大妻多摩中学高等学校

【校長室より】草間彌生

「水玉の女王」草間彌生

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昨年の文化勲章受章者は大隅良典(細胞生物学)、中野三敏(日本近世文学)、船村徹(作曲)、草間彌生(絵画)、平岩弓枝(小説)、太田朋子(集団遺伝学)氏の6人、中でも三名の女性が受章するということは今までにない快挙でした。今回は私の大好きな草間彌生さんについて書きたいと思います。

真っ赤なウィッグに赤地に白の水玉模様のドレスを着た草間彌生さんの作品といえば黄色に黒の水玉模様の巨大なかぼちゃが有名ですが、このような強烈な印象の作品はどのように生まれたのでしょうか。

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1929年生まれの草間さんは両親との関係からくる強迫神経症に悩まされ、絵を描くことで精神的不安から逃れようとしたといいます。息苦しい日本社会や美術界を逃れて彼女が渡米したのは1957年28歳の時でした。当時アメリカに行くには身元を引き受けてくれる人が必要でしたが、草間さんは無謀にも画集で作品を見たことがあるだけの女性画家ジョージア・オキーフに手紙を出したのです。オキーフといえばキャンバスいっぱいの花や砂漠を背景にした牛の骸骨の絵で有名ですが、オキーフはすでにアメリカ現代美術の第一人者でした。そしてこの手紙が縁で、当時70歳になろうというオキーフが、ニューヨークに到着したばかりの草間さんに会いに来てくれたのだというのです。オキーフは画商を紹介してくれ、こうして若き日本人画家の貧しい生活が始まりました。

草間さんがアメリカに滞在していた1957年から1973年といえば、戦勝国としてのアメリカの消費文化が開花し、自家用車や各種の電化製品があふれ、一般家庭へのテレビの普及によりメディアが飛躍的に発達した時でもありました。また60年代初頭からの人種差別撤廃に対する公民権運動に続き、フェミニズム、エコ革命、そしてベトナム戦争から反戦運動に至るまで、アメリカの価値観が大きく変化した時代でした。特に若者たちによる反体制文化(カウンターカルチャー)が広まり、平和・愛・自由などを提唱するヒッピー文化が広がりました。この真っただ中にいたのが草間さんなのです。彼女はニューヨークのセントラルパークや証券取引所など人の集まるところにゲリラ的に出没し、数人の若者の裸の体に水玉模様を描くというハプニングを行って警察に捕まったり、それがまた人気になって前衛画壇の女王として祭り上げられますが、一方日本の美術界からは「日本の恥」として批判を受けることもあったといいます。

日本に帰国後の草間さんの活躍はみなさんもご存知かと思いますが、時に精神を病んで入退院を繰り返しながら、精力的に作品を世に送り出しています。2000年に入り、その名声が定着した草間さんの展覧会は日本各地、そして世界中で開かれ、2012年にはパリのポンピドゥーセンター、ロンドンのテート・モダン、ニューヨークのホイットニー・ミュージアムで大々的な回顧展が開かれました。2013年には「24時間テレビ」で、嵐の大野くんとのコラボでチャリTシャツを製作したことが記憶に新しいところです。草間さんは絵画だけでなく小説を書いたりファッションブランドとのコラボなど幅広く、作品は巨大な野外芸術(パブリックアート)に至るまで日本各地でも見ることができます。私がニューヨークと東京で見た、赤地に白の水玉が点在したオブジェが至る所に置いてある鏡張りの小部屋は迫力がありました。彼女の作品のテーマはオブセッション(強迫観念)による「増殖と反復」、細かい網目や水玉、無数のソフトスカルプチャーなどが無限に描かれています。

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草間さんの作品の中に「クサマトリックス」という少女像と犬からなるインスタレーション(屋外に彫刻などを据え付け、観客も取り込む芸術の一手法)があります。彼女によれば「青春を前にした少女たちが周りの世界に対して感じる新鮮な驚きと、彼女たちの未来への若々しい夢を謳歌する様子を作ってみようと思った」(『水玉の履歴書』)ということですが、戦争の暗い影と社会不安、理不尽な社会制度の中でもがき苦しんだ自身の少女時代を思い返し、自分自身の幸福への願望を描いたのだといいます。

「わたしは人の影響を受けたことがありません。自分自身の芸術を信じているからです。」
「日本の文化、伝統からは影響を受けていません。」(『水玉の履歴書』)インタビューでこのように言い切る草間さんは、88歳になった今、まさに青春を謳歌しているといってよいでしょう。

今回の文化勲章受章を記念して2月22日から東京六本木の新国立美術館では過去最大級の展覧会「わが永遠の魂」が開かれます。2009年から描き続けている「わが永遠の魂」シリーズの最新作100点以上が初公開されるということで、今から開催が楽しみです。