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学校生活

【国際PG】ニュージーランド ターム留学 中間報告

更新日時:2023年2月6日

【国際PG】ニュージーランド ターム留学 中間報告

【国際PG】ニュージーランド ターム留学 中間報告

 2023年1月13日に、高校2年生3名と高校1年14名がニュージーランド(以下NZ)のターム留学に出発しました。大妻多摩では3年ぶりのターム留学です。1月は学校の夏休みであるため、ターム留学生たちは2週間、オークランドでホームステイをしながら語学学校に通いました。2月からは最大2名ずつに分かれて、NZ各地の高校に派遣されます。  オークランドでの生活を終えるにあたり、17名のターム留学生は「中間報告書」を書きました。そのうちの4名の作品を紹介します。






高校2年 AYさん

 ニュージーランドにきて一番驚いていることは、自分がよそ者だという感じがしないことです。親元を離れて外国に行くともっと孤独感を感じるものだと思っていましたが、どこでも多種多様な人々が当たり前に共存し、人と違うことが当たり前であるこの国では、むしろ日本にいた時より自分を認められ、そしてより他者を尊重する気持ちが生まれているような気がします。レジで買い物をするときも、まずは目を合わせてあいさつし、最後は笑顔でお互いにお礼を言います。人とのコミュニケーションの大切さを改めて感じるとともに、今目の前にいる人を尊重する気持ちを日本に帰っても忘れずにいたいと思っています。バスのタイムテーブルがコロコロ変わること、好きな服が着られること、英語が母語でない人も多く完璧な英語を話せなくてもあまり恥ずかしくないことなど、毎日発見があります。

 語学学校の授業では、リーディングのほかにワードゲームやちょっとしたお題についての話し合いを通して英語を学んでいます。同じクラスには日本人と韓国人がいますが、韓国から来た生徒と話すときは英語での意思疎通の難しさを感じる一方で、通じた時には、違う国から来た同年代の人と何気ない会話ができることをとてもうれしく感じます。中には日本語が少しわかる人やわずか13歳で留学している人もいて、多くの刺激をもらっています。

 ホストファミリーとの生活は、最も難しく感じていますが、どうすれば言いたいことが誤解なく伝わるか、どうすればお互いに気持ちよく生活できるか日々試行錯誤しながら学んでいます。いまだにホストファミリーが話しかけてくれても思うように話が続けられなかったり、何かしてもらっても十分に感謝の気持ちを伝えられなかったりしてもどかしさを感じることばかりですが、ホストファミリーとの生活の中で英語を吸収しているからか、最初のころよりだいぶコミュニケーションが取れるようになってきたと思います。見知らぬ私を受け入れてくださったこと、私のつたない英語にも真剣に耳を傾け、英語でコミュニケーションをとる勇気をくださったことに、本当に感謝しています。

 現地校に移ってからも、オークランドで学んだことを生かしつつ、新しいことに挑戦していきたいです。



高校1年 KMさん

 ごきげんよう。ニュージーランドの季節は今夏で、とても暖かいです。ですが日本の夏のように気温が高くなく、長袖で過ごせるくらいの気温です。まず最初に語学学校について紹介します。

 私は今DUKE Institute of Studiesという語学学校で、二週間の研修中です。この学校には日本人生徒の他、韓国人生徒も多くいるので、学校内では日本語と韓国語と英語の3カ国語が聞こえてきます。

 クラスは留学前に行なったテストの結果で分けられているので、自分のレベルに合った授業を受けることが出来ています。ですが、授業の全てが英語なので先生が何を言っているのか、何をしたらいいのかがわからない時もあります。そういう時は、クラスメイトと協力して授業を受けています。次に私のホストファミリーについて紹介します。

 私は2週間で2家族のホストファミリーに出会いました。1家族目はホストブラザー3人とホストマザーの家庭で、2家族目はホストシスター2人とホストマザーの家庭でした。 1家族目はホストブラザーがずっと走り回ったり、バスケットボールをしたり常に体を動かしていました。家から歩いて約10分でビーチに行くことが出来たので、何度か行きました。ニュージーランドは大体夜9時まで明るいので、夜ビーチへ行きました。すると、空に2本の虹をみることが出来ました。本当に驚きました。

 2家族目はホストマザーが面白い方で、私はいつも笑っていました。ホストシスターとは一緒にカードゲームで遊びました。一度夕食で、日本食を作ってあげました。ホストファミリーは「美味しい!」とおかわりまでもしてくれて、嬉しかったです。

 最後に、、私は「絶対に自分はならない!」と思っていたホームシックになりました。ニュージーランドの人は寝る時間が早く、子供は7時半くらいに寝ていました。なので夜になると家の中が静かになり、自分の家族に会いたくなりました。また、うまく家族と英語で会話が出来なかったりして、本当に日本に帰りたくなりました。ですが、そのことをホストファミリーや同じ家にホームステイしていた日本人に伝えると私を励ましてくれました。そして残り2ヶ月を大切にして頑張ろうと心の中で決めました。このことから、ホストファミリーになんでも相談することが大切だと気づくことが出来ました。

現地校でも大変なこともあると思いますが、頑張ります。



高校1年 YKさん

 スマートフォンを日本の家に忘れてきたことがこの2週間で一番のハプニングだった。忘れたことに気づいたのは成田空港だった。とにかく焦ってパニックになってしまったのが印象深い。仲介業者のスタッフさんにも相談し、現地でプリペイド携帯を購入することで決定した。自分で携帯を購入することができるのか、購入するまでに何かあったらどうすればいいのかなど、とにかく不安でいっぱいの状態で飛行機にのっていた。機内には日本人のキャビンアテンダントさんがいらっしゃったため、入国についての質問もすることができた。オークランドに到着し、語学学校でオリエンテーションを受けたあと、ホストファミリーと初めてあった。事情を説明し、スマートフォンを買いに行きたいというと、ホストファザーが携帯会社が入っているショッピングモールと、家電量販店に連れて行ってくれた。店員さんに自分から事情を説明し、ホストファザーも手伝ってくれ、無事にスマートフォンを買うことができた。このような経験をして、私は、周りに助けてもらいながらも、自分でなんとかできることがわかった。また、外国の航空会社に勤めている日本人スタッフさんのありがたさにも気がつくことができた。

 ニュージーランドに行って驚いたことは、走っている車のほとんどが日本車であり、車内のボタンや、車のモニターの文字が、日本車以外でも日本語で表記されていることである。ホストファミリーに乗せてもらったのはトヨタとBMWの2台だが、どちらもモニターが日本語で表示されていた。また、ニュージーランドはアメリカなどと違って、日本と同じ右ハンドル左車線である。ニュージーランドは日本車の中古が多いという。また、ニュージーランドにいる人たちは様々な人種であるということ、そして何より、アジア系の顔立ちをしている人が多いことである。私がホームステイした家庭は、ご夫婦ともにイランから来たという方々だった。娘が2人おり、そのうち一人が中国人と結婚しているという。バスに乗ると運転手さんがアジア系だったり、学校の近くにあるコンビニを経営しているのも中華系の男性だった。逆に、アフリカ系の方々はあまり見かけていない。


 人といえば、私は現地の人の人柄がとても好きだ。朝、バス停に向かって長く急な坂を一生懸命登っていると、通り道で工事していた作業員の男性が「おはよう!良い一日を!」と遠くから声をかけてくれた。私が「あなた達も良い一日を!」と声をかけると、もうひとりの男性が「この坂をいつも歩いて登ってんの!?朝からすごいね!頑張ってよ!」と応援してくれた。これは近所だけではない。お店にいても困っていたら話しかけてくれるし、手伝ってと頼めば、嫌な顔一つせずに対応してくれる。学校の授業で30人近くいる生徒が学校に近い、町の図書館へ急にお邪魔しても、司書さんは嫌な顔ひとつせず、笑顔で図書館を案内してくれた。日本ではなかなか見ない光景だと思う。私はこのような海外の人柄が大好きだ。外国人でもそうでなくても仲良くなることができ、親しく接してくれるところが本当にすごいと思う。


 語学学校では課外授業もあった。他のクラスでは海に行ったり、アイスを食べに行ったりしていたが、私のクラスは、基本教室内で論文のような文を決められたお題で書いていた。一度だけ近所の図書館へ行った。そこには日本との違いがたくさんあった。10代向けの本がおいてあるコーナーには、子供に向けたLGBTに関する絵本や小説がおいてあった。また、「ハイキュー」や「聲の形」などの、日本の漫画の英語バージョンがおいてあった。場所は小さいが、日本コーナーには、日本語の小説や、「ワンピース」、「名探偵コナン」などの漫画が多数おいてあった。好きな漫画の英語バージョンを見て、ニュージーランドにも同じ漫画が好きな人がいるかもしれないということを知って、とても嬉しかった。

 私にとって楽しかった時間は、学校の放課後だった。他の留学生と一緒に学校帰りに近くの浜辺でアイスを食べたことは忘れられないくらい楽しい思い出だ。浜辺に行く前は、近くにある小さなショッピングモールでコスメや洋服、雑貨をみて回った。東京ではできないようなことがたくさんできた。

 また、ホストマザーが私ともう1人の大妻多摩生を学校の近くにあるビーチと近くで開催されていた”Sunday’s Market”に連れて行ってくれたこともあった。ビーチはとてもきれいで、休日だったため、家族連れや、犬の散歩などで賑わっていた。この市場には、ソーセージや、ドーナッツなどのジャンクフードを売っている店や、八百屋さん、洋服やアクセサリーを売る店や、雑貨屋さんなどがあった。各個人個人が店を市場に出していた。店を出している人の半分くらいがアジア系の人だった。中には、日本のアニメの、非公式であると思われるキーホルダーを出している店もあった。市場にあった店で一番珍しいと思ったのは、絨毯を売っている店だ。本物かはわからないが、看板には、”ペルシアン&アフガンカーペット”と書いてあった。他にも、GUCCIやCHANELのロゴの入った財布やアクセサリーが$ 15、日本円でだいたい1500円前後で買うことができる。とても楽しい買い物ができた。

 生活する上でとても勉強になったのはATMやキャッシュパスポート、そしてお金の扱い方だと思う。今までお金に関して、日本で一番気にしていたのはお小遣いだけだった。最悪お小遣いが少なくなっても生活はできるし、親もいるから気にしていたと言ったが、ものすごく気にしていたわけではなかった。ただ留学に来てから、とにかくお金をどう消費しないかを考えながら行動した。また、ATMからお金を引き出す方法も学んだ。最初はやり方が分からなかったため銀行にいたスタッフの方が丁寧に教えてくれた。学校の近くに安全な銀行を見つけたことが幸いだった。この留学をきっかけに、今後の人生でも大切なことをいくつか学んだ。



高校1年 KAさん

 飛行機はニュージーランド便だったため、CAがニュージーランドの方だった。そのため、そこで初めて英語で会話しなくてはいけなくなった。「なんのご飯がいいか」や、「扉を閉めるか」などの簡単な会話であったが、これからこの言語で会話しなくてはいけないのだと、強く実感した。また、日本と違って男性のCAの方が多くて驚いた。CAの仕事には力仕事も多くあると思うため、日本の飛行機も男性のCAの雇用をもう少し増やしたらいいと思う。

 ニュージーランドに着くと、風が吹いていて、空が広く、とても気持ちがよかった。建物一つ一つがあまり高くなく、緑が多いためこう感じたのだと思う。大都市なのにも関わらず、緑がとても多いのが不思議だった。木の種類も日本と全く違って、南国にあるような木が多くあった。また、通る多くの車が日本のトヨタなどの車だった。ホストファミリーの車も日本の物で、操作ボタンに書いてある文字が日本語だったため、いつもどうやって読んでいるのか不思議だった。

 語学学校に着いて、オリエンテーションを受けた時、現地の英語の訛りを初めて耳にし、聞き取ることが難しく、この先のニュージーランドでの暮らしが、とても不安に感じた。ホストファミリーと合流し、家に向かう途中、不思議な交通整備の仕方をしていて驚いた。交差点のところに円を作り、そこを回る事で方向を変える。それによって信号を使用しなくて済む。日本もその方法を用いれば、電力の節電ができるのではと考えた。


 ホストファミリーの家の近くに海があったため、連れて行ってもらった。とても綺麗で毎日この景色を見ることができると思うと、心が躍った。砂浜の多くを貝殻が占めていて驚いた。日本で海に行った時、必死に貝殻を探していた自分がおかしく思えた。日光が思っていた以上に強く、長袖を着て行ったが、現地の人は半袖半ズボン姿で、帽子もかぶっていないため、肌は大丈夫なのかと疑問に思った。日本と同じで、スズメや鳩が町の中を飛んでいた。しかし、ニュージーランドにしかいない鳥もいて面白かった。

 語学学校では、日本から来ている人や、韓国から来ている人もいた。歳もバラバラで様々な人と交流することができた。ホストファミリーのことや、ここでの暮らしの様子などを他の生徒と共有できたことが嬉しかった。授業では現地で使う言葉を学んだり、実際に生徒同士で話して、会話の練習を行ったりした。他にも、ニュージーランドの歴史など、国の情報も知ることができた。しかし、授業は全て英語で行うため、聞き取るのにすごくエネルギーを必要とする。思っていた以上に脳の疲れを感じた。

 授業の中で、図書館に行くことがあった。図書館の中には、マオリの本が置いてあるゾーンがあった。街中でも、よくマオリ語を見かける。ニュージーランドの人口の7%ほどをマオリの人々が占めている。ニュージーランドの人々が、先住民族の文化をとても大切に思っているということを感じることができた。

 学校の後、友達と近くのショッピングモールに行って、買い物をした。全てが英語で書かれているため、どこに何があるのか読み取るのに、とても苦労した。また、商品のデザインがカラフルなものが多く、日本人との感覚の差を感じた。雑貨が売っている店に行った時、サンリオなどの日本のキャラクターの商品が売っていた。ニュージーランドでも日本のものが、人々に親しまれていると知り、嬉しく思った。また、日本と比べて少しだけ物価が高い。シュシュ一つでも千円ほどして、日本の百円ショップのありがたみを感じた。

 毎日、ホストファミリーの家まではバスを利用した。バス運転手の方が、ラジオや曲を、音を出してかけていて驚いた。窓がとても大きく、座席も広いが、日本と比べて利用客が少ない為、広々としているように感じた。

 ニュージーランドは、他の国と比べて、治安がいい。そのため、小さい子が一人でバスを利用していたり、子供だけで遊びに来ていたりする。また、お店などでわからないことがあり、質問をした時、丁寧に答えてくれた。二週間で何度も、ニュージーランドの人々の暖かさを強く感じた。

 実際に、ホストファミリーと会話をするとその難しさをよりはっきりと感じた。紙の上で文を作る時とは全く違って、頭が上手く動かず、文を構成できなくなって、最終的に簡単なことしか話せなくなる。そして、話せないのが怖くなり無意識のうちに会話を早く終わらせるようにしてしまう。また、コミュニケーションにおいての感情表現の仕方が日本とは全く違う。日本では、話す時相手が不快にならないように、微笑みながら話を聞いたり、相槌をする時、よく笑ったりして反応する。しかし、ここでは本当に面白いことがあった時などしか笑わず、愛想笑いというものをあまりしない。その文化の違いにより、感情を上手く読み取ることができず、ストレスを感じてしまった。三ヶ月間のうちに、緊張せず話せるようになるために、会話に慣れ、単語力をつけ、会話表現を自分で勉強するようにしようと思う。

 日本に帰ってきた時、この留学期間の経験が、一生の宝だと思えているように、精一杯頑張ろうと思う。