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【校長室より】コロナ禍の『若草物語』(2)―ガーウィグ監督のインタビューと作品の評価、日本での公開について

更新日時:2020年8月31日

【校長室より】コロナ禍の『若草物語』(2)―ガーウィグ監督のインタビューと作品の評価、日本での公開について

(2)ガーウィグ監督のインタビューと作品の評価、日本での公開について

『レディー・バード』に続く第二作目の監督として、ガーウィグが『若草物語』の脚本を依頼されたのは『レディー・バード』が完成する前だったといいます。アームストロング監督作品から25年が経過して、『若草物語』になじみのない若い女性たちにもう一度この作品についての価値を知ってもらいたいというのがエージェントからの依頼でした。インタビューによれば(by Devika Girish, Film Comment)、ガーウィグにとって『若草物語』は最初は母が読んでくれた本であり、10代で愛読書になったが、30代になってもう一度読み返したときに、この本は「女性とアートとお金(経済)」についての物語だと気づいた、オルコットの手紙や日記を読み返すうち、「オルコットは生計を立てるために執筆をした、まさに経済についての本だ」と確信したとインタビューで答えています。子ども向けの簡略本では『若草物語』のPart 1しか扱われていないが、この本を知るには、姉妹が大人になってからのPart 2がなければオルコットの執筆意図を伝えることはできない、「オルコットがこの本を書き上げたのは今の自分と同じ36才の時であり、だからこそ彼女の人生に強い共感をもって臨むことができる」、これがガーウィグが脚本と監督を決意した理由だといいます。「女性は美しさと同じぐらい頭脳も精神も野望も才能もあるのに、愛こそが女性が求めているものだと考えるのは納得できない」、これは母マーミーに吐露するジョーの台詞でもありますが、そのあとにジョーは「でもわたし本当に孤独なの」と付け加えています。この言葉はオルコットの別の作品に書かれている言葉ですが、ガーウィグが脚本に着手した動機は、この文章は自分の今の気持ちを代弁してくれると感じたからと答えています。

 

『若草物語』は南北戦争の真っただ中に、銃後を守る母を助けて近隣の貧しい移民を助けるなどの社会奉仕をする4姉妹の絆は当時の読者を励ましましたが、映画作品もまた大恐慌、第二次世界大戦後という世界各国にとっての大事件後に公開され、観客の共感を呼びました。そして1994年にアメリカで公開された映画は、日本では95年に公開されましたが、その年は阪神淡路大震災の起きた年であり、この映画が日本で興行成績を上げた理由にボランティアの活躍などの社会奉仕もあったと言われています。ガーウィグ監督による本作は、日本では3月に公開されるところコロナウィルスの感染拡大により大幅に延期され、612日に封切られました。『東洋経済オンライン』によれば、新作ハリウッド作品の公開が何作も延期されるなか、女性対象、特にストーリーを知っている高齢女性対象の本作に客が集まるかと言う懸念があったといいますが、「主人公の女性が困難に立ち向かいながら自分らしさを貫いて生きていくことの大切さに、はからずもこんな時代だからこそ共感してもらえる」と考えて公開に踏み切ったと言います。当初は全国で128館で上映予定のところ、倍以上の340館で公開されることになったということです。

 

19世紀児童文学の範疇に入れられる『若草物語』ですが、研究に没頭するあまり家族を顧みない哲学者であり教育者である父親に育てられ、一家の安泰のため金持ち階級の男性と結婚して家庭を作ることが女性の目的であるという時代風潮のなかで、この作品は作家として自立しようとしたオルコットの強い信念が感じられるのです。近年、彼女は父の教えを守った道徳的な作品を書く傍ら、ペンネームで殺人や誘惑などセンセーショナルな作品をひそかに書いて執筆料を得て家計を支えていたことがわかってきました。これらの作品は執筆されてから100年余り経過した1940年代に原稿が発見され、70年代に始まったフェミニストとしてのオルコットの研究により、彼女は「道徳的に模範的な作家」という当時の女性作家に求められていた評価を超えて、執筆により自己実現をかなえようとしていたことが明らかになりました。

 

ガーウィグ監督はジョーが「わたしの物語」である『若草物語』の原稿を編集者に手渡すときに、言いなりのままの原稿料に妥協せずに自らその額について交渉し、版権は絶対に手渡さないと告げる場面を挿入していますが、紆余曲折を経て作家として自立した彼女の自信がここに表されていると同時に、自分の作詞作曲した作品の版権を自ら守る、アメリカの最近の女性歌手や俳優の断固たる姿勢も反映されています。

 

ガーウィグ監督による新しい『若草物語』は、オルコットと同時にガーウィグの「わたしの物語」でもあり、この映画をみた観客すべての「わたしの物語」でもあるのです。日本語のタイトルとして誰もが知っている『若草物語』は、明治後期の20世紀初頭に初めて翻訳されたときには原題Little Womenをそのまま訳した「小婦人」というタイトルで出版されましたが、1960年代ぐらいから「若草物語」が一般的になり、映画化作品にもこのタイトルが使われるようになりました。「若草」という用語は思春期の少女を表すのにふさわしいと考えられたのでしょう。

 

ガーウィグ監督による『若草物語』は今年のアカデミー賞の作品賞、主演女優賞など6部門にノミネートされ、最終的には衣装デザイン賞を受賞しました。コスチュームプレイ(配役が時代の衣装を着た歴史劇)でありながら、自立と癇癪もちという性格のはざまで悩むジョーの葛藤や、メグ、べス、エイミーそれぞれの心の動きと言動は現代女性そのままです。ガーウィグ監督もインタビューで認めているように、現代劇によくあるような登場人物が重複して話す手法を使うことによって現代に生きる女性の話し方に近づけ、それぞれに自己実現をはかろうとする登場人物に対する観客の共感を深めてます。