大妻多摩中学高等学校

第82段

 国語科・小野の、久し振り、「日本すごい人列伝」です。第5回の今回は、「異色の大衆作家・直木三十五=前篇」です。

 「芥川賞」「直木賞」といえば、日本で最も有名な文学賞です。既に75年の歴史があるこの二つの賞は、毎年1月・7月に受賞者が選ばれます。先日、最新の第144回受賞者が決まり、新聞や各種ニュースなどでも大きくとりあげられました(文学賞の受賞者決定がニュースになるのは、ほぼ「芥川賞・直木賞」「ノーベル賞」の時だけでしょう。水嶋ヒロ君は例外です)。

「優れた純文学の短篇小説を書いた、新進もしくは無名の作家に与えられる賞」である「芥川賞」が、芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ。1892~1927)を記念して設けられた賞であることは、多くの人の知るところです。しかし、「優れた大衆小説を書いた、新進もしくは中堅の作家に与えられる賞」である「直木賞」が、直木三十五という作家を記念して設けられた賞だ、ということはあまり知られていません。今回の主人公は、この、現在ではほぼ忘れられてしまっている作家・直木三十五(なおき・さんじゅうご。1891~1934)です。

 「直木三十五」という少々変わった名前は、ペンネームです。本名は植村宗一(うえむら・そういち)といいます。最初のペンネームは「直木三十一」でした。「直木」というのは、本名の「植村」の「植」という字を二つに分解したもので、「三十一」というのは当時の彼の年齢でした。そして、年齢を重ねるごとに「三十二」「三十三」と変え、三十四はとばして「三十五」にし、そこで固定して終生のペンネームとしました。冗談のような、人を喰ったような話ですが、「オモロイことを好む大阪人気質」(矢島悠紀彦『著名人名づけ事典』)のなせる業なのでしょうか(直木は大阪市内の生まれ)。

 直木三十五といえば、「傲岸(ごうがん)」「不遜(ふそん)」「無口」、そして「貧乏」というのがキイワードです。

 学生時代からたいへんな貧乏生活でした。金のない直木はとうとう、通っていた早稲田大学の月謝を納入するのをやめてしまいました。学費を納めなければ、当然、除籍処分です。しかし、直木は除籍になった後も学校に行き、それまでと変わらず授業を受けていました。同級生や教授たちも、それを黙認していました。こうして、他の正規の学生たちと同じように学業を修めたのですが、困ったのが“卒業”の時でした。籍のない直木は、もちろん卒業証書を手にすることが出来ません。苦労しながら仕送りを続け、息子の卒業を待ち望んでいる大阪の年老いた両親には、学費を払わずに大学をやめてしまったことは伝えていません(仕送りが途絶えることを恐れたのです)。そこで、考えた末に、卒業の記念撮影の現場に紛れ込んで他の学生・教授と一緒に写真に写り、それを大阪の自宅に送って自分の卒業を両親に信じさせるという、とんでもない手を思いつき、実行しました。それで暫くの間はごまかせたというのですから、まあ、呑気(のんき)な時代だったのでしょう。

貧乏ですから、借金もします。自宅にまで多くの借金取りが押しかけますが、その「借金取り撃退法」というのが凄い。「傲岸・不遜・無口」な直木でなければ出来ない、もやは名人芸ともいうべきものです。続きは、後篇にて。

国語科  小野