大妻多摩中学高等学校

【校長室より】アメリカの喜劇作家、ニール・サイモンの死

アメリカの喜劇作家、ニール・サイモンの死

ニールサイモン①

ニューヨークタイムズ紙は8月26日、50年近くにわたってブロードウェイで活躍し続けた劇作家ニール・サイモンの死を伝えました。91才でした。

ユダヤ系の両親のもとに1927年ニューヨークのブロンクスに生まれ、兄ダニーとともにテレビやラジオの脚本作家としてスタートを切ったサイモンは、『裸足で散歩』(Barefoot in the Park,1963)、『おかしな二人』(The Odd Couple,1965)、『サンシャイン・ボーイズ』(The Sunshine Boys, 1974 )などの作品で喜劇作家としての地位を不動なものにしました。60才に近づいた80年代、サイモンは半自伝作品である『思い出のブライトン・ビーチ』(Brighton Beach Memoirs, 1983)、『ビロクシー・ブルース』(Biloxi Blues, 1985)、『ブロードウェイ・バウンド』(Broadway Bound, 1986)というBB三部作と『ヨンカーズ物語』(Lost in Yonkers, 1990)でトニー賞やピュリッツア賞を受賞し、さらに、劇作家としての長年の功績を認められ、アルヴィン劇場(Alvin Theatre)がニール・サイモン劇場(Neil Simon Theatre)と改名され、以来この劇場は存命する劇作家の名前がついた唯一の劇場になりました。(注: マンハッタン45丁目を中心にその周辺の500席以上2000席未満の約40劇場をOn Broadway と呼び、マンハッタンに点在する499席以下100席までの劇場をOff-Broadwayと呼びます。ブロードウェイにはニール・サイモン劇場のほかにあと二つ、劇作家の名前がついたユージン・オニール劇場、オーガスト・ウィルソン劇場がありますが、いずれもすでに亡くなった劇作家名です。)

日本の喜劇作家である三谷幸喜は8月30日の朝日新聞でサイモンの死を悼み、自分が劇作家として今あるのはサイモンのおかげであり、サイモンの作品にちなんで「東京サンシャインボーイズ」という劇団を学生時代に旗揚げしたと書いています。三谷によれば、サイモン劇のすごさは、読みやすいこと、登場人物のキャラクターが明確であること、対立関係がはっきりしているのでわかりやすいこと、全体がきちんと構成されていることを挙げています。

それではサイモン劇の笑いはどのようなものなのでしょうか。彼は劇作家として成功する前はラジオやテレビのコントを書いていましたが、そこで培われたのはユダヤ系作家ならではの都会的で洗練した笑い、かけあい漫才のようなボケとツッコミで構成される笑い、あるいはドタバタ喜劇で見られるようなナンセンスの笑いでした。彼は、中産階級のニューヨーカーの精神的悩みや日常生活のささいな失敗や障害を笑いに変えることによって観客の共感を得たのです。

初期の作品には直接ユダヤ系を感じさせる要素は比較的少ないのですが、喜劇作家として一時代を築いた後のサイモン作品、とくにタイトルの頭文字をとったBB三部作には1930年代の大恐慌後にサイモン一家が置かれた境遇が大いに関係しています。これらの作品には、家族を捨てた父に代わって幼い二人の息子を連れて親せきを頼って生活しなくてはならなかった母に対する愛情、兵学校で過酷な訓練を受けた少年兵としての思い出、そして兄と別れて劇作家として独り立ちするまでの苦難の道のりなどが子ども時代の思い出とともに描かれています。後期サイモン劇には、移民としてアメリカで生活することで直面する差別、貧困などの苦労を、ユダヤ民族特有の家族の絆で乗り越え、さらに身体的欠陥や精神疾患すらも笑い飛ばす強さが描かれています。

BB三部作にはサイモンの分身であるユージーンがナレーターと登場人物の両方の役を演じながら、思春期の15歳から劇作家として独り立ちする20歳過ぎまでの成長が描かれていますが、これらの作品は家族の絆をテーマとしながら、その台詞にはサイモン喜劇の特徴が見て取れます。例えばユージーンと母ケイトとの間にこのような会話が交わされます。

母     「ローラースケートが片方、キッチンにあるのはどういうわけ!(その上に乗ってすべってころんで)私に死んでもらいたいの?あんたが考えてるのはそういうことなの?」
ユージーン 「(置いたのは)僕じゃないよ」
母     「あんた以外にだれがスケートなんかするのよ。ほったらかしにしないで片付けなさい。パパが帰ってきたときに私がキッチンで死んでたら、あんた、パパになんて言うつもり?」
ユージーン 「今キッチンに入っちゃだめ、って言うよ」

もう一か所食事場面を挙げてみましょう。大恐慌後の物資の少ない中で夕食にレバーが出されたときのこと。

ユージーン「ううっ、ママ、のどに骨がささったみたい」
母     「レバーに骨はありません」
ユージーン 「このレバーまずくて呑み込めないよ」
母     「半分でいいから食べなさい」
ユージーン 「もし半分食べたら、ママはあと半分食べなさいって言うんだろ。自分の部屋に持って行って食べていい?かむのに時間かかるんだ」

ユージーンの文句に母も負けずに言い返します。ほかの登場人物同士の会話もすべてこのようにかけあい漫才のように矢継早に交わされます。このような会話の応酬によって家族の絆が強まったり、あるいは不仲があらわになったりするのです。すれ違いやコミュニケーションの不在も含めてアメリカ演劇のテーマの一つに家族が挙げられますが、サイモン劇には笑いの中にもユダヤ系移民が抱えるさまざまな苦悩が描かれています。観客は登場人物のやりとりに抱腹絶倒しながらも自らの人生を重ねてみるところに、サイモン劇が長い期間にわたって人気を持ち続けた秘密があるのでしょう。