大妻多摩中学高等学校

【校長室より】『発達障害の僕が輝ける場所を見つけられた理由』

栗原類著『発達障害の僕が輝ける場所を見つけられた理由』

 

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この本はネガティブタレントとしてバラエティなどに出演している栗原類くんの自伝であり、彼を温かくも厳しい助言で支えてきたお母様、そして主治医の先生との共著でもあります。

笑顔一つ見せず淡々とインタビューなどに応じている類くんをテレビで見て、ネガティブを売り物にしているわりにはきちんと話ができる人だと思っていました。そのうち彼が映画の内容を交えながら海外の映画俳優にインタビューをするのを見て、シナリオ通りでない自然な英語が話せる人なのだとますますその存在が気になり始めました。またあるとき、お母様と一緒に出演している番組を見たのですが、キャリアを持ちながらしっかりした子育ての意見をお持ちのお母様だったという印象をもちました。その彼が書いたのが表題の本。子どもの頃から赤ちゃんモデルとして大人の世界で仕事をし、お母様の仕事の関係でニューヨークを拠点として日本と海外を往復しながら生活をした理由は彼の「発達障害」にありました。

現在21歳になる類くんは小さい頃から感覚過敏、注意散漫で忘れ物が多い、二つの動作が同時にできない、記憶力が弱い、感情表現が苦手で無表情に見えがちなことから、ニューヨークの小学校時代に「発達障害」(ADD)と診断されます。小学校での面白いエピソードがあります。類くんの障害に気付いたサンドラ先生は、人とのコミュニケーションにはユーモアのセンスが重要だと話し、見るように勧めたのがお笑い番組なのです。当時の子どもたちの間で流行っていたのが「シンプソンズ」や「サウスパーク」、どちらもブラックジョークや差別用語・卑猥な表現がでてくる、大人が子どもには見せたがらない種類のアニメですが、類くんはそういったドタバタ喜劇から笑いの壺を理解したそうです。日本の先生だったらそのようなポジティブな指導ができるでしょうか。

類くんは日米を行き来しながら、その端麗な容姿と人とは違った特異なファッションからいじめにあい、帰国子女枠のほうが有利だからと海外生活をしながら中学を受験するもことごとく失敗、通信制の高校に入学してはじめて自分の居場所を見つけたこと、英語が話せることが幸いして(というより、英語を話せることが自信になり)、次第にモデルや俳優としても認められるようになったことなどが彼の言葉で綴られています。それと同時に、類くんの最大の理解者であったお母様と、小学校の校医で、その後彼の主治医にもなった高橋先生からみた類くんの生い立ちが語られています。

モデルをしていた小学校時代にお母様が言ってはいけないと彼に言った言葉は「今何時?」「疲れた」「まだ?」の三語、モデルは主役ではなく、チームで仕事をしているからには子どもだからといって自分勝手は許されないとの教えでした。また人には個性があり「十人十色」であること、そして人と比べないことを教えたのもお母様でした。「苦手な勉強を強制せず、自主性を尊重してくれた」、「他人の役に立つ」よりも「自分がされて嫌なことは、人に絶対にしない」、「好きなことを掘り下げて、得意なことを伸ばす」なども、ことある毎にお母様が彼に言い聞かせたことでした。

主治医の高橋先生は「発達障害」は早期発見が第一だが、類くんの場合、適切なケアでコミュニケーション能力が育っていたこと、彼がつまづくたびにお母様がその理由を理路整然と説明したことがよかったといいます。その結果、類くんは「スーパー謙虚で思いやりがある人格」を持つようになり、それというのもお母様が「我が子の幸せの価値観を柔軟にもっていたから」だと結論づけています。

この本は風貌も性格もどことなく似た類くんと又吉直樹さんの対談で終わっていますが、類くんが、この浮沈みの激しい芸能界で仕事をしている理由がなんとなくわかったような気がします。類くんはお母様と主治医の高橋先生の適切なケアを受けながら、モデルや俳優という「人に見られる職業」を選んだことによって、障害を持ちながらも輝ける場所をもつことができることを証明しました。最初は「ネガティブタレント」などとレッテルを貼られた類くんでしたが、彼のまっすぐで正直な生き方は、同じ障害を持つ人にも、その家族にもきっと勇気を与えてくれると思います。