大妻多摩中学高等学校

【校長室より】アメリカを代表する印象派の画家メアリー・カサット

アメリカを代表する印象派の画家メアリー・カサット(1844-1926) 

多摩キャンパスの百合です。百合はコタカ先生のお好きな花でもあります。①
多摩キャンパスの百合です。
百合はコタカ先生の
お好きな花でもあります。

6月25日から9月11日の間、アメリカを代表する女性画家である「メアリー・カサット展」が、みなとみらいにある横浜美術館で開かれています。フランスのドガやルノアールに代表される印象派の影響を受けたカサットは、家族や日常の生活の情景を独自の視点で描き、とくに優れた母子像を描いたことで知られています。

女性画家の地位が軽んじられていた(というより画家を職業としている女性が少なかった)19世紀半ばに、カサットはどのようにして自らの画風を確立してアメリカ美術界に認められていったのでしょうか。カサットが生きた19世紀半ばから20世紀初頭はまさに第一波フェミニズムと時期が重なります。

エリザベス・ケイティ・スタントンやスーザン・アンソニーらがニューヨーク郊外のセネカ・フォールズで世界初の女性の権利集会を開いたのは1848年のことでした。女性たちは財産権獲得、奴隷制撤廃、発言・演説・職業選択の自由、教育の機会均等などを訴え、アメリカ独立宣言書にならって女性の権利宣言を起草したのです。その後、1868年には女性たちは参政権を求める憲法修正案を提出しますが、実際に女性に参政権が認められたのは黒人より遅い1920年のことでした。

ピッツバーグの裕福な銀行家の娘に生まれたカサットは、当時のアメリカ富裕階級の子女によくあるようにヨーロッパで幼少期を過ごし、帰国後フィラデルフィアで絵画の基礎を学びます。1866年には渡仏してパリの美術学校に入学しようとしますが、女性という理由で断られ、しかたなく毎日ルーブル美術館に通っては絵画や彫刻の模写をして絵画の技法を学んだといいます。女子校は創立されてはいましたが、当時の美術学校ではまだ女子が男子と一緒に机を並べることができませんでした。

浮世絵などからも多大な影響を受けたという彼女の絵画のモデルは、おもに身近な家族とその子どもたち、それも極めて日常的な一場面を切り取ったものでした。「読書をする(または新聞を読む)母」、「幼児を沐浴させる母親」、「孫に本を読み聞かせする祖母」、「髪を洗う女」など、自分の両親や妹とその子どもたちが絵画のモデルとなりました。とくに彼女がよく描いたのは、女性ならではの情景である「刺繍や縫い物をする」姿でした。女性が一人で外出することは許されず、自由に絵の題材を選ぶことができなかった時代です。当然のことながら、彼女の行動範囲は極めて狭く、家族以外にモデルはいませんでした。モデルのありのままの心象を描き込むのを得意にした彼女でしたが、肖像画のような静止ポーズではなく、いかにも退屈そうにだらしなく椅子に座っている少女像はふさわしくないとして、パリ万博アメリカ部門の展示には採用されなかったということです。また代表作のひとつに桟敷席でオペラを鑑賞する女性を描いた「オペラ座の黒衣の女」があります。この絵は、離れた桟敷席から彼女をオペラグラスで観察する男性の姿を絵の左上隅に描き込むなど、一枚の絵画の中にストーリーが読み取れます。彼女の作品は1892年のシカゴ万博に展示されるほどにもなりましたが、女性画家としてカサットが再評価されるには1970年代の第二波フェミニズムになってからのことです。この第二波フェミニズムの隆盛を背景に、女性アーチストによる抗議運動が始まります。黒人による人種差別撤廃を主な要因として起きた公民権運動と足並みをそろえるように、女性画家の作品を過小評価してきたニューヨーク近代美術館(MoMA)への抗議に始まり、70年代には女性によって企画・運営される女性ギャラリーの設立、フェミニスト・アート・プログラムなど、彼女たちはアート界の性差別や人種差別に戦いを挑み、女性画家の作品の再評価が始まりました。

自由の国アメリカといえども、美術界だけでなく、演劇・映画界・政財界においても、女性の権利が認められて彼女たちが活躍するようになるには大変時間がかかりました。アメリカ初の女性大統領が生まれようという21世紀の今でさえ、ガラスの天井(透明で公明正大に見えて、実は天井という限界がある)があるのです。母子像だけでなく、カサットの作品に家族の日常が描かれているのは、彼女の画材としてもっともふさわしいものが身近にあったからなのです。子どもの顔の表情や手の動きに注目して鑑賞すると、モデルが画家を信頼し、画家がモデルの心の動きをよく理解して描いていることがよくわかります。