大妻多摩中学高等学校

【校長室より】『クローディアの秘密』

『クローディアの秘密』-「わたしの家出は、あるとこから逃げるんじゃなくって、あるとこに逃げ込むことよ」

映画『メットガラ』の項で、「メットガラ」とはニューヨークのメトロポリタン美術館、通称メットで行われる衣装の祭典だと書きましたが、今回はメットを舞台にしたジュニア小説『クローディアの秘密』をご紹介しましょう。1967年にE.L.カニグズバーグによって書かれた本で、彼女はこの作品によって児童文学の権威あるニューベリー賞を受賞しました。日本でも小学校の読書課題などに使われるので読んだ方もあるかもしれませんが、その設定の面白さとサスペンスに満ちたストーリー展開が、長年にわたって読者の心を引き付けました。何よりも、普通のこどもがメトロポリタン美術館で生活しながら特別展示の「天使の像」の謎を解くという非日常性が、同年代のこどもたちの心をつかんだのでしょう。

 

クローディアの秘密②

 

『クローディアの秘密』は、ニューヨークの郊外のグリニッチに住む少女クローディアが、3人の弟たちとのテレビのチャンネル争いや不公平に嫌気がさして、9歳の弟ジェイミーを連れて家出を企てるところからストーリーは始まります。11歳11か月のクローディアにとって、優等生でいることが嫌になったことも家出のひとつの原因なのです。彼女の家出は、いわゆる「頭にきて着のみ着のままで家を出るという昔風の家出」ではなく、「あるとこから逃げるんじゃなくて、あるとこに逃げ込む」(“her leaving home would not be just running from somewhere but would be running to somewhere.”)という家出であり、彼女はその行先きを大きくて快適なメトロポリタン美術館にしようと決めていました。クローディアとジェイミーはトランペットとバイオリンのケースに着替えをつめて美術館を目指します。ふたりは昼間は自分たちと同じような小学生の団体にくっついて説明を聞き、夜はかびくさい英国ルネサンス時代のベッドで寝て、お風呂の代わりに広い噴水で水浴びをし、汚れた下着は美術館の外のコインランドリーで洗って、毎日美術館を出たり入ったりして規則正しく生活をします。そうしているうちに、特別展示であるミケランジェロの作と思しき「天使の像」に引き付けられ、この像の真贋について調べ始めます。たどり着いたところが大富豪の美術収集家フランクワイラー夫人。彼女は、「天使の像」が本当にミケランジェロの作品かどうかというより、心の中に秘密をもつことの方が大切だとクローディアたちに話をしてきかせます。

そもそもこの『クローディアの秘密』の原題はFrom the Mixed-Up Files of Mrs. Basil E. Frankweiler、直訳すると「バジル E.フランクワイラー夫人のごちゃまぜファイルから」です。このタイトルを見ただけでは読みたくなるようなストーリーには思えません。日本でこの作品がロングセラーになった理由は、日本語訳が出版されたれたときのタイトルを『クローディアの秘密』としたことだと思います。(松永ふみ子訳、岩波文庫、1975) この本の冒頭には、フランクワイラー夫人が自分の遺言状を変更する理由について書いた顧問弁護士のサクソンバーグ氏宛ての手紙が載っています。でも、夫人の遺言状がクローディアとジェイミーの冒険とどのように関係があるかがわかるのは本の最後のほうなのです。

『クローディアの秘密』出版35周年を記念して、カニグズバーグは2002年にあらたにこの本の「あとがき」を書きました。日本語訳には載っていませんが要約すると次のようなことです。

「出版から35年を経て、自分もニューヨークもメットも変わりました。貿易センタービルのツインタワーはクローディアたちがグリニッチからニューヨークに到着したときはまだ建設されていませんでした。(1973年に完成)そして私たちは2001年9月11日のあの同時多発テロを経験し、アメリカが置かれている状況も人々の価値観も大きく様変わりしました。この本が書かれた1967年当時は大学紛争まっただなかで、ベトナム戦争反対のデモや人種差別暴動などが起きていました。この本は、メットが二束三文で真贋不明の「天使の像」を買ったという新聞の小さな記事を見たことがきっかけで書いたものですが、家出をするというクローディアの戦いは心の中の戦い(葛藤)であり、それは時代を経ても変わりません。でも読者はこのストーリーの細かいところを気にするものです。たとえばある読者はふたりのこどもが1週間過ごすのに24ドル43セントしか持っていないのは非常識としか思えないと書いてきました。この本が書かれた時と比べて、メットは大きく変化しました。当時入場料は無料でした。クローディアたちが水浴びした噴水も、彼らが寝たベッドも今はありません。しかし、今でもメットのスタッフたちはこの本の熱烈な読者からいくつも質問を受けるそうです。」

 

クローディアの秘密①

 

ニューヨークのマンハッタン、セントラルパーク東5番街に面しているメトロポリタン美術館は、ロシアのエルミタージュ美術館、フランスのルーブル美術館と並んで世界三大美術館のひとつですが、開館したのは比較的新しい1880年のことです。建物の総面積は15万㎡、コレクションは330万点、『クローディアの秘密』が書かれた1967年でさえ年間25万人、2015年には65万人の入場者が訪れたそうです。メットのコレクションにはエジプト、イスラム、アジア、ヨーロッパ、アメリカ美術をはじめ、家具や楽器や衣装に至るまで19の部門に分かれて、それぞれが充実した内容を誇っています。なかでも3000点以上に及ぶ13~18世紀の欧米絵画のコレクションは特に素晴らしく、世界各国から訪れる入場者の目を楽しませています。メットはニューヨークを訪れるときには私が必ず立ち寄る美術館ですが、個人的にはマンハッタンの北のはずれのフォートライオン公園にある別館「クロイスターズ」がお勧めです。マンハッタンの喧騒を離れて、タイムスリップしたような空間のクロイスターズは、中世の僧院を模した回廊建築のなかに彫刻、写本、工芸品や絵画などの中世美術が展示されていて、まるでヨーロッパの僧院を訪れたような錯覚に襲われます。

ところで、メットつながりで今回『クローディアの秘密』を英語の原作と翻訳とを読み返してみて、ジェイミーの口癖の“Oh, baloney”(うそっぽい、ばかばかしい)が、音もよく似ている「ぼろっちい!」と訳されているのはうまいと思いましたが、全体的に小学生の姉と弟の会話にしてはなんとなく堅苦しい。翻訳が古臭い感じがするのは否めないと思いました。ただし冷静に考えてみて、小学生二人があのだだっ広いメトロポリタン美術館に1週間住むなんてありえるでしょうか。だいたい夜間に人に見つからずにどこかに隠れることなどできるでしょうか。真っ暗な美術館でミイラや石像やかび臭い中世の調度品や絵画に囲まれ、クローディアたちはこわくなかったのでしょうか。おそらくセキュリティのしっかりしている現代なら、巡回の守衛さんに頼らず、コンピュータによるセキュリティが万全でしょうから、美術館に住むなどできるはずがありません。自由に出入りできたのも、セキュリティの甘さと入場料が無料だったからでしょう。それに噴水の中に投げ込まれた小銭を生活費の足しにするのは、厳密に言えば窃盗に当たります。そんな堅苦しいことを言わないでと言われそうですが、こども二人が1週間行方不明になることじたい大事件です。メトロポリタン美術館を家出の行先にする意外性、クローディアたちの日常生活の面白さに加えて、「天使の像」の謎解きとフランクワイラー夫人の正体など、出版当時の50年前ならいくつもの謎が次々と明かされる面白さがあったと思いますが、現代の目で冷静に読んでみるとちょっと違和感があります。でもそう感じるのは、わたしに純粋なこどもの目がなくなってしまったからかもしれませんが。