大妻多摩中学高等学校

【校長室より】東京・ニューヨーク・岩泉

日本復興支援演劇祭“SHINSAI”のプログラム
ニューヨークで開かれた
日本復興支援演劇祭
“SHINSAI”のプログラム

2011年3月11日の東日本震災の起きた日、私のもとにも海外の友人から多くのお見舞いメールが届きました。日本は小さな島国ですし、まして東北と関東は隣どうしですから、友人たちは私が住んでいる東京にも被害が及んだのではないかと大変心配してくれました。劇作家スーザン=ロリ・パークスもすぐにメールをくれた一人です。彼女はアフリカ系アメリカ人女性劇作家として初めてピュリッツア賞を受賞した若手作家ですが、私が所属する演劇研究グループが彼女の戯曲についての論文を一冊の本にしようと企画して以来、私たちは彼女とメールのやり取りをし、彼女が東京を訪れた際には案内をしたり食事をした仲でした。

震災から半年ほど経ったある日、パークスから私と友人に宛てて一通のメールが届きました。来年の3月11日に、日本の被災地支援のためにニューヨークの演劇人が集まって演劇祭をするのだけど、震災当日のあなたの経験をメモ書きでいいから書いてもらえないかとメールには書いてありました。

3月11日2時46分、犬の散歩をしていた私は電柱につかまらなくてはならないほどの強い揺れを感じたこと、道路を見るとトラックやタクシーが上下に飛び跳ねていたこと、携帯などで地震のニュースを知った人たちが口々に「東北で地震が起きた」と叫んでいたことなど、私は当時の印象をA4用紙に一枚ほど書いて彼女に送りました。私と友人の書いた英文はほとんどそのままの形でパークスの劇に組み込まれて10分ほどの一幕劇になりました。私は英文の中に当時テレビなどで繰り返されていた3つの日本語を入れました。それは「絆」、「私たちは一人ではない」、「がんばろう日本」です。パークスの書いた私たちの劇は、アメリカ人女性Suzan-Loriと二人の日本人女性MarikoとMichiyo役の俳優が同時にせりふを話すのですが、断片的に私が引用した日本語がはさまれ、震災当日の混乱がとてもよく表れていて臨場感あふれるものになりました。

2012年3月11日、“SHINSAI Theaters for Japan”に招待された私と友人はパークスとともにカメラのフラッシュを浴びました(日本では小さな記事にしかなりませんでしたが)。アメリカからはパークスの他にジョン・グエア、スティーブン・ソンドハイム、リチャード・グリーンバーグ、トニー・クシュナーなどの大御所の劇作家の作品が上演され、日本からも鴻上尚史、坂出洋二の作品が招待上演されました。

そして2015年の7月、わたしは岩泉と田老で3.11から4年4か月余を経た現実を見たのです。ニューヨークで感じたあの晴れがましい気持ちはいったいなんだったのでしょう。「絆」とか「私たちは一人ではない」というような私が引用した言葉は、実際の被災地を見た時に単なる言葉、表面的な言葉でしかないことに私は気づきました。震災の被害を受けた地元の方たちの言葉、ガイドさんの言葉には、体験した人にしか語れない重みがありました。あれからずいぶん時は経ってしまいましたが、大震災に対する今までの思いがようやくぴったりと自分の心の中で理解することができた3日間でした。