大妻多摩中学高等学校

【校長室より】中学三年生 卒業に寄せて 

卒業生のみなさん②

桜の開花が待たれる3月18日、大妻多摩高等学校と大妻多摩中学校の卒業式が行われました。


桜①

中学三年生のみなさん、大妻多摩中学校ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様、お嬢様のご卒業をお祝い申し上げます。新しい制服を着て大妻多摩の正門をくぐってから三年、お嬢様方の成長は目覚ましいものがあったのではないでしょうか。

さてみなさんは昨年秋の修学旅行で広島を訪れ、被爆者の方の話を伺ったり、千羽鶴を奉納しましたね。そして、平和祈念館を見学して当時の惨状の写真を見たり、2016年に当時のオバマ大統領が折った折り鶴を見て、核兵器のむごさと平和の大切さを身をもって感じられたと思います。

そして今年度のノーベル平和賞は、核廃絶を訴えてきたICANが受賞したことをみなさんご存知だと思います。ICANはジュネーブに本部を置くInternational Campaign to Abolish Nuclear Weapons(核戦争廃絶国際キャンペーン)のこと、核兵器禁止条約の交渉や支持のロビー活動を行う目的で設立された国際運動の名称です。受賞理由は核兵器の非人道性を訴え、核兵器禁止条約の採択の後押しをした功績が認められたということです。
受賞式ではICAN事務局長である35歳のベアトリス・フィンと、組織の一員で被爆者である85歳のサーロー節子という二人の女性が感動的なスピーチをしました。

サーロー節子さん(Thurlow)はその名前からわかるように、カナダ人と結婚し現在はカナダ国籍を持っています。彼女はみなさんと同年代の13歳の時に広島で被爆し、親族を何人も亡くしました。彼女は戦争末期の当時、成績優秀の女子生徒が選ばれて陸軍施設で前線からの暗号解読の仕事をしていて被爆しました。13歳の生徒に暗号の解読をさせるとは日本は当時よほど戦況が悪化していたのだろう、と節子さんは後から思ったそうです。その後彼女はアメリカに留学、さらに結婚してカナダに移り住み、ソーシャルワーカーとして働くかたわら、自らの原爆体験と核兵器廃絶を訴えている活動家でもあります。

節子さんは2017年7月7日に国連における核兵器禁止条約採択の際に被爆者代表として出席し、その姿がメディアにも大きく取り上げられたのでその記事をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。国連加盟193か国中、124か国が出席、122か国が賛成して採択された条約です。しかしそれに先立つ交渉会議において、世界で唯一の被爆国でありながらアメリカの傘の下にいる日本政府は会議にすら出席を拒否、それは「北朝鮮の核の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」という理由からでした。

授賞式で節子さんは奇跡的に生き延びた被爆者の一人として英語で語りかけます。“Humanity and nuclear weapons cannot coexist.”「人類と核兵器は共存できない」”と。被爆した時彼女は建物の下敷きになり、気付いた時身動きが取れなかったといいます。その時「あきらめるな、壁を押し続けろ、光に向かって進むんだ」という声に導かれて、ようやく外に這い出ることができたそうです。被害に遭った人々のなかには、節子さんの家族も351人の同級生もいました。節子さんは生き残った者として、地球を破壊する核兵器について世界に警告しなくてはならないと確信し、証言を繰り返してきました。

桜④

節子さんは世界のすべての国の大統領や首相たちに、核兵器禁止条約に参加して、核による絶滅の脅威を永遠になくしてほしいと訴えたのです。核兵器の開発は国家を偉大にするものではない、核兵器は必要悪でなく、絶対悪なのです、と。
13歳の時にこのような経験をした節子さんと比べて、みなさんはなんと幸せなのだろうと思いませんか。世界各地で紛争が起き、幼い子供たちが被害にあっている状況に思いをはせるとき、平和な日本で勉強できることを幸せなことだと感じて、高校に進学してさらに勉強に励んでください。

大妻多摩中学校ご卒業おめでとうございます。