OTSUMA TAMA Junior and Senior High School

学校生活

東日本大震災から10年に寄せて

更新日時:2021年3月11日

東日本大震災から10年に寄せて

東日本大震災から10年に寄せて

 今日で東日本大震災から10年になります。震災で亡くなられた皆様に改めて心からお悔やみ申し上げるとともに、被災されて今なお大変な思いをされている皆様にもお見舞い申し上げます。

 2011年3月11日、大妻多摩でも大きな揺れを感じ、学校にいた生徒や卒業生、教員は学校で一夜を明かすことになりましたが、幸い大きな人的被害はありませんでした。

 大妻多摩ではその年の夏休みに教員が初めて岩手県の岩泉町を訪問しました。震災で被災したもののあまりマスコミでは取り上げられることのない自治体に支援をしたいと考えていたところに、岩泉町の役場の方とつながる縁があったからでした。
 その年の冬休みには生徒会執行部の役員が岩泉町を訪問し、被災した小本中学の生徒さんとの交流が始まりました。

 それ以来、小本中学校をはじめとした岩泉町の方々との交流が始まりました。
 2013年には大妻多摩の合唱部(当時)と小本中学校の生徒さんとの合同合唱コンサートが、被災した小本地区の方々を招いて開かれました。

 2014年には大妻多摩のバレー部と小本中学校のバレー部との合同合宿がおこなわれました。

 このような交流をはじめ、全校生徒の有志で毎年、岩泉を訪問することを続けてきました。岩泉町では農業体験や龍泉洞の見学や渓流釣りなど、多くの岩泉の方々のお世話になりました。岩泉町の他にも宮古市田老地区を訪問し、ボランティアガイドの方に防災学習をしていただいたりもしました。また大船渡や釜石を訪問した年もありました。

 他の自治体よりも比較的被害の軽微だった岩泉が復興してくると、2016年からは陸前高田市にも訪問するようになり、そこで一泊の民泊をし、陸前高田の方々とも交流を深めています。


 大妻多摩では、被災された岩手の方々の力に少しでもなれればという思いや、現地の状況を自分の目で確かめたいという思いを抱いた生徒が参加してきましたが、そこでいつも感じたのは被災したにもかかわらず、私たちを笑顔で温かく迎え入れてくれた現地の人々の優しさでした。つらい思いもお持ちだったでしょうに、そういったことはあまり見せずに「また来てね」と言ってくれた人々のなんと多かったことか。
 そういった人々の優しや、温かさに感動し、毎夏この東北被災地訪問に参加する生徒もいます。復興で毎年変わる街並みを自分の目で見たいと言って、何年も続けて参加する生徒もいます。


 やはり東京にいてマスコミの情報だけでは分からない面もたくさんあり、現地に足を運んでこそ分かることもたくさんあります。自治体によって復興の進み具合には違いがあること、復興五輪といいながら、東京オリンピックのために多くのトラックや重機が東京に行ってしまい、復興に遅れが出ていること。
 震災から10年を機に、いったん一区切りとして被災地訪問をやめにしたり防災学習をやめる企業や学校も多くなってきているそうです。
 大妻多摩では発災当時の教頭の「支援は10年単位で続けなければダメだ」という言葉をかてに岩手県の多くの自治体の方々との支援・交流を続けてきました。今年で10年になりますが、今までにつながってきた多くの方々との縁をこの先も持ち続けたいと思っています。いまだ途上である復興がさらに進むことを願って。

                                      

2021年3月11日
大妻多摩中学高等学校