必要とされている」と言います(35~36頁)。
では、どうすれば教養を身につけることが出来るのでしょうか。そもそも、教養とは何なのか。知識があれば教養があるということなのでしょうか。
教養とは何かという定義づけは第7章に書かれていますが、その前の、「知識」「知識プラスアルファ」について書かれた第3・4章がとても面白い。400頁あるこの本の全てを読まないにしても、この二つの章はしっかりと読んでほしい。私が面白いと思った箇所をいくつか紹介しましょう(前後の文脈を取り払って短い一文だけを抜き出すことには、著者の本来の意図を充分には伝えない危険性がありますが)。
文化というものは多少の悪徳の匂いを伴う。(54頁)
過度の倫理的潔癖さは反知性主義の餌食になりやすい。(55頁)
教養がない人の場合、流暢なスピーキングを身につけるということは、自分がうすっぺらな人間であることをより効率的・効果的に相手に伝える、という結果を招くから要注意。(59頁)
教養にはどうやら「自分をより大きな価値の尺度に照らして相対化できること」が含まれるようだ。(71頁)
教養ある人は……この世には自分を超えた価値の尺度があるということがわかっている。(72頁)
他にも、面白い箇所・心に残る言葉がたくさんあります。例えば、外国語を学ぶ意味、しかも英語以外の言語を学ぶ意味(132頁・384頁)。大学生以降、社会人になっても文書を書き続ける人生だ、という指摘(320頁以降、本当にその通りだ!)、などなど。自己を相対化することの重要性を述べた第12章も皆さんには有益だと思います。
ここでは、短い言葉だけを具体的に紹介しましたが、最初から丁寧に読んで著者の言いたいことを読み取って、しっかりダイアローグしてください(ダイアローグに関しては74頁を参照せよ)。話し言葉で書かれていて、授業の講義録のようで読みやすい。お得意の映画ネタを交えて脱線の連続、と見せかけて実は本筋としっかりつながっている。きっと授業も面白いんだろうなあ、と想像される本です。
新型コロナウイルスの感染拡大で、例年とは違った春になってしまいました。そのぶん、時間はあるのではないでしょうか。特に、4月から大学生生活が始まる皆さん、ぜひ熟読して、教養への道を歩み始めてほしい。そして、社会の人類の進歩に貢献する有為な人材となることを期待します。
国語科 小野