大妻多摩中学高等学校

【校長室より】「塩のごとく」

浅間風露草

浅間風露草

「根のごとく」と並んで「塩のごとく」という言葉があります。「塩のようであれと言うことは、……その味加減を適当にしなければ、世の中で一番美味しくなければならない筈のものが、一番不味いものになりがちです。」(花村邦昭著『母の原像』)
コタカ先生はこのようにおっしゃっています。これは塩の加減によって料理はおいしくもなれば、不味くもなると言うことです。自分だけ目立とうとして、塩が多すぎてもおいしくありません。家庭でも、学校でも、社会でも、親きょうだいや友達、同僚と協力しあい、その中で自分の役目をうまく果たしてこそ協調性のある人間といえるものです。

塩の大切さといえば、シェイクスピアの4大悲劇のひとつ『リア王』(1604-06)が思い浮かびます。老いたリア王は、3人の娘に自分に対する愛情を尋ね、愛情の深さによって領地を譲渡しようとします。長女のゴネリルと次女のリーガンは父親に気に入られようと良いことばかり言いますが、末娘のコーデリアは「わたしは焼きたての肉が塩を愛するようにお父様のことを愛しています」と答えます。焼いたばかりの肉には塩が加わってこそ最高のごちそうになると言いたかったのですが、父親を粗末な塩にたとえたとしてリアの怒りを買い、彼女は追放されてしまいます。欲深い娘たちによって領土を乗っ取られ盲目となったリア王は、コーデリアの愛情が最も深かったと気づいて後悔します。塩味のない肉ほどおいしくないものはありませんからね。

「根」も「塩」もとても地味な存在です。「根」は表面に見えることはありませんが、根がなくては茎は育たず、花も咲きません。「塩」もそれだけでは塩辛いだけですが、素材の味を引き立てる役目を持っています。「根のごとく・塩のごとく」とは、目立たなくても絶対不可欠なものを表すのではないでしょうか。