大妻多摩中学高等学校

【校長室より】『プーと大人になった僕』

「なにもしない」をすることの大切さ―『プーと大人になった僕』

People say nothing is impossible. But I do nothing every day.
「なにもしない」なんて出来っこないってみんなは言うけど、ぼくは「なにもしない」を毎日やってるよ。(プー)

テレビの予告篇でユアン・マグレガーがぬいぐるみのプーさんと並んで丸太に腰かけている姿を見て、この映画は大人になったクリストファー・ロビンとプーさんの話であることは察しがつきました。くまのプーさんは好きだけど実写版ってどうなのかな、と半ば期待せずに見に行ったこの映画、なぜこんなに混んでるの(?!)と思いましたが、予想に反してなかなか心に残る映画でした。

「100エイカーの森」では、クリストファーもぬいぐるみの動物たちも「なにもしない」を毎日やっています。でも、クリストファーは成長し、ついに森を後にする時が来てしまいます。子どもでも大人でも現代社会に住む人ならだれもが毎日何もせずに過ごすことなどできません。まして都会に暮らす仕事人間ならなおさらのこと、会社のために身を粉にして働き、自分自身や家族のことを考えるひまもないかもしれません。過労死寸前まで働く現代人にとって、余暇時間の使い方や家族との過ごし方の見直しなどの「働き方改革」が注目されています。この映画はぬいぐるみの力を借りて、現代人に「なにもしない」ことの大切さを教えてくれるようです。

映画は、クリストファーが子ども時代に別れを告げ、寄宿学校に通うために森を去るところから始まります。父親の死、第二次大戦を経て、今やクリストファーはロンドンにある大手商社のカバン部門の責任者として、家族を犠牲にして夜遅くまで働くサラリーマンです。彼は信頼のおける多くの部下に支えられて仕事をしていますが、売上悪化のため上司は彼に部下のリストラを命じます、といった内容から始まるこの映画。戦後のイギリスを舞台にしているとはいえ、クリストファーはまさしく現代を生きる日本のサラリーマンの姿そのもの。娘のマデリンとのコミュニケーションもうまく取れず、たまの休日も家族と一緒に田舎で過ごすことはできません。妻子との断絶、上司と部下の板挟みに悩む彼が無意識に呼び寄せたのが子ども時代に遊んだぬいぐるみたちというわけ。実写版とはいえぬいぐるみはぬいぐるみなので、プーさんが蜂蜜をなめれば手や口はべとべと、瓶が倒れて床に流れ落ちた蜂蜜の上をプーさんが歩き回ればプーさんも床もべとべと、イーヨーが川で流されれば水を含んだぬいぐるみはずっしり重くなるという具合、ぬいぐるみ感は満載です。思った通りのストーリー展開なので詳細は割愛するとして、クリストファーは業績回復のために取締役会でプレゼンをするのですが、大切な書類を入れてあったカバンの中身はイーヨーたちによって木の葉と入れ替えられており、そのことがきっかけでマデリンは父に書類を届けようとぬいぐるみたちと一緒にロンドンを目指します。

校長室より_20181015_プーさん②

『くまのプーさん』(1926)は、イギリス人作家A.A.ミルンが息子クリストファー・ロビン・ミルンのために書いたファンタジー。クリストファーとぬいぐるみたちが過ごす「100エーカーの森」は、ミルンが妻子を連れて夏の間を過ごしたサセックス州の森をモデルにしているとのことです。ぬいぐるみたちはもともとクリストファーがプレゼントとしてもらったクマ(プーさん)、ロバ(イーヨー)、コブタ(ピグレット)。ミルンがストーリーを書き進めるうち、カンガルー親子(カンガとルー)、トラ(ティガー)などが加わったといいます。邦画タイトルは『プーと大人になった僕』ですが、原題はChristopher Robin。欧米で「クリストファー・ロビン」と言えば、プーさんの片手を持って階段を下りてくる半ズボンをはいた男の子の挿絵が目に浮かびます。『プー』シリーズが人気となったのには、この挿絵を描いたE.H.シェパードに負うところが大きいのです。

さてぬいぐるみが登場するといってもこの映画は子ども向けではありません。名の知れた俳優は「大人になったクリストファー」を演じるユアン・マグレガーだけ。マグレガーと言えば『シャロウ・グレイブ』(Shallow Grave, 1994)、『トレインスポッティング』(Trainspotting, 1996)でイギリス映画界に登場して以来、『スター・ウォーズ エピソー1/ファントム・オブ・メナス』(Star Wars: Episode 1 The Phantom of Menace, 1999)、『ムーラン・ルージュ』(Moulin Rouge, 2001)などでその地位を不動なものにしてきました。たまたま大金を手にしたことから殺人に手を染め、転落の道を歩む若者三人組を描いた『シャロウ・グレイブ』と、ヘロイン中毒の若者たちの日常を描いた『トレインスポッティング』をリアルタイムで見た者として、『プーと大人になった僕』で穴に落ちて水中をさまよう悩める等身大のマグレガーは、『トレインスポッティング』で「世界中で最も汚いトイレに吸い込まれる」マーク・レントンの20年後の姿とどうしても二重写しになってしまいます。