大妻多摩中学高等学校

【校長室より】「棚原の館跡」とは?  

棚原の館跡
棚原の館跡

大妻多摩キャンパスの車の通用門のすぐ外側に立てられている標識には「棚原の館跡」と記してあり、次のような説明文がついています。

「ここから左側(東側)に見える操車場付近にはかつて小高い丘がありました。江戸時代の地誌には戦国時代に八王子城で討ち死にした島崎二郎某の館跡があって鎮守の森や馬場跡も記されています。」

 

「棚原」って? 「島崎二郎」とは誰?

インターネットで調べてみると、現在多摩清掃工場がある場所には「棚原」という小高い丘があり、戦国時代(1590年)の小田原城の陣で八王子城で討ち死にした後北条氏の家臣である島崎二郎の屋敷と城(棚原城)があったということです。

学園通りの時計 京王多摩センターの山羊さんたち
大妻多摩キャンパス
学園通り
京王多摩センターの
山羊さんたち

さらに調べてみると、現在の多摩丘陵は平安・鎌倉時代には縦横に街道が走っており、その尾根が「横山」と呼ばれたということ、唐木田駅から大妻多摩キャンパスの横の道を上り、多摩東公園から小田急永山駅までの道が「よこやまの道」だということもわかりました。

「赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遺らむ」

 

横山は万葉集でもこのように詠まれているそうです。この歌は遠く九州に国防の任につくことになった防人の妻が詠んだとされていますが、「夫が出発する前に馬にたくさん草を食べてもらおうと山野に放し飼いにしたところ逃げられてしまい、しかたなく夫を徒歩で多摩丘陵越えさせなくてはならなくなった」という妻の嘆きを詠っています。

この一帯は7.5キロの遊歩道になっているそうです。秋の深まった多摩路を、万葉の昔に思いをはせて山歩きをしてみるのもいいかもしれませんね。