大妻多摩中学高等学校

第112段

 私はかつて「論理的に」物事を考えることが好きだった。理詰めで物事を考え、自らの意見の正当性を主張する。その先に「相手を論破する」というゴールがあった。

 しかし、このようなことは周りを幸せにするのだろうか。今では疑問に思っている。理詰めで話をすると確かに分かりやすい。しかしすべてが「論理」で解決できると錯覚してしまう危険がある。反論する人も理詰めで相手を攻撃する手段をとってしまう。

 よのなかには、「感覚」や「情緒」「直感」からみえてくる本質もある。生物として持っているであろうこのような心の部分を、大切にしていかなければならないのでは?「論理」や「科学」では乗り越えられない限界を、今こそ私たちは知る必要がある。

 人としての「感覚」を重んじる人間が減っているのでは?と、自戒も込めて最近少し心配になっている。論理的に物事を考えつつも、「情緒」の大切さを認識する生徒を一人でも多く育てていきたい。

井の中の高野聖