大妻多摩中学高等学校

第48段

 国語科・小野の、「日本すごい人列伝」第3回です。今回は、「偉大なる暗闇・岩元禎―前篇」です。

 岩元禎(いわもと・てい。1869~1941)といっても、現在その名を知る人はほとんどいないでしょう。僅かに、夏目漱石の『三四郎』に登場する「偉大なる暗闇」という渾名(あだな)の広田先生のモデルではないかと言われている人物として、あるいは、若き日の志賀直哉の家庭教師だった人物として、ごく少数の人の知識になっているぐらいなのではないでしょうか。

 岩元は、明治32年から昭和16年まで実に42年の長きにわたって、旧制第一高等学校(略して「一高」)で、ドイツ語および哲学を教えていた、いわゆる名物教授です。一高というのは、簡単にいえば現在の東京大学教養学部前期課程の前身で、言うまでもなく、日本中の秀才が集まった超エリート校です。後に名を成して日本をリードすることになる、そのような秀才たちの一高時代に言及している書籍は、それこそ星の数ほどの多さになりましょうが、その種の本の中に名物教授として頻繁に登場する「岩元禎」なる人物が、私は若い頃からとても気になっていました。実際にいろいろと調べてみると、とてつもない教師だったということがよく分かります。

 生涯独身。並外れた膨大な蔵書と該博な知識とを持ちながら、著作は講義ノートを基にした哲学の概論書が一冊だけでした。岩元は、読むこと教えること以外には興味がない人だったようです。「(岩元禎は)“オレ自身が教養だ”という考えだったのではないか」とは、岩元禎の甥に当たる岩元紀彦氏の言葉ですが(「南日本新聞」昭和55年12月17日付)、この辺が、岩元が「人間が、自(おのず)から哲学に出来上っている」広田先生のモデルとされる所以(ゆえん)なのでしょう。そういえば、広田先生も独身の設定ですし、岩元も広田先生も共に愛煙家です。

 異様な潔癖症で、出前の寿司の一つに蠅がとまっていただけで激怒して寿司桶をひっくり返して再注文したり、入浴に2時間もかけたり(来客があっても、平気で客を2時間待たせたそうです)、トイレに行くだけなのに服と足袋(たび)とを替えたりと、エピソードに事欠きません。

 また、万事一流好みでした。食事は一日に2回、黒パンとオリーブ油を使ったすき焼き(肉は特定の店から買う高級品)とを食べる、と決まっていました。背広も最上等の生地で作ったものを着ていました。ただし、同じものをボロボロになるまでずっと着続けていたようです(異様な潔癖症は、ここでは発揮されなかったのでしょうか?)。

 しかし何と言っても、現代の私たちを驚かせるのは、「こんな教師、今なら絶対に通用しないはずだ」というような、教師・岩元禎としての数々の逸話です。詳細は次回に。

国語科  小野