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【校長室より】19年目の911

更新日時:2020年9月14日

【校長室より】19年目の911

19年目の911

2001年の911日に起きたアメリカ同時多発テロから19年の月日が経ちました。イスラム過激派によってハイジャックされた4機の航空機が、ニューヨークのマンハッタンにあるワールドトレードセンター(貿易センタービル)のツインタワーとワシントンのペンタゴン(国防総省庁舎)に激突し、死者約3000人、負傷者6000人以上に及んだという空前まれにみる大惨事でした。(事件の詳細はWikipediaなどを参照してください。

 

演劇研究のために毎年夏休みになるとニューヨークを訪れていた私は、その年も帰国して数日後に起きたこの事件のニュース映像を見て言葉もありませんでした。たまたま見ていたテレビ朝日の「ニュースステーション」は冒頭からCNNのニュース速報を映し出していました。その日メインキャスターの久米宏さんが夏休みだったか不在で、渡辺真理さんが緊張した面持ちで一人でこのニュースを報道していたことを覚えています。2機の飛行機が次々とツインタワーに突っ込んだかと思うと、その数分後にはあの二棟の高層ビルがもろくも崩れ落ちるのを見て、私は何が起きたのか理解できませんでした。

 

翌年8月にニューヨークを行った際には跡地Ground Zeroを訪れ、瓦礫が撤去されぽっかり空いた空間に改めて事件の恐ろしさを感じ、その光景をカメラにおさめることが出来ませんでした。センタービルに隣接していたにもかかわらず奇跡的に破壊や火災を免れたSt.Paul’s Chapel(上部写真)の鉄柵には犠牲者の写真や花がところ狭しと飾られ、Chapel内にも一年前の記憶を残す品々が展示されていました。翌年出版されたLight at Ground Zero(『グラウンドゼロの光』)には、事件当時に負傷者や犠牲者の救助にあたった消防士の休息所になった、このチャペルでの彼らとボランティアの写真が多数掲載されています。

 

同時多発テロでの死者はワールドトレードセンターとペンタゴン合わせて約3000人といいますが、センタービルの死者の内訳は銀行員などの民間人が2000人以上、消防士と警察官が400人以上、ハイジャック機の乗員・乗客が150人、そして残りがテロリストということです。私が宿泊していたホテルの隣に消防署があったのですが、その壁面には当時犠牲になった消防士の氏名が大きく書かれたのを覚えています。

 

トレードセンター跡地には再び数棟のビルが建設され、その最も高いビルは、アメリカが独立した1776年に因んで1776フィートあり、2014年には新たにワールドトレードセンターとして開業しました。私はビルの建設中と完成後にこの地を訪問し、2011年にオープンした911記念碑と博物館にも入館しました。エントランスには倒壊したワールドトレードセンターの特徴ある壁面の鉄製の装飾の一部が展示され、犠牲者全員の氏名が記されているほか、当時の様子を表すいくつもの展示物を見ることが出来ます。私が衝撃を受けたのは、100階ほどもあるビルの崩壊によって切断されたエレベータの何本もの太いロープでした。何千人もの人々が働くビルには何基ものエレベータがありましたが、事件当日もそのほとんどが運転中だったと思われます。あまり報道されていませんが、ビル倒壊の衝撃でエレベータに閉じ込められたまま亡くなった方たちも多かったのではないかと、無残にも切断されたロープの残骸をみて心が痛みました。

 

この事件によって国際テロ組織の存在が明らかになり、アメリカの対テロ戦争はアフガニスタン紛争やイラク戦争にまで広がりました。アメリカではこの事件の後にイスラム教徒に対するヘイトクライムが起き、その動きは世界中に広がりました。グローバル化が進むにつれて世界各地で民族対立は起き、他民族に対する憎悪の概念は犯罪や戦争にまで発展しています。今年全世界を同様に襲ったコロナ禍においては各国が協調してワクチンや新薬を開発することがまず先決ですが、自国優先を主張すればするほど、他国を排除するというような感情が生まれることは悲しいことです。