大妻多摩中学高等学校

【校長室より】文学の大切さ-カズオ・イシグロ

文学の大切さ―カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞

『遠い山なみの光』
カズオ・イシグロ

昨年度のノーベル文学賞は日系イギリス人のカズオイシグロに贈られたことは以前にも書きましたが、彼は『日の名残り』や『わたしを離さないで』など映画化された作品もあるのでご覧になった方もあるでしょう。時代背景や登場人物は異なるものの、それらの作品に共通するのは「記憶を記録すること」です。日本人の両親とともに5歳で渡英、イギリスの大学を卒業し、1989年のときに書いた『日の名残り』でイギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞して一躍有名になりました。

長編としてのデビュー作『遠い山なみの光』では、戦後間もない長崎を舞台とし、子育てをしたあと英国に移り住んだ悦子という女性を主人公として、彼女の回想というかたちで、原爆の影を背負った彼女の境遇と感情の変化を一人称で書いています。お母様が長崎の被爆体験があるというイシグロはノーベル賞受賞式後のスピーチで、「ノーベルショウ」は「ヘイワ」とは深い関係があると母から聞かされたと話しました。そのときイシグロは、ダイナマイトを発明したノーベルによって創設されたノーベルショウと、原爆投下から10年余り経過した「ヘイワ」の重要性を感じたといいます。

受賞式に先立つストックホルム市庁舎での記念講演会で、ロックスターになるつもりだった10代から、作家として作品を書くに至った自らの作家人生を語りました。両親はいつか彼を連れて日本に帰国し、いずれは日本人として生活することになると考えて、幼い彼に日本の情報を与え続けたといいます。こうしてイシグロの心の中には、実際には帰ることのなかった日本に対するイメージがより強くなっていったといいます。彼はイギリス文学と同時に川端康成、谷崎潤一郎の小説や小津安二郎や成瀬巳喜男のような映画監督の影響を大きく受けるようになります。

作家として作品を残すようになると、イシグロは両親の世代の記憶や教訓を次の世代に伝える義務があると感じるようになったといいます。彼は、国家間の反目の中に生きている現代世界において、文学こそが、分断された壁を越えて私たち人類が共に戦うすべを思い出させてくれる、と語りました。ヨーロッパや中近東の政情不安やアメリカ各地でテロが起きている現状をみるにつけ、イシグロは若い世代の作家たちの活躍に大いに期待していると述べ、次のように講演を締めくくりました。

Good writing and good reading will break down barriers.

「優れた文学作品を書いて良い作品を読めば、分断された壁を打ち破ることができるのです」と。

近年若い人たちが本を読まないとか、大学の文学部が縮小されていくというニュースを聞くにつけ、文学は、すぐに役に立つものではありませんが、人生や社会を豊かにするためには不可欠なものだと感じます。カズオイシグロの作品は、昭和の日本人作家が書いたようにみえる『遠い山なみの光』から、英国人作家が書いたかと思われるような『日の名残り』、そして『わたしを離さないで』のようなディストピア小説に至るまで実に多様で多彩です。

大妻多摩にはアカデメイア棟という立派な図書館があります。図書館を大いに利用して、イシグロが言うように、優れた作家による優れた作品を読んで、おおいに人間性を豊かにしていただきたいと思います。

スウェーデン・アカデミーは、選考委員の不祥事から今年のノーベル文学賞の発表を見送ることを決定し、今年と来年の受賞者二人の発表を来年2019年に持ち越すと発表しました。この二人の作家は誰になるのか、果たして日本人作家の受賞はあるのでしょうか。