OTSUMA TAMA Junior and Senior High School

学校生活

【生徒会】3.11に寄せて【2019年度】

更新日時:2020年3月11日

【生徒会】3.11に寄せて【2019年度】

生徒会

3.11せて

 東日本大震災。この大地震は、多くの人の命と、かけがえのない日常を奪っていきました。

被害にあわれた方々に深くお見舞いをすると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り いたします。

 

 大地震が起こってから年もの月日が流れようとしている今、日本に激震を与え、多くの人の脳裏に焼き付いていた痛ましい光景は、忘れ去られていっているのではないでしょうか。未だに癒えていない被災者の方の心の傷や、津波によって失われたものが、社会の中であまり注目されなくなってきたように感じます。

 

 本校の生徒会では、2011年の冬から、被災地の一つである岩手県岩泉町への訪問と交流を続け、ここ数年は陸前高田との交流も続けています。また、岩泉町の方々には、毎年本校の文化祭で、地元の魚や野菜などの販売をしていただいています。昨年も、8月下旬に岩手県の被災地を訪問しました。

 

 被災地訪問には有志の一般生徒と生徒会役員、そしてOGが参加し、陸前高田市、宮古市田老地区、岩泉町を訪れました。陸前高田市での、奇跡の一本松をはじめとする震災遺構の見学や民泊、また岩泉町では龍泉洞前の川での釣りなど、現地を訪れなければ体験できない貴重な時間を過ごすことができました。特に楽しみにしている生徒も多い陸前高田での民泊では、地元の方々がフレンドリーに接してくださり、また川や海などに連れて行ってくださったおかげで、心おきなく自然の美しさや空気の綺麗さなどを味わえました。

 

 また、毎年訪問させていただく中で、今ではほとんど瓦礫のない街並みなどを見て、復興が着実に進んでいるのだと感じる場面もあります。特に、津波の被害を受けた陸前高田の道の駅が、昨年から仮設施設ではなく再建された場所で営業を開始すると伺ったときは、私たちも明るい気持ちになれました。

 

しかし、皆が震災前のような生活に戻ったわけではありません。今でも被害の恐ろしさを伝えるものは残っています。陸前高田市では、被災した建物のうち「その敷地内での犠牲者が出ていないこと」などを条件として、その場所を「震災遺構」として残しています。その一つに、当時の校長の適切な判断により生徒と職員の全員が無事に避難できた「気仙中学校」があります。気仙中学校は鉄筋コンクリート造りの階建と頑丈なつくりでしたが、 津波により完全に浸水しました。窓ガラスは無くなり、建物の基礎はえぐられたようになっていて、遠くから見ていても辛くなるような光景でした。また、現地のガイドの方から、津波は堤防だけで防ぐことのできるものではなく、個人の意識を高めてこそ、本来の意味での防災を行えるのだという話を伺いました。この話を聞いて、震災被害の伝承をしていくことの大切さを改めて感じました。

 

 東日本大震災によって、万人以上もの犠牲者が出て、未だに多くの行方不明者がいて、 未だに故郷に帰れない人がいるというのは、まぎれもない現実です。現実と向き合うのは時につらく苦しいですが、今こそ当時のことを見つめなおして様々な教訓を後世に伝える努力をするのが、今を生きる私たちにとって大事なことなのではないでしょうかみなさんもこれを機に、改めて被災地の現状などを調べたり、震災に関連する作品などに触れてみたりしてはどうでしょうか。

 一日も早く震災前の穏やかな日常を取り戻せるよう願い、私たちはこれからも被災地との交流を続けていきます。