大妻多摩中学高等学校

【校長室より】岩手県岩泉町訪問

たろう観光ホテル。3階まで津波が到達し、1・2階は鉄骨だけしか残っていません。震災遺構として保存されるそうです。

たろう観光ホテル。3階まで津波が到達し、1・2階は鉄骨だけしか残っていません。震災遺構として保存されるそうです。

大妻多摩中学高等学校では2011年3月11日の東日本大震災で被害を受けた岩泉町の小本中学校の生徒たちと交流して、今年で4年目になります。おもに生徒会執行部を中心にバレーボール部や合唱部が岩泉を訪問し、毎年の文化祭には岩泉町役場経済観光交流課の方たちが名産品を持ってきてくださり、生徒会が中心になって来校者に販売するなどの交流を続けてきました。今年も7月30日から8月1日までの3日間、伊達町長はじめ岩泉町の全面的なご協力により、わたしも生徒会の生徒と一般生徒総勢16名と一緒に、初めて岩泉町を訪問しました。

 

小本中学校は震災で被災し、校庭にあった屋根付きのプールは跡形もなく津波にのまれ、校舎は遠くから見ると何の被害も受けていないように見えますが、時計は地震の起きた2時46分で止まり、校舎の一階を駆け抜けた津波のしぶきが天井に黒く残ったままです。当日は卒業式前日ということで生徒は校舎にいなかったそうですが、2階の教室の黒板には在校生が書いた「ご卒業おめでとう」の文字が今もなお残っています。

 

私たちは、今まで3度の津波の被害に遭い、津波防災の町宣言をした宮古市田老町を訪問、そこで見たものは1階と2階は鉄骨しか残っていない6階建ての「たろう観光ホテル」でした。宮古観光文化交流協会のガイドさんの案内で、私たちはホテルの社長さんが6階の窓から撮影したという、津波が目の前の建物をなぎ倒していく生々しい映像を見ることができました。「このビデオはここでしか見られません。私たちは決して出し惜しみしているわけではありません。この場所に来て、津波の本当の恐ろしさを感じてほしいのです。津波災害には教育・訓練・伝承が大切なのです」とガイドさんはおっしゃっていました。震災直後にも募金などの協力はしたものの、私自身は被災地に行って支援をしたことはありませんでしたが、このツアーに参加することによって、東京にいてはわからない防災教育の重要さを感じました。

岩泉町立小本中学校校舎。「小本は負けない!」の文字が見えます。時計は2時46分で止まったまま。

岩泉町立小本中学校校舎。「小本は負けない!」の文字が見えます。時計は2時46分で止まったまま。

「つなみてんでんこ」という言葉があるそうです。津波が来たらてんでんばらばらに逃げなさい、物を取りに戻ったり人を助けようと思わず、まず自分の命は自分で守りなさいという意味です。津波に限らず災害はいつ来るかわかりません。生きていれば再び会えるのだから、日ごろから訓練を怠らず、命を大切にしなさいという教訓です。

 

 

 

中学校1階で現校長の佐藤先生からお話を伺いました。津波がこの廊下を走り抜け、天井に泥の跡が残っています。

中学校1階で現校長の佐藤先生からお話を伺いました。津波がこの廊下を走り抜け、天井に泥の跡が残っています。