大妻多摩中学高等学校

【校長室より】饒舌な自然―河瀬直美監督作品

饒舌な自然―― 河瀬直美監督作品

「あんは?」
「これなに?」
(業務用のあんの一斗缶を見て)
「どら焼きはあんが命でしょう、どうしてこんないい加減なことを! あんは自分で作らないと」

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満開の桜並木に面したどら焼き屋「どら春」の求人広告を見て訪れた老女は店主の千太郎に詰め寄ります。先ごろ亡くなった樹木希林さんが主演を演じた『あん』の冒頭場面は満開の桜並木。季節が少しずつ移り変わるにつれて、一陣の風とともに桜吹雪が舞い散り、雨が降れば桜の花びらが水たまりのできた道路一面に広がる。花が終わり、緑の葉が出ると、風に吹かれて緑の木立の葉が大きく揺れる。業務用のあんを使ってどら焼きを作っていた千太郎が、安い日給でいいからと懇願されて、70代半ばの吉井徳江をアルバイトとして雇い入れることによって店は繁盛するが、徳江はハンセン病療養所にいたという噂が立って次第に人が遠のいていく、というドリアン助川の同名小説を映画化した作品。徳江は小豆を煮ながら湯気の香りの変化に細心の注意を払い、「がんばりなさいよ」と小豆に声を掛けます。そして、やさしく冷水をかけて灰汁をとるのは「畑から来てくれた小豆たちへのおもてなし」だと語ります。

河瀬直美さんの作品では、緑の木立や四季折々の自然が登場時人物の言葉以上に大きな役割を果たしますが、この作品でも満開の桜と新緑の木々が饒舌に語りかけます。

1997年27歳の時に初の商業作品として制作した『萌の朱雀』が第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を受賞。2007年、第60回カンヌ国際映画祭で『殯の森』がグランプリ(審査員特別大賞)を受賞。2009年には第62回カンヌ国際映画祭で、映画祭に貢献した監督としてアジア人・女性として初の「金の馬車賞」の受賞を果たしました。さらに2013年には第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門の審査員に映画監督として初めて選出されます。2015年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を日本人女性映画監督として初めて受章した河瀬さんは、日本はもちろん海外で高く評価されている監督です。

奈良で生まれ、現在も奈良で生活し、奈良で映画を撮っている河瀬さんは、生まれ故郷で腰を据えて生きることによって地域を元気にしたいと語っています。『萌の朱雀』は過疎化が進む奈良県の架空の村を舞台に、鉄道敷設が中断されたために孤立した山村に生きる人々を描いていますが、観客はスクリーンいっぱいに広がる、大波のようにうねる緑の原生林に圧倒されます。また奈良市田原地区の茶畑で撮影されたという『もがりの森』では、認知症の男性と彼の介護士が迷い込むのは緑の茶畑とうっそうとした春日山の原生林です。ともに愛する人を亡くしたという二人は、死者の魂と生者が交感する原始の森を彷徨うことによって生を取り戻していくのです。

ここまで書いたところで、河瀬さんが2020年東京で開催される東京五輪の公式記録映画の監督を務めることが決まったというニュースが飛び込んできました。女性監督によるオリンピック記録映画というと、1936年のベルリンオリンピックの『オリンピア』(邦題:『民族の祭典』)の監督をしたドイツ人女性のレ二・リーフェンシュタールを思い出しますが、河瀬さんは記者会見で「五輪で日本がどんな変化を遂げるか。物語を伴った作品にすることで世界中の人の心を動かせると思う」と語ったといいます。(10月24日、朝日新聞)奈良を舞台として日本の原風景と日本人を描いてきた河瀬さんが、オリンピックを舞台にどのような映像を制作してくれるか今から楽しみです。