大妻多摩中学高等学校

平成23年5月14日(土) 学校朝礼「講話」の抜粋

5月14日の朝礼では、生徒の皆さんに大妻学院の創立者であり、生徒達にお母様と慕われていらしたコタカ先生の話を致しました。

 コタカ先生は、明治17年(1884年)に広島でお生まれになりました。その当時は、義務教育は尋常小学校の4年間だけでした。女性には、1945年10月まで参政権も認められていませんでした。今とは、女性への社会的支援が全く違う時代、そして、18歳で上京していらした時には燃える向学心以外何の財産を持たないコタカ先生が、このように大きな学院を遺されたのは、先生の志が教員・生徒へと受け継がれ、現代に生きているからです。

 コタカ先生は24歳で家塾を開き、85歳で亡くなるまで、様々な困難に遭われました。

 2歳でお父様が、14歳でお母様が亡くなりました。関東大震災では、私財を投げ出して大正12年4月に完成した日本で初めての木造5階建ての校舎が9月に全焼し、かけがえのない生徒を2名亡くしました。最愛の伴侶である良馬先生の急逝、太平洋戦争、コタカ先生が61歳の時には、東京大空襲で鉄筋校舎の大部分、木造校舎・寄宿舎・コタカ先生の住居部分等が全焼しました。終戦後は、5年間の公職追放にも遭われました。これまで一途に生徒のためにと生きていらした先生は、1坪の土地・家、1銭の貯金もなく追放され、淋しい生活を送られたのです。この時は本当にお辛かったようです。しかし、どのような苦しい場面に出合われても、不撓不屈の精神、廉恥報恩の心で更に学校を大きくされてきました。

 大正11年、コタカ先生が38歳の頃、日本で初めての女子勤労学生のための「大妻中等夜学校」を設立しました。コタカ先生ご自身が、朝の4時に起きて働きながら師範学校に通い学ばれましたので、女性の地位向上への教育に熱心に取り組まれました。コタカ先生は、冬も夏も夕方に校門のところに立って、生徒を迎え、そして授業の後、生徒が無事に帰るように見送られました。その母のような心は、コタカ先生の心の中に厳しくも愛情深く育てられたお母様の声が残っているからだと私は思います。

          (中略)

 皆さんもコタカ先生のように、不撓不屈の精神で頑張りましょう。

 ごきげんよう。

常盤主幹

主幹 常盤 直美