大妻多摩中学高等学校

第134段

「悪魔の文化史」 ジョルジュ・ミノワ著 (白水社 クセジュ文庫)

 大妻多摩中高英語科田辺によるブックレビュー⑨です。

「悪魔とは理性が生んだ存在である」と述べる著者が書いた、西欧文化に根付いた悪魔という概念・存在をキリスト教以前から現代に至るまで時系列に沿って述べられた本です。著者はフランスの高校で歴史を教える傍ら、毎年西欧文化に関する著作を残す文人でもあります。

私達日本人にとって「悪魔」とはマンガやアニメや映画に登場する怖い存在程度の認識で、お化けや幽霊と同列に考えがちですが、西欧文化の中で「悪魔」は特別な座を占めます。これは「悪魔」という存在そのもと同時に、概念的にも「悪」という概念が特別な座を占めることと一致しています。

西欧文化の中で「善・悪」という概念は、倫理的な問題を超えた概念であり、プラトン等のギリシア哲学から始まった文脈で考えなければなりません。「善」は「真」・「美」と結びつく完全な概念で、抽象的であると同時に神と直接結びつくものですが、「悪」は「善」の欠如を表し、不完全な状態であるこの世のものと結びつく物質的なものです。この物質が「悪」という考えが私達日本人にはなじみがないものですが、神の啓示によってキリストを信じる人々がこの世の終わりに救済されるということを信じる人々にとっては極めて逼迫した問題なのです。

「悪魔」は蛇の姿でイブを騙して知恵の実を食べさせ、人間を堕落させこの世に落とし、人間は終末に向かって堕落しているこの世で苦しまなければなりませんが、キリストがこの世に神の子として生まれ人間を救済する方法を伝える、というのがキリスト教の考えです。この世に関するもの、つまり物質は悪の範疇に入り、抽象的な概念等は善の範疇に入る、という考え方は古くからあり、二元論と呼ばれています。キリスト教以前からあるこの考えがキリスト教にも反映され、ローマ帝国期にはグノーシス主義や新プラトン主義という思想が生まれます。正統派キリスト教の立場からは実はこの二元論は異端なので弾圧されますが、常にこの二元論はキリスト教に付きまといます。その理由はキリスト教における「悪魔」の位置にあります。他の宗教に比べ「悪魔」の果たす役割が非常に大きいため、「悪」を考える際に、「善」に対して鏡像関係にある「悪」の概念は重要なのです。

この考えから、キリスト教を信じる者は「善」、そうでない者は「悪」という考えに至るのはそう遠くなく、そこから十字軍が生まれ、また新大陸発見の際のアメリカ原住民虐殺へと至るという著者の指摘は鋭いものがあります。魔女狩りに関しても同じことが言えますが、自分達と違うものに「悪」のレッテルを貼り、迫害するという姿勢にはこういった考えが潜んでいます。また「悪」を「善」と同等の価値・力を持つと見なす発想からは、「悪」の絶対性が強調され、それが悪魔崇拝等の悪への憧憬へと結びつくこともあります。

もちろん現在の西欧では宗教への忠誠心が薄くなり、盲信や迷信が科学によって打ち破られ、「悪魔」という存在が身近ではなくなってはいますが、文化的な作品に主題として「悪魔」は存在し続け、また人文科学の中でも「悪」という概念を巡り多くの議論が未だ続けられている以上、西欧文化に根付いた「悪魔」の概念は正に理性が生んだ存在で消すことが出来ないと言うことも可能でしょう。

ちなみにこの本はクセジュ文庫という一般的な読者を啓蒙する目的で出版されているフランスの文庫シリーズの中の1つで、白水社から日本語訳されているものです。クセジュ(Que sais-je?)というフランス語は「我は何を知る?」という意味で、ルネサンスの思想家モンテーニュの言葉です。日本語の数ある文庫シリーズに比較すると少々専門的な書き方をしているものが多いですが、扱われているテーマは非常に面白いものが多いので、興味ある方は本屋さんで見て下さい。

英語科 田辺