大妻多摩中学高等学校

第36段

 国語科・小野の「日本すごい人列伝」の第2回です。今回は、本の紹介で取り上げた『古文の読解』にも紹介されている、「伝説の蹴鞠名人・藤原成通」です。

 蹴鞠(けまり)とは、「貴人の遊びの一つ。数人ずつ二組に分かれて鹿革で作った鞠を足の甲の先で蹴上げて、落とさないように受け渡しする」(『例解古語辞典第三版』)というものです。

 蹴鞠は、平安時代後半から鎌倉時代にかけて、男性貴族の間でたいへん流行しましたが、その中でも特に優れた蹴鞠プレイヤーとして歴史に名を残すのが、今回の主人公・藤原成通(ふじわらのなりみち。1097~1160年頃)です。

 成通には、『成通卿口伝日記(なりみちきょうくでんにっき)』という回顧録があります(『群書類従』第19輯所収)が、それによると、蹴鞠場に立って練習すること7000日に及んだといいます。そのうち、一日の休みもなく連続で練習したのが、何と2000日! つまり、5年半近くぶっ続けで毎日練習していたことになります。この間、病気の時は横になりながら鞠を足に当てて感触を忘れないようにし、大雨の時は大極伝(だいごくでん)という、宮中の大事な儀式を行なう場所までわざわざ出かけて鞠を蹴りました。そして、「かやうに好む人は、むかしも今も誰かありし」(=こんなに蹴鞠を好む人は、昔も今も私以外に誰がいただろうか、いや誰もいない)と自慢げに語ります。また、成通は、家の中でも蹴鞠の練習をしていたようです。「暗い夜には、蠟燭(ろうそく)の火の明かりだけで稽古をして、家人は随分と私のことを嫌がった」などと、あまり反省の色も見せずに語っています。

 これだけの練習をしたお蔭で、成通の蹴鞠の技倆(ぎりょう)は素晴らしいものだったようです。台の上で、靴音を全くさせずに鞠を蹴ることが出来たり、人の肩を踏みながら鞠を蹴る時に、あまりにも上手に蹴るものだから、肩を踏まれている人が上にいる成通の体の重さを全く感じなかったり、といった、にわかに信じがたいエピソードが、『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』という本に数多く記録されています。

 調子に乗った成通は、清水寺にお参りした時に、あの有名な清水の舞台の欄干(らんかん。舞台の端にある柵。幅はせいぜい十数センチでしょう)の上を、靴を履いて鞠を蹴りながら一往復する、ということまでします。もちろん、誤って外側に落ちたら、数十メートル落下しますから命を落とす危険性があります。この時はさすがに、父親に「バカなことをするな」と怒られ、1箇月も家に入れてもらえなかったそうです。

 そんな成通は、ある夜、不思議な体験をします。日記を書こうとしたら、棚にあった鞠が突然床に落ちました。成通が何だろうと思っていると、顔が人で手足が猿という奇妙な子供が3人現われます。成通が「何者だ」問うと、子供たちは何と「私たちは鞠の精霊です」と言うではありませんか。そして、様々な注意を成通に与えて「このような者がいると心にとどめてくださるならば、私たちはあなたのお守りになって、もっと蹴鞠の技を高めて差し上げましょう」と言って、スッと姿を消しました。そして、鞠の精霊に守られた成通は、蹴鞠の奥義を極めたのでした。

 成通は、抜群の運動神経の持ち主だったのでしょう。蹴鞠の名手だっただけではなく、『今鏡』という本には、身軽で敏捷(びんしょう)な動きをする人として、あるいは馬を上手に乗りこなす人として、紹介されています。

 敏捷な動きをする人だったというエピソードは、平成5年のセンター試験に出題されています。在校生で、センター過去問を解きつつ成通のエピソードを楽しみたいという人は、小野までどうぞ。問題と解答解説とをあげます。

国語科  小野