OTSUMA TAMA Junior and Senior High School

学校案内

【中1】ご入学おめでとうございます【2020年度】

更新日時:2020年4月9日

【中1】ご入学おめでとうございます【2020年度】

学校長 式辞

みなさん、本日は大妻多摩中学校入学大変おめでとうございます。
保護者の皆様、このたびはお嬢様のご入学お喜び申し上げます。

今年は暖かな日が続いたせいで桜の開花がとても早かったですね。多摩キャンパスでも3月半ば頃から桜がちらほら咲き始め、月末には満開になりました。例年は春休み中の部活の生徒たちが桜の下でお弁当を広げてお花見をする姿が見られるのですが、今年は臨時休校になったため、ひっそりしたキャンパスには桜だけが春と訪れを告げていました。
本来ですと入学式には来賓の方をお招きし、在校生も出席してみなさんの晴れの門出を一緒にお祝いするのですが、みなさんが上級生に会えるのはゴールデンウィーク明けになりそうですね。


このたびの新型コロナウィルスの世界的蔓延は世界中に大混乱を引き起こし、世界中のメディアは連日各国の対応などを日々刻々と知らせていました。各国首脳は国民の健康を守るために躍起になり、人々の健康を脅かすウィルスの撲滅の手段はないかと模索しています。

歴史的に見て、人は時として個人ではどうしようもない危機に襲われることがあるのです。今日は入学式にあたり、創立者大妻コタカがさまざまな困難を乗り越えて大妻学院を作り上げたことをお話ししましょう。


コタカが大妻学院の基礎となる裁縫と手芸の私塾を開いたのは今から112年前の1908年でした。理数系が得意だったコタカは数学の先生になりたいと思いましたが、女性は家の中にいるものと考えられていた当時、コタカは、女性が社会で認められるには、手に職をつけることが第一だと考えたのです。技術としての裁縫を習得した後、自分と同じような志をもつ女子のために学校を設立するのです。

コタカにとっての最初の試練は、新校舎が落成した翌年の関東大震災でした。私財を投げ打って作った校舎は全焼。コタカは火の気の失せない焼け跡にテントを張って授業を再開したと言います。
第二の試練はそれから約20年後の1945年、東京大空襲での木造校舎全部と鉄筋校舎の焼失でした。学校創立25周年を祝い、大妻女子専門学校として多くの卒業生を出し始めた頃でした。度重なる不幸にもめげず、コタカが校舎の焼け跡でモンペ姿で卒業式を行っている写真が残っています。追い打ちをかけるようにコタカを襲ったのは公職追放でした。戦時中、校長でありながらいくつかの婦人団体の要職を務めていたという理由で学校を追われる身になったのです。

どんなにどん底に突き落とされても立ち上がるコタカでしたが、創立50周年を迎えた1959年、建物の中で最も古かった講堂が不慮の火災で焼失してしまいます。そこでめげないのがコタカなのです。「災い転じて福となる」ということわざ通り、今度は立派な講堂を建てようと決心したというのですからすごいと思いませんか。

今申し上げたような苦難を経て、大妻学院は今ある姿として成長し、昨年には創立110周年記念のさまざまな催しが開かれました。

今世界中の人々は新型コロナウィルスという見えない敵と戦っていますが、これを教訓として、世界中の英知を結集すれば解決策がみつかり、人類はいずれ落ち着きを取り戻すはずです。


「何でも覚えたい、習いたい、そしてそれを土台に新しい工夫をしたい」というコタカの強い信念が大妻多摩中高にも生きています。コタカの言葉は折に触れてみなさんにご紹介しますが、どの言葉も決して古びることなく、現代の私たちの心に響くものです。
失敗や試練は人生につきものです。学校生活を送る上で失敗はいくらしてもかまいません。それを乗り越えてこそ達成感が得られるものです。みなさんもコタカのような勇気をもってものごとに取り組み、楽しい学校生活を送っていただきたいと思います。

改めて、みなさん、大妻多摩中学校ご入学おめでとうございます。