大妻多摩中学高等学校

Ms.Yamane Down Under〔第6回〕

Ms.Yamane Down Under

第6回「オーストラリアと日本」 

 先日、ホストシスター(4歳)と一緒にテレビアニメを見ました。幼児向けの算数の番組です。毎回、方眼紙に斬新な背景が描かれ、登場人物が歌いまくるのですが、その日の背景は水墨画のような桜並木でした。

 これは珍しいと思っていると、“We are in Japan !” という台詞が。ほう、日本か、と思ってさらに見ていると、次のような登場人物がでてきました(本気で描いたらかなり似ていて著作権的に不安だったので特徴のみを描いています)。

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謎の登場人物像

 

なんだこれはと思っていると、“It’s a ninja !” という台詞が。私が思う忍者とは少々違いました。

 

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私の思う忍者像

 「ニンジャ・タートルズといい、海外の忍者はなぜ覆面の位置が違うのだろう」「はたして忍者は菅笠をつけるのか」「あれは胴着のつもりだろうか」などの疑問が頭をかけめぐって複雑な思いになると同時に、「多少の誤解はありつつも、幼児番組で異国を身近に感じてもらうのはいいことでもあるな」という気持ちになりました。ちなみにホストシスターに、 “I come from that country,”と伝えたら怪訝そうな顔をされました。

 前置きはさておき、日本はオーストラリアにとってわりと身近な国のようです。第6回の今回は、オーストラリアと日本の関係について見ていきましょう。

 オーストラリアと日本が初めて接触したのは1831年でした。オーストラリアの捕鯨船が、荒天を避けるために北海道に寄港したのです。ただし、当時の日本は鎖国中。日豪の関係が正式に始まるのは日本の開国後です。

 19世紀末にはオーストラリアからの宣教師や英語教師が日本を訪れるようになります。(そのうちの一人、ジェームズ・マードックは夏目漱石にも英語を教え、1917年にオーストラリア帰国した後、シドニー大学で初めて日本学を教えました。)一方、日本からは多くの人がオーストラリアに移り住み、真珠採取やサトウキビ産業に従事するようになります。

 1879年には、オーストラリアから日本に初めて羊毛が輸入されました。洋装化が進んでいた日本の羊毛輸入量は年々増加します。日本もオーストラリアに米を輸出し、両国は重要な貿易相手となります。

 しかし、第二次世界大戦が始まると、日本は枢軸国側、オーストラリアは連合国側として対峙するようになります。日本軍によるオーストラリア本土の空爆、オーストラリアでは日本人が収容所に入れられるなど、両国の関係は悪化します。しかし、戦後は国交が回復し、1957年には日豪通称協定が結ばれ、日豪の貿易関係は以前にも増して活発なものとなりました。

 1976 年には一層幅広い関係を築くために日豪友好協力基本条約が調印されました。以降は教育や文化、ビジネスなど幅広い分野で日豪関係を強化する活動が展開されていきます。ワーキングホリデー制度を利用して、お互いの国で働きながら旅行をしている若者も多いです。

 現在、両国間には姉妹提携関係にある学校数が世界一多い事でも知られています。日本語は重要視されているアジアの言語の一つであり、日本語を選択できる学校も多いです。大妻多摩の姉妹校であるブリジディーン・カレッジでも日本語が選択教科として教えられており、毎年9月に日本語履修者が大妻多摩を訪れます。その際には歓迎会も行われていますので、興味のある生徒はぜひ参加してみてください。


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