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学校生活

【2020年度】大妻先生を偲ぶ会「コタカ先生とキリスト教の思想」

更新日時:2020年12月8日

【2020年度】大妻先生を偲ぶ会「コタカ先生とキリスト教の思想」

2020年12月3日 大妻先生を偲ぶ会講話

 創立者大妻コタカ先生が亡くなられたのは今から51年前の1月3日、ご命日の一ヶ月前の12月3日を「大妻先生を偲ぶ日」として大妻学院と4中高ではコタカ先生の像にお花を飾り、先生を偲びます。多摩中高では当日の放送朝礼でコタカ先生を偲んで講話を聞きます。今年は海野先生が「コタカ先生とキリスト教の思想」についてお話し下さいました。

 HPにその全文を掲載致します。



コタカ先生とキリスト教の思想

 今日は、コタカ先生とキリスト教の思想についてお話ししたいと思います。
大妻学院は無宗教の学校です。そしてキリスト教との関係は最も縁遠いでしょう。しかし、意外な共通点を発見しました。


「コタカ先生からの言葉」という日めくりカレンダーの1721のところにこんな言葉がありました。


  17は「隣を愛する」 、 21は「塩のごとく」 です


  17 では「人の生活には必ず隣があります。私どもを幸福にするときにも、不幸に陥(おとしい)れるときにも、隣の力がつねに大きく働くのでございます。皆さまが社会においてよく融合しうるよう、そして隣を愛し、隣を益し、隣とともに栄えるように努められるよう念じております」



  21 では、「社会という大きなクラスの中にあって、皆と手をくんで、自分のするべきことをきちんきちんと果たして、社会でも、学校でも、家庭でも、塩のようにより良いなくてはならない存在になりましょう」



 この「隣を愛する」というコタカ先生の言葉は、まさにキリスト教の「隣人愛」とつながるものがあります。そして、「塩のごとく」という言葉もキリスト教の「地の塩 世の光」をイメージするものといえるでしょう。


 聖書には、〈あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない〉とあります。 キリスト教では、神を愛することはもちろん、この隣人への愛こそ、最も大切な戒めだと教えているのです。また、「地の塩」では、塩は腐敗を防ぐことから、優れたもの、役に立つものを示す比喩で、愛と慈悲を意味しているそうです。


コタカ先生が、この「隣人愛」と「地の塩」の影響を受けていたのかどうかはわかりません。また無理矢理つなげて勝手な解釈をするのもよくないかもしれません。


 でもこの共通点にこそ、人類普遍の価値観があるのだろうと感じました。あなたの隣の人を大切に思うこと、そして隣のクラスも尊重していく。その隣が、地域、日本、世界へと、広がっていくということが大切なのです。「塩」はお清めにも使われますね。腐敗を防ぐものとして「塩のようにより良い なくてはならない存在になりましょう」とコタカ先生は言っています。


 私たちは、グローバル社会を生きています。キリスト教の価値観は私たち日本人にとっては縁遠いものなのかもしれませんが、この価値観とも共生し、寛容な気持ちで理解し合うことが必要ではないでしょうか。大妻多摩の教育理念に「寛容と共生」「地球感覚」というものがあります。すでにコタカ先生は、「隣を愛する」や「塩のごとく」という言葉をもとに、人類普遍の価値観と共存していたのでしょう。


 今日はこの「隣を愛する」「塩のごとく」というコタカ先生の言葉を心にとめて1日を過ごしてみてください。試験勉強で慌ただしいと思いますが、自分のことだけを考えるのではなく、この精神で、助け合ったり教え合ったりして、お互いに高め合っていきましょう。これで「コタカ先生を偲ぶ日」のお話を終わります。ごきげんよう。