大妻多摩中学高等学校

第73段

 国語科の小野による本の紹介コーナーです。第7回は、アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬、広瀬大介訳『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記』上・下(音楽之友社、2009年9月・2010年10月刊)です。

 題名の通り本書は、20世紀後半を代表する天才指揮者カルロス・クライバー(1930~2004)の伝記です。クライバーといっても一般の人には馴染みのない名前ですが、クラシック音楽ファンならば誰もが知っているビッグネームです。

 クライバーは、比べる相手など誰もいないほどの豊かな音楽性・カリスマ性、美しい指揮姿で、聴衆からも演奏家からも絶大な支持を得続けた人です。クライバーがひとたび指揮をすれば、聴く者も演奏する者も、興奮と陶酔とが合わさった別世界に運ばれて行きます。他では得難いこの音楽体験を求めて、人々はクライバーにラブコールを送り続けました。

 しかしその一方で、クライバーは世界で最も指揮台に上がりたがらない指揮者でもありました。結局理由はよく分からないのですが、とにかく指揮をしたがらない。指揮を引き受けること自体が極端に少ない上に、稀に引き受けたとしても、完璧を求める厳しい練習の段階で、少しでも気に入らないことがあると、途端にキャンセルしてしまいます。もちろん、一流オーケストラ相手に本番直前にキャンセルなどしようものなら、二度と仕事の依頼など来なくなるのが普通ですが、クライバーだけは特別で、音楽家たちはそれでもクライバーとの共演を望みました(例えば、ヘルベルト・フォン・カラヤンの後任を選ぶ際、ベルリン・フィルの楽団員の多くは、絶対断わられることは承知の上で、まずクライバーを指名しました)。

 本書にも、この手のエピソードが満載です。

 クライバーはマスコミ嫌いとしても有名で、公式に語ったり書いたりした言葉はほとんど残っていません。この本も、内容の多くを、歌劇場や楽団の関係者、共演した音楽家の証言に負っていますが、クライバーに関係した人々は異口同音に、その音楽性の素晴らしさに感嘆する一方で、公演を突然キャンセルしてしまうその気まぐれとも思える振舞いに対して、不満や困惑の言葉を並べます。クライバーを全く知らない人が読むと、この本は「人付き合いが苦手な天才が、我が儘をやり続けた記録」というものにもなりかねません。

 しかし、全てがシステムの中に組み込まれて動いていくこの忙しい現代にあって、レパートリーを自分のやりたい数曲に極端にしぼり込み、ごく少数の一流オーケストラと気の合った時にだけ共演するというのは、ある意味では音楽家として理想の姿の一つでしょう。そして、世界中の音楽愛好家が、天才藝術家の奔放な振舞いを許容し、その一期一会的な数少ない公演を心待ちにするというのも、たいへんロマンティックなことです。実際、指揮台に上がっただけで事件になるなどというのは、これまでもこれからもクライバーだけでしょう。やはり天才藝術家というのは、世の中を面白く彩り豊かなものにしてくれるものなのです。

 生きながらにして伝説となったカルロス・クライバー。著者のヴェルナー氏は、実に多くの人にインタビューを行ない、余計な論評などを加えずに事実だけを記すというスタイルで、栄光と不可思議とに満ちたクライバーの一生を丹念に書きあげています。

 私は、ただ一度だけですが、クライバーの実演に接したことがあります。今となっては世界中の誰も体験することの出来ない、この至福の時間がめぐってきたのは、平成6年10月18日、ウィーン国立歌劇場の東京公演においてでした。外国の歌劇場の来日公演では、複数の演目をやるのが普通なのですが、この時のウィーン国立歌劇場の来日公演は超豪華版で、他に、クラウディオ・アバド指揮の《ボリス・ゴドゥノフ》《フィガロの結婚》、ウルフ・シルマー指揮の《こうもり》がありましたが、目玉は何と言っても、クライバー指揮の《ばらの騎士》(クライバーの十八番(おはこ)の演目)でした。「ウィーン国立歌劇場、ばらの騎士、そしてクライバー」とくれば、チケット代がいくらであろうが、オペラファンとしては行かない手はありません。壮絶なチケット争奪戦が予想されたので、私は、確実にチケットが手に入る「4演目セット券」なるものをベラボーな金額で買い、《こうもり》もクライバーが振ってくれればいいのに、などと思いながら(《こうもり》もクライバーの代表的なレパートリーの一つです)他の3演目も聴きに行き、最後に《ばらの騎士》に行きました。

 素晴らしいの一語に尽きる公演でした。ほの暗い中に浮かび上がって見える、クライバーの指揮姿(公演があった東京文化会館はオケピットが浅めだったのか、長身のクライバーの上半身がよく見えました)や、第3幕後半のゾフィー、オクタヴィアン、元帥夫人の美しい掛け合いなどが、今でもありありと目に浮かび、耳に残っています。客席のご婦人方の中には涙を流しながら聴いている人もけっこういました。生涯忘れ得ぬ演奏会の一つとなりました。

 ところが、この本を読んで初めて知って驚いたのですが、6回あった《ばらの騎士》の公演全てに立ち会った関係者によると、私が行った日は、全6公演の中で最も出来の悪い日だったのだそうです。この日はクライバーと楽員との間もかなり険悪だった、という裏話が書かれていて、「あれで最低だったというなら、最も出来の良かったという第1回目はどんなことになっていたのだ!」と、今さらながら呆れたり、選んだ日の悪さを悔やんだりしてしまいます。

 いずれにせよ、《ばらの騎士》公演全体としては大成功で、その料金の高さも含めて世界的な話題になりました。ウィーン国立歌劇場の監督は「息を呑む、魅惑的な、想像を超えた、ほとんどこの世のものとも思われぬような上演だった」(下巻340ページ)と後に回想しています。クライバー自身も、もうこれで満足と思ったのでしょうか、この東京公演の後は、オペラの指揮を一切しないままで生涯を終えました。

 クライバーは、日本の聴衆がそして日本そのものが、かなり好きだったようです。大スターになってからは、指揮の回数を極端にしぼって活動したクライバーですが、全体の数の少なさとヨーロッパからの距離とを考えれば、日本では“頻繁に”指揮していたと言えるでしょう(指揮者としてだけではなく、プライベートでもよく来日していました)。これは、クライバーの日本好きに加えて、クライバーの友人のである佐々木忠次氏(日本舞台芸術振興会専務理事)の尽力によるものでもあります。本文だけで850ページを超える本書は、その佐々木氏の次の言葉で締めくくられています。

 「思うに、芸術と文化は水と空気のようなものだ。しかしカルロス・クライバーの音楽に接すると、だれもが生きる喜びを実感する、そう思われてならない」

国語科 小野