大妻多摩中学高等学校

【校長室より】大妻コタカと大橋鎭子

大妻コタカと大橋鎭子―― 昭和を生き抜いた女性たち

 7月22日から9月10日まで、東京九段下の昭和館で「昭和を生き抜いた女性たち ~ 大妻コタカと大橋鎭子(しずこ)らが生きた時代~」というタイトルで特別企画展が催されています。
 

大妻コタカと大橋鎭子②昭和を生き抜いた女性たち

 
 昭和の前半は1929年(昭和4年)に始まる世界大恐慌に次いで1931年(昭和6年)の満州事変、そして1937年(昭和12年)の日中戦争から1941年(昭和16年)の第二次世界大戦に至るという戦争の時代でもありました。今まで家の中で家事をしたりこどもの世話をしていた女性たちは、戦地に赴く男性に代わって、会社や工場の働き手となったり、子女を教育する教育者や地域を守るリーダーになるなど、さまざまな分野で活躍し始めます。
 
 大妻コタカが創立した大妻技芸学校は、1929年(昭和4年)に財団法人大妻学院として認可され、第二次世界大戦に向けて日本全体が不穏な空気に包まれる中、高等家政科、高等技芸科、研究科の卒業生の中には教員免許を取得する者も出て、1942年(昭和17年)には大妻女子専門学校へと発展します。第二次世界大戦まっただなかの1944年(昭和19年)には学徒戦時勤労動員実施により、教員や生徒は校内に設置された軍需工場で軍服の縫製にあたったといいます。しかし、1945年(昭和20年)の東京大空襲では木造校舎は全焼、昭和館の展示の最初の写真は、焼け落ちた校舎の跡地で、モンペ姿で卒業式を行っているコタカの姿です。

 

大妻コタカと大橋鎭子①
焼け落ちた校舎後での卒業式。
記念会出版の「創立者の生涯と学院のあゆみ」より

 

 一方、大橋鎭子は女性のための新しい雑誌『暮らしの手帖』を花森安治らとともに創刊、戦後の女性のために新しい暮らし方やファッションなどを紹介し、一躍脚光を浴びました。彼女は2016年に4月に始まったNHK朝の連続ドラマ『とと姉ちゃん』のモデルにもなりました。
 
 終戦を迎えて出兵した男性が帰国すると、女性たちは一度は家庭に戻されますが、自立して仕事をしていたという自覚と自信から再び家の外にでて働くようになります。新憲法の発布、選挙法の改正により女性にも婦人参政権が与えられ、女子も男子と同様の教育の権利が与えられると、女子の進学率と就労率は次第に上昇しました。今回の展示には、戦後の女性の活躍を示すように、市電の女性車掌の勤務風景や大学における共学のクラスの写真、経済復興と大量消費社会を表すような電気製品や機能性を重視したドレスなどが展示されています。
 
 平成の世も17年になり、昭和は遥かむかしになりました。1964年(昭和39年)の東海道新幹線開通と東京オリンピック開催を経て日本は高度成長期に突入し、それから70年余を経る2020年には東京で再びオリンピックが開かれます。今回コタカ先生と大妻学院が取り上げられると知り、昭和館の展示を見に行きましたが、小規模な展示ながら、戦中戦後を支えたのは、リーダー的存在の著名女性だけでなく、多くの名もなき一般の女性たちだということがよくわかりました。大妻コタカと大橋鎭子はたまたま彼女たちの代表として取り上げられたにすぎません。割烹着に銃を肩に担いで行進したり、軍需工場で働いたり慰問袋を作成する女性たちの力があったからこそ、日本は戦争に負けてもその精神だけは負けずに見事に戦後復興したのだと思います。
 
 生徒のみなさんにとってはひいおばあ様・おばあ様の時代かもしれませんが、大妻コタカ先生の建学の精神にふれ、昭和という時代の強い息吹を感じるためにも昭和館の展示は一見の価値があります。