大妻多摩中学高等学校

ソマ炭鉱事故に対する募金の報告

7月15日、みなさんよりいただいたソマの炭鉱事故に対しての義援金を、ソマにいる遺族に手渡してきました。

今回はトルコのNGO「Kimse yok mu」(キムセ ヨク ム:トルコ語で「誰かいませんか」の意味。災害救援等の際のかけことば)を通し、義援金を渡すことにしました。(ちなみにこのNGOは東日本大震災の時に、様々な支援やトルコの報道関係でトルコ側と日本側の窓口となって精力的に活動した団体です)

ソマではまず炭鉱事故で亡くなった方々が葬られている墓地へ案内していただきました。死者301人のうちの数十名がここに葬られていました。(お墓の写真を撮ることは不謹慎で抵抗があったのですが、ここからの写真はすべて当事者の許可を得たもの、むしろ撮ったほうがよいとトルコ人に言われて撮影したものです)

事故犠牲者の多くのお墓が並んでいます
事故犠牲者の多くのお墓が並んでいます

 
イスラム教では宗教上の理由から火葬ではなく土葬にします。大部分のお墓には亡くなった人の写真や生年月日、亡くなった日にちが書かれた札が立てられ、遺族の方が手紙や、故人が生前応援していたサッカーチームのユニフォームを供えていました。一つ一つ見ていくと、まだ22歳の若さで亡くなった方もいます。ここでは足元の土中から亡くなった人の苦しみや遺族の悲しみが直接伝わってくるようで、やりきれなく、大変悲しくなりました。

どのお墓にも家族からの手紙が。雨と泥でにじんでいます
どのお墓にも家族からの手紙が。雨と泥でにじんでいます

 
NGOの担当者に一つのお墓を示され、「彼の遺族が、今日義援金を手渡しに行く家のひとつなんだ」と教えてもらいました。

二人の子を残し36歳で亡くなったゼケリヤさん
二人の子を残し36歳で亡くなったゼケリヤさん

 
イスラム教では半年から一年くらいはこの土盛りの状態で埋葬し、その後、大理石の立派な墓石で囲まれたお墓にするそうです。
 
 
 
Kimse yok muと相談し、今回は学校で集まった募金63,672円に、私も募金を加え、合計2,000トルコリラにし、500リラずつ4家族に手渡すことにしました。(1トルコリラ=約49.50円で両替しました)

Kimse yok muの方々に、遺族の中でも特に支援を必要としている4家族を選んでいただいていました。それぞれの遺族にそれぞれの状況があるのですが、どの家庭も残された夫人は20~30歳代と若く、10歳にもならない子供たちを2~4人かかえていました。父親が亡くなったことさえ理解できていないような歳の子もいます。
最後に訪問した家では、今年の4月23日の子供の日に家族四人で撮った写真を見せてもらいました。これが家族全員で撮った最後の写真になったと。フォトスタンドに入ったその写真を撮るか?と聞かれましたが、さすがに撮る気にはなれませんでした。

当然のことですが、どの家族もまだ悲しみが癒えておらず、表情も暗く感じました。各家庭をまわっている最中から、私はずっと思っていました。何か力になりたいと思ってこうして日本からの義援金を持ってきたものの、実際は遺族の心の中に土足で踏み込んでいるのではなかろうかと。同行したトルコ人は「いまはラマザンの断食中だし、起きるのも遅いからそんな風に見えるだけだよ」とは言っていましたし、感謝の言葉を何度も述べてくれる方もいました。

一方で、ただ募金を集め、義援金口座に送るだけでは、死者数にしろ募金額にしろ単なる数字としかとらえられなかったかもしれません。その意味では、いろんなことを考えさせられはしましたが、ソマを訪問したことは意義があったと思いたい。イスタンブールから同行してくれたトルコ人夫婦(彼らもまた教員なのですが)も、「自分の目で見ることができ、ソマへ来てよかった」と言っていました。

ゼケリヤさんの家族と
ゼケリヤさんの家族と

 
トルコ政府は、故人の生前の毎月の給料を遺族に対してこれからも保証すること(炭鉱労働者の月給は高くても15万円ほどらしい)、遺児たちの大学卒業までの教育費を負担すること、遺族に家を贈呈することなどの支援策を表明しています。
「金銭や物質的な面では今後それほど苦労することはないだろうが、幼い子供を抱えた若い奥さんたちの心の寂しさはどうすることもできない」と言っていたトルコ人の言葉が胸に残りました。

ソマの炭鉱事故に対し、遠い日本の地から募金を通して気持ちを寄せていただいた生徒や保護者をはじめとする皆さんに、御礼申し上げます。
ソマへの募金の話を知ったトルコ人はみんな大変喜んでくれ、我がことのようにお礼を言ってくれました。