OTSUMA TAMA Junior and Senior High School

学校案内

【校長室より】『たちどまって考える』

更新日時:2021年1月4日

【校長室より】『たちどまって考える』

『たちどまって考える』

14歳で初のヨーロッパ旅行、17歳で油絵と美術史を勉強するため単身イタリアに留学したヤマザキマリさんが、コロナ禍で夫と子どものいるイタリアに戻ることが出来ずに日本に滞在せざるをえなくなったときに何を考えたか。

 

ヤマザキさんは『テルマエ・ロマエ』(連載2008-13、映画化2012)により第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞受賞、15年には芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した日本を代表する漫画家にして文筆家です。『テルマエ・ロマエ』は「ローマの浴場」という意味ですが、西暦130年ごろの古代ローマ時代の浴場設計技師が現代の日本にタイムスリップして体験したカルチャーショックが描かれています。私は旅行中の機上でたまたま見たのですが、阿部寛扮する濃い顔のローマ人が「平たい顔族」の住む日本で遭遇する奇想天外な展開に、いったいどういう人がこんな面白いストーリーを描くのかと知りたくなりました。

 

『たちどまって考える』(中公新書)は、おもにイタリアと日本を行き来しながら、今まで海外数カ国で仕事をしてきたヤマザキさんの、イタリア人の思考や生活習慣と日本のそれを比較した日本人論として、今ベストセラーになっています。

 

ヤマザキさんによれば、イタリアを含むヨーロッパの人々は物事に対して「疑念」を持つことが当然であり、自分で考えたことを、人前で自分の言葉で言語化して表現することを重要視するといいます。例えば今年世界中で感染が記録された新型コロナウィルスに対して、ドイツのメルケル首相のようなヨーロッパの政治家は、熟考の末に紡ぎ出された言葉で発信することによって国民と知識を共有し、政治の透明性を示しているということです。それはリーダーが自分の発言に責任を持っているということであり、自らの政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝えて理解を得ようとする姿勢が明白だと言います。一方日本のリーダーは間違いや失敗することを極力嫌い、発言することによってバッシングされることを恐れるあまり曖昧な言葉を使っているというのです。

 

いままでの歴史を振り返ると、紀元前エジプトにおける天然痘、6世紀と14世紀のペスト、20世紀に入ってからのスペイン風邪、1980年代のエイズなど、人類はいくつもの感染症に脅かされてきました。ヤマザキさんによれば、現在新型コロナウィルスの脅威にさらされている私たちは、「少したちどまって、これまで見過ごしてきた物事を落ち着いて考え、それまでとは違った角度からも見つめ直す。そんなタイミングにいるのではないかと思って」いると書いています。コロナで移動が出来ないのなら、ふだん実践出来ないことを経験するチャンスだ、こういうときにこそ私たちは自身と向き合い、自分を逞しくする良いきっかけとなるといいます。

 

ヤマザキさんは、戦争を体験した母は、夫亡き後音楽家として一人で子どもを育てたということですが、その母親から人生は思い通りにはならない、人生にはどんなことも起こりうることを学んだと書いています。そして留学当初の10代後半のときに画家や作家、文化人のサロンに出入りしてそこで生きたイタリア語を学び、そこに集う大人達から読書の大切さを教えられました。これまで波瀾万丈な人生を送ってきたと自ら認めるヤマザキさんは日本人的思考とヨーロッパ人的思考を兼ね備えていて、京都精華大学学長の「日本人は指示を待っているという」指摘に共感します。さらに、日本人は開国以来、「果たして他国から自分はどう見られているのかをやたら気にし続けてきた、その結果褒めて欲しいという気持ちをいつも持っており、でもそれは自信のなさの裏返しだろう」と考えます。「失敗したくない」というメンタリティ、責任を取る状況はなるべく回避し、「世間体」が自粛を促すプレッシャーとして機能するといいます。「世界的に先進国の基準に合わせたいという必要性があるのなら、時々でも俯瞰して、自分達の生きる国にどういう特徴があり、どんな歴史をたどってきたのか、そして私たち日本人はどういう民族でどんな性質を持っているかを振り返った方がよい」と提案しています。

 

今まで疫病に命を脅かされるという事態を経験してきた人類は、歴史の教訓に謙虚になり、今こそしっかり向き合うことを求められているのです。「おわりに」でヤマザキさんはフランスの思想家のジャック・アタリの、利他主義を重視しないかぎり、世界が一体化してこの問題を乗り越えられないという言葉を引用しています。『テルマエ・ロマエ』の映画化の際に著作権を主張したことが物議をかもしたとか、何か問題提起すると「海外がそんなにいいわけ?」と言われたり、「漫画家はよけいなことに口出ししないで漫画を描いていればいい」と言われたことのあるヤマザキさんの指摘は、わたしがなんとなく感じていた日本人観を再確認する良い機会となりました。最近はテレビにも時々登場するヤマザキさんのこの本はとても読みやすいので、中高生の皆さんにもぜひ読んでいただきたいです。

ヤマザキさんの描いたアマビエ