大妻多摩中学高等学校

【校長室より】カズオ・イシグロ『日の名残り』

「執事小説」といえばカズオ・イシグロの『日の名残り』

カズオイシグロ『日の名残り』
カズオ・イシグロ

毎年のようにノーベル賞決定の時期になると文学賞の受賞者候補リストにあがる作家と言えば村上春樹氏ですが、今年は日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏(本名 石黒一雄 1954-)が受賞しました。長崎生まれで両親とも日本人です。イシグロ氏は父親の仕事の関係で幼少期に渡英、ケント大学からイースト・アングリア大学大学院創作学科を卒業し執筆活動に入りました。 現在はイギリス国籍を取得しており、1989年35歳の時に書いた『日の名残り』(The Remains of the Day)でイギリス最高の文学賞であるブッカー賞を受賞、一躍有名になりました。この作品こそ、貴族ダーリントン卿に仕える執事スティーブンスの一人称で書かれた回顧小説なのです。

物語は1956年7月のダーリントン・ホール(ダーリントン邸)に始まります。以前の屋敷の持ち主ダーリントン卿亡き後、屋敷の新しい所有者であり、スティーブンスの新しい主人であるアメリカ人富豪ファラディ氏に休養を勧められ、彼はコーンウォール地方へ自動車旅行をする決心をします。 スティーブンスは旅の道すがら日記を書きながら、1930年代、ダーリントン卿に仕えていた華々しい時代を思い返していきます。主人の栄誉のために自らは個性をなくして影のように振る舞い、忠実なる従者として仕事をしてきた彼のこだわりは、「品格のある偉大な執事」になりたいということでした。次第に彼の頭にはハウスキーパーのミス・ケントンと副執事として実の父を迎えた時に遡ります。

国王を戴く立憲君主国イギリスでは、エリザベス女王を頂点としていまだに階級制度が存在します。階級の存在はイギリス国民だれもが意識しており、異なる階級同士の交流は極めて少ないといいます。能力があれば財をなし、社会で高い地位につくことができる移民の国アメリカとは異なるのです。イギリスにおける上流、中流、下層という3つの階級区分は19世紀ごろから存在し、中流はさらに上中下の3段階に分れます。王室と貴族で構成されている上流階級は全人口の10%以下であるのに対して、最下層の労働者階級は全人口の半分以上だといいます。職業という点で見ると、世襲の広大な領地や城屋敷を所有する上流階級は働かずとも収入が得られるのに対して、中流階級は弁護士、医師、大学教授などの専門職から国会議員、会社重役、農場主、教師、さらに銀行員、会社員、秘書、警官などが含まれます。下層の労働者階級には執事やハウスキーパーを含む家事使用人、バス運転手、コック、大工、家具職人から郵便配達、ウェイター、ビル清掃員、土木作業員などがおり、それぞれの階級において仕事は世襲で引き継がれることが多いのです。教育も階級によって異なり、有名パブリックスクールからケンブリッジ・オックスフォードのような名門大学に進学出来るのは上流階級の子弟であり、労働者階級は経済的にも社会システム的にも高等教育を受けられる割合は極めて少ないといいます。教育が異なれば、使用する言葉(語彙とアクセント)、楽しむスポーツや娯楽、音楽、新聞までもが階級によって異なるのがイギリスなのです。

「お帰りなさいませ、ご主人様」や「行ってらっしゃいませ、お嬢様」という言葉ですぐわかるように、執事やメイドというと、少し前に人気になった執事喫茶やメイドカフェを思い描くかもしれませんが、そもそも家事使用人(domestic servant)である執事やメイドはイギリスの階級社会に組み込まれた伝統的な職業なのです。上流階級の人々が、郊外に構える広大な敷地に建つ邸宅には、家令(house servant)を筆頭に執事(butler)、料理人(cook)、従僕(valet 読み方はヴァレ)、下男(footman)、庭師(gardener)などの男性の使用人のほかに、ハウスキーパー(housekeeper)、レイディーズ・メイド(lady’s maid)、料理人(cook)、乳母(nurse)、メイド(maid)、家庭教師(governess)などの女性使用人がいました。(新井潤美著『執事とメイドの裏表』より)

『日の名残り』の執事スティーブンスは家のことを一切任される家令の役割も兼ねた執事であり、父親を副執事として雇い入れる前から男性使用人の総監督の役割を担っていたといえるでしょう。『日の名残り』は、第二次大戦中から戦後へと価値観が大きく移り変わるイギリス社会を、執事の目から見るという極めてイギリス的な小説ですが、イシグロ自身は直接執事を知っていたというわけではなく、イギリスのユーモア作家P.G.ウッドハウスの小説の「執事ジーヴス」をモデルにしたということです。

『日の名残り』は小説もさることながら、私にはジェイムズ・アイヴォリー監督によって映画化された作品(1993)が印象に残っています。映画では小説の主要なエピソードは含まれているものの、中心に据えられているのは人間的感情を一切表に出さずに主人に仕える執事スティーブンスと、ハウスキーパーであるミス・ケントンとの押し殺されたような恋愛です。二人はそれぞれ使用人たちの監督者という立場でありながらしばしば対立しますが、ミス・ケントンはスティーブンスのひたむきな仕事ぶりに次第に惹かれていきます。しかし二人の間には愛情深い言葉が交わされるわけでもなく年月だけが過ぎていくのです。スティーブンスをアンソニー・ホプキンズ、ミス・ケントンをエマ・トンプソンが好演しています。また、映画では二人の静かな愛憎関係のほかに、戦後の価値観の変化に翻弄されるイギリス貴族の姿も描いていますが、ダーリントン卿に向かって「(イギリス人のあなたは)国際問題には素人だ」と言い放つアメリカ人上院議員ルイスを「スーパーマン」役のクリストファー・リーブが演じています。本作撮影2年後に彼が落馬事故で車椅子生活になったのは皮肉なことです。

小説になったときの『日の名残り』という日本語タイトルは実に名訳だと思いますが(土屋政雄訳、早川書房)、“the Remains of the Day”とは「日が暮れる前のひととき、一日で最も素晴らしい時間」を意味するといいます。1930年代第二次世界大戦前のイギリス貴族の館で秘密裏に行われた各国首脳会議、そしてナチス宥和政策に荷担したとして失脚したダーリントン卿、さらに彼の屋敷を引き継いだアメリカ人富豪。まさに時代の転換期の社会と人間もようを目の当たりにしながら、一切何も見ないふりをすることに徹した執事スティーブンスは、情感こもった私生活を求めようともしませんでしたし、ミス・ケントンの愛情など気づきもしなかったのです。彼自身人生の黄昏時を迎え、執事という仕事は過去の遺物にしかすぎないことを自覚しながら、ミス・ケントンとの再会にひとときの心の安らぎを得たスティーブンスは、アメリカ人の主人をイギリス流ウィットで笑わせようとひそかに決意するところで話は終わります。時代が変わろうとも、理想とする執事像をさらに追求しようとするスティーブンスは、自らの行いを正当化し自己欺瞞に陥りつつも「品格のある偉大な執事」としての尊厳を保とうとするのです。