大妻多摩中学高等学校

第140段

「デモクラシー以後」 エマニュエル・トッド著 (藤原書店)

 大妻多摩中高英語科田辺によるブックレビュー⑩です。

最近日本の新聞・雑誌・テレビ等のメディアでも取り上げられる機会が多いフランスの人口学者による政治経済に関する著作です。この著者は社会構成員の識字率と家族構成及び婚姻様式の分析によるその社会の民主化を計る方法で、若い頃ソ連邦の崩壊を予言し、また最近ではアラブ世界の民主化を予測しました。(「アラブの春」でそれは証明されました)また9.11の翌年に刊行された「帝国以後」では超大国と考えられていたアメリカの衰退、特に経済的衰退を指摘し、イラク戦争も自分の軍事力を誇示するための演劇的手段であると批判し世界的なベストセラーになりました。最近ではフランスの政治家への助言等を行っています。

この著作は2008年に刊行されましたが、日本語訳が行われることに対して著者は当初躊躇があったようです。理由はこの著作の内容が主にフランスの政治に関するものであり、日本の読者に興味関心を喚起する可能性がないかもしれないと考えたからのようです。

まず序章からニコラ・サルコジ大統領の精神分析的とでも言える人物分析が詳細に行われます。「サルコジ局面」と著者が呼ぶこの大統領を巡る問題とは、イデオロギー(政治理念)の喪失、自分の生活様式のメディアへの露出狂とでも呼べるほどの過度な露出、若者や移民、労働者への侮蔑的態度や発言等、フランス共和国という民主主義の理念を産出した国の大統領としては相応しくない行動であり、これはイタリアのベルルスコーニやアメリカのブッシュとある種似通った問題です。このサルコジへの言及は単にフランス大統領をこき下ろすために行われるのではなく、そこに現代フランスの抱える諸問題が集約されていると著者は考えています。

その「サルコジ局面」と著者が呼ぶ問題の内容は、識字率のほぼ完全な達成による就学率の向上と高等教育を受ける人口の増大により、高等教育を受ける人々とそうでない人々の間に所得格差が生じ、また高等教育を受けた人々の間でも格差が生じるという問題。(若者層の方がより就職が難しいので)さらにこの高等教育を受けた人々が自分達の価値観だけに閉じこもり国家や人類全体の利益を考えることを停止した状態で自分達の自己実現を追求する姿勢を「ナルシスト化」と著者は呼びます。これが侮蔑的態度や過度な露出へと結びつきます。

また高等教育を受ける人々の増大は宗教的実践の弱体化を生じさせ、それと同時に他のイデオロギーも弱体化すると同時に、自分が所属していると認識し自己同一化の対象であった社会的階層の結合が弱まり、自分の職業が自己同一化の対象となる。これを「個人のアトム化」と著者は呼びますが、社会の中で階層や職業が個人の決定に委ねられることによりある意味個人主義が確立されたと言うことも確かに出来ますが、それと同時に社会という人々の繋がりを表す母体が喪失していくという効果が生じます。これが社会階層による利害の喪失、つまりイデオロギーの喪失へと結びつきます。

このような社会の流動化にグローバル経済の問題が重なってくることで、更に問題は複雑になります。高等教育を受けていない人々の就業する職業の相対的な賃金低下は、グローバル経済ではコストカットという名目で行われますが、それを被る人々には生活水準の低下となって跳ね返り、その家庭に生まれた子供たちの高等教育への接近が困難になるという負のスパイラルが生じます。識字率が達成された社会に於いて逆説的に新たな階層化が進行するという事態が発生します。

また政治に関しても高齢化が進行する社会では経済に直接従事していない高齢者の得票率が高くなり、政治の停滞という現象が生じます。その中で一部の富裕層に税金の免除という項目が付け加わることで、指導階級の義務からの解放という事態も同時に発生します。また社会的弱者や若年層の政治への諦めからは投票率の減少という、政治への消極的な参加が生じます。グローバル経済が提示する困難な問題からは富裕層は逃避し、社会的弱者は解決策を見いだせないという深刻な状況が生まれることになります。

このような状況を民主主義の危機と捉え、安定した社会・経済・政治を達成するための手段として著者が提唱するのが経済の「保護主義」になります。外需を拡大するためにコストを抑え、社会的弱者を更に困難な立場へ貶め、社会的強者を更に保護する現在のグローバル経済に取って代わり、内需を拡大し賃金を安定させ、社会的安定を志向するものとしての経済の「保護主義」がそれにあたります。

もちろんそれで問題が一挙に解決するとは著者は考えていませんが、現代の民主主義の後にも新たな民主主義が到来するためにはそれが一番の解決策であると、著者はケインズを引用しつつ力説します。

著者の提示する問題系は極めてフランス中心の問題系であり、その意味ではヨーロッパの経済的には中位の一地域の問題であり、ローカルなものであると言い切ることは可能ですが、一地域の諸問題を丁寧に分析し、現代のグローバル経済の中に当てはめて批判する方法の中で見えてくるのは、実は現在の日本が直面する問題系とほぼ同じであることが読者は読み解くことが出来ると思います。

もちろん現代フランスの置かれている諸問題を理解していないと本書を読むのは難しいことですが、それにも関わらず非常に示唆的な本であると言えます。

英語科 田辺