大妻多摩中学高等学校

【校長室より】映画『海難1890』―日本とトルコの友好の発端はここにあった―

月と星のデザインのトルコ国旗① 日の出を表した日本の国旗①
月と星のデザインのトルコ国旗 日の出を表した日本の国旗

 

大妻多摩中高では英語と英国文化を学ぶ「英国セミナー」とイスラム文化を学ぶ「トルコセミナー」を実施してきましたが、最近になってトルコと国境を接する国々に政情不安が生じたためトルコセミナーを一時的に中止し、来年度からは「ドバイセミナー」を実施するべく準備をしています。

かねてからトルコは親日的な国であることは知られていましたが、そこには今から100年以上前の「エルトゥールル号の遭難事件」があったのです。テレビ番組の「世界ふしぎ発見」でも取り上げられたのでご存じの方も多いと思いますが、このほど日本とトルコの合作映画が公開されたのでご紹介しようと思います。

1890年(明治23年)にオスマン帝国(現トルコ共和国)の訪日親善使節が親書を明治天皇に奉呈しますが、その帰途に台風に会い、紀伊大島沖で遭難、軍艦エルトゥールル号は座礁転覆し600名近い犠牲者を出します。日本とトルコの合作映画『海難1890』は、傷つきながらも運よく岸に泳ぎ着いた乗組員を、大島村(現串本町)樫野の住民たちが村をあげて救助にあたったという史実に基づいています。半農半漁の貧しい生活をしていた住民たちは総出で衣類や夜具、そして自分たちの食糧のほとんどを差し出してけが人の介抱をした結果、69名が回復し帰国することができたのです。

映画では、村の医師田村と彼の手伝いをするハル、そしてトルコ人大尉ムスタファを中心にストーリーが展開します。田村は貧しい村人から治療費も取らないで診察をする良心的な医師。漁で許嫁を失ったハルは、それ以来言葉を発することができませんが、いまでは田村の助手を務めています。そんなときエルトゥールル号の遭難事故が起きます。村人たちは、見たこともない大柄の外国人の介護にあたり、彼らの衣類を繕います。多くの乗組員が犠牲になったことで自暴自棄になったムスタファは、最初は助けられたことを素直に認めることができませんが、村人たちが犠牲者の所持品をきれいに洗っている姿をみて感謝の念を覚えるようになります。

時はそれから100年ほど過ぎた1985年、イラク大統領サダム・フセインが停戦合意を破棄、イラン・イラク戦争が激化します。フセイン大統領は48時間後にイラン上空を飛行する航空機はすべて無差別攻撃するという声明を出します。イランに取り残された200人以上の日本人は飛行場に駆けつけ、多くのトルコ人もまた制限時間以内の航空機によるイラン脱出を願い飛行場に押し寄せますが、このような窮状を救ったのはかつてのエルトゥールル号の遭難救助を知っていたトルコでした。

エルトゥールル号の遭難事件のことはほぼ一世紀の間日本のメディアには知られませんでしたが、ふとしたことから明るみにでたのです。2001年に串本町長が町長室の開かずの金庫からある手紙を発見、そこには治療費の支払いを申し出たオスマン帝国政府に対して、そのお金は犠牲者の補償にあてるようにとその申し出を断る旨が記されていたことから、映画化の話が持ち上がったといいます。

映画を見た帰りのJRの電子ニュースに、「日本とトルコの125年にわたる友好を記念して」というタイトルでトルコ航空のCFが流れ、続いて『海難1890』の予告映像が流れました。串本町の住民によるトルコ人乗組員の救出劇と、100年後のトルコ人による日本人救出劇。偶然の出来事とはいえ、私利私欲を超えた一般庶民のまごころと思いやりの気持ちは言葉や習慣を超えて通じ合うものだと感じた一作でした。(映画では日本人とトルコ人の共通語として英語が使われますが、“heart”は互いの会話の中で繰り返し使われる単語です。)