大妻多摩中学高等学校

【校長室より】ジョン・レノンに多大なる影響を与えたオノ・ヨーコ

ジョン・レノンに多大なる影響を与えたオノ・ヨーコ

オノ・ヨーコさんが昨年来体調を崩してからはあまりメディアに登場していないというニュースを聞いて心配していたところ、NHKの『ファミリー・ヒストリー』にヨーコさんが息子さんのショーン・レノンさんと一緒に出演するというので放映を楽しみにしていました。NHKによれば、実は収録前日まで本当にヨーコさんが出演するかどうか確証はなかったといいますが、8月18日の放映にはサングラスに帽子、黒シャツに白いジャケットを着た私たちが見たことのあるヨーコさんが笑顔でショーンさんの隣に座っていました。番組では、ショーンさんは英語版、ヨーコさんは日本語版の小野家の歴史を辿る映像を見ながら自由に会話をするという方式がとられていました。

イマジン写真

ヨーコさんの父方の祖父は日本興業銀行総裁を務め、父親も東京銀行常務取締役として海外勤務、母親は安田財閥の祖の孫というように、幼少時代から何不自由ない生活を送り、父親の勤務に伴ってニューヨークやロンドンに転居、ニューヨークのサラ・ローレンス大学で音楽と詩を学びます。彼女は前衛芸術を目指して大学を中退、それからさまざまな前衛的作品や音楽のパフォーマンスによってアメリカでは評価されるも日本では彼女の芸術を認める土壌がまだ育っておらず、苦労を重ねたといいます。60年代ロンドンを訪れたヨーコさんはそこでビートルズのメンバーであるジョン・レノンと出会い意気投合、二人は1969年に結婚します。翌年の1970年にビートルズは解散、その原因はヨーコさんにあるとの批判を受け、二人は活動の場をニューヨークに移しますが、そこで生まれたのがジョンの代表作である『イマジン』だといいます。二人は当時アメリカを席巻していたベトナム反戦運動、公民権運動やフェミニズム運動に傾倒していきます。1975年二人の間にショーンさんが生まれますが、ジョンは1980年、自宅のあるニューヨークのダコタアパート前で銃弾を浴びて死亡しました。40歳でした。
今回の放映は、ショーンさんが父親の亡くなった年齢を過ぎたことと、ヨーコさんの近況を日本人視聴者に知らせること、そして何よりも二人のルーツである小野家の家族の歴史を辿るという目的が一つ、『イマジン』誕生にまつわる話を公にするという二つの目的があったようです。今までジョン単独の作品とされていた『イマジン』の作詞・作曲のクレジットにヨーコさんの名前が付け加えられることが、今年6月アメリカ音楽出版協会NMPA(National Music Publishers’ Association)によって認定されたのです。番組の中では、ヨーコさんが60年代に発表したコンセプチュアル・アート“Grapefruit ”に掲載された一遍の詩‘Tunafish Sandwitch Piece’にジョンがインスパイアされたと伝えました。この詩は次のように始まります。

 

Imagine one thousand suns in the
Sky at the same time.
Let them shine for one hour.
Then, let them gradually melt
Into the sky.

空に千個の太陽があるって想像してごらん
それらの太陽を一時間だけ輝かせてみよう
それからその太陽を空の中に徐々に溶かしてみよう

 

この短い詩が、ジョンの手によって平和を願う『イマジン』という詩に生まれ変わるのです。

 

Imagine there’s no Heaven     天国なんてないと想像してごらん
It’s easy if you try            やってみると簡単さ
No Hell below us            地下には地獄なんてないし
Above us only sky            上には空があるだけ
Imagine all the people          すべての人々が
Living for today…            今日のために生きていると想像してごらん

Imagine there’s no countries       国境なんてないと想像してごらん
It isn’t hard to do             難しいことじゃない
Nothing to kill or die for         殺したり死んだりする理由なんて何もない
And no religion too            宗教もない
Imagine all the people          すべての人々が
Living life in peace            平和な生活をすることを想像してごらん

You may say I’m a dreamer       ぼくのことを夢見る人だって言うかもしれない
But I’m not the only one         でもぼくは一人じゃない
I hope someday you’ll join us      いつか君がぼくたちの仲間になるといいね
And the world will be as one       そうすれば世界は一つになる

Imagine no possessions         独占なんてないと想像してごらん
I wonder if you can            君ならできるさ
No need for greed or hunger       欲張る必要もないし飢える必要もない
A brotherhood of man           人類みなきょうだい
Imagine all the people          すべての人々が
Sharing all the world           世界を分かち合うことを想像してごらん

You may say I’m a dreamer       君は僕のことを夢見る人というかもしれない
But I’m not the only one         でもぼくは一人じゃない
I hope someday you’ll join us      いつか君がぼくたちの仲間になるといいね
And the world will live as one.      そうすれば世界は一つになる

 

セントラルパークのストロベリー・フィールズセントラルパークのストロベリー・フィールズ

 

『イマジン』がジョンとヨーコの共同作品となることはジョンの生前の願いだったといいます。ニューヨークのダコタアパート近くのセントラルパークにはジョンの死後作られた記念碑ストロベリー・フィールズがあります。これはビートルズの曲‘Strawberry Fields Forever’にちなんだもので、ジョンの死を悼んで、中央に‘IMAGINE’と記された円形のモザイクの上にはいつ行っても花が飾られています。2001年9月11日、同時多発テロがニューヨークとワシントンに起きた際、テロに対する報復を支持する人たちによって一時この歌の放送自粛が伝えられましたが、オノ・ヨーコはこういう時こそ平和を祈ってこの歌を歌うべきだと新聞の朝刊に詩の一行を載せて話題になりました。

 

‘Imagine all the people living in peace.’

 

ジョン・レノン、ヨーコ夫妻は結婚後の1977年から3年間日本を訪れたときにはたびたび軽井沢を訪れましたが、私も偶然旧軽のメインストリートで夫妻に遭遇したことがあります。それからしばらく年月を経た90年代、私は演劇研究のため年に二度ニューヨークに通っていましたが、セントラルパーク西のダコタアパート近くの横断歩道で、数人の男性を伴って歩いてくるヨーコさんとすれ違ったことがあります。周りは人通りが少なく、互いにただ日本人だと確認しあったようなそんな出会いでした。この二度目の出会いから20年ほどの時が経ち、ヨーコさんの消息が案じられた時でしたので、彼女の元気な姿と声を聴くことができた今回の放映はとてもうれしいものでした。晩年ビートルズとは袂を分かち反戦と平和運動に身を投じたジョンと前衛芸術作品を通して平和を願ったヨーコ、二人の行動は時にメディアを騒がせましたが、たとえバッシングを受けても、愛と平和という共通理念のもと互いの才能を認めたからこそ『イマジン』が生まれたのだと思います。