大妻多摩中学高等学校

【校長室より】コタカ先生の生家

コタカ先生の生家、広島県世羅町

大妻学院100周年記念の「学院の歩み」には、「コタカ先生の生家は、広島県世羅郡三川村久恵(みかわそん・くえ、現在の世羅町)にある。ここは平家の落人伝説が残る山間の僻地で、電気も太平洋戦争が終わってから通じたという。今も大型バスは入ることができない」と書いてあります。築700年と言われる生家は1959年の三川ダム建設に伴い、元のままの藁葺き屋根で現在の神農湖畔に移築されており、現在ではコタカ先生の資料コーナーのほか、併設されたお食事処「久恵風穴の里 ごもくめし」では定期的にコンサートなども催されているとのことです。

コタカ先生の生家①

 
「今日一日腹を立てぬこと」
「今日一日うそをいわぬこと」
「今日一日悪口をいわぬこと」
「今日一日何事も感謝すること」
生家の玄関にはこれらの「心訓」を記した色紙がかけられています。コタカ先生が80歳の時にお書きになられた書ということです。

広島県東部に位置する世羅町は岡山、広島から車で約一時間半のところにあり、町花はすずらん、町木は松、四季折々のさまざまな花が咲き、野菜や果樹などの生産でも知られています。2015年には県立世羅高校陸上競技部(長距離)が男女とも駅伝大会で優勝し、知名度をあげました。

向学心に燃えた18歳のコタカ先生が単身上京しようと思い立った1902年当時、広島県の山間に自家用車はおろか、バスすら走っていません。生家のある久恵から尾道までは32キロ、徒歩や人力車で5~7時間もかかったということです。幼い頃父を亡くし、14歳の時に最愛の母を亡くした先生にとって、女性に学問は必要ないという長兄に反対されながらの決意の上京だったといいます。裁縫学校ならとようやく許しを得ての上京でしたが、現在のように新幹線があるわけでもなく、尾道からは東京まで直通列車がありませんでしたから、山陽本線で神戸まで行って、それから東海道線に乗り継ぎ、20時間以上かかる長旅でした。東京の親戚を頼って上京したとはいえ、家を出てから一日以上かかる一人旅はさぞ心細かったことでしょう。広島の山奥から学問や文化の中心である東京への旅、コタカ先生にとってのこの旅は、私たちがニューヨークやロンドンに行くのに匹敵するほどの冒険だったに違いありません。地方から県境を越えて大都会へ、世のため人のためにまず自らを磨きたいというコタカ先生のこうした生き方にグローバル社会の原点がある、というのはこういうことなのです。