大妻多摩中学高等学校

【生徒会】3.11に寄せて。

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東日本大震災において被害に遭われた方に深くお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

皆さんは、東日本大震災を覚えていますか。
今から7年前の今日。2011年3月11日14時46分。東北地方を、日本を襲い、大勢の命を奪いました。

震災発生後は連日のように、震災情報や復興支援の話題が各メディアによって報じられていました。しかし今はどうでしょうか、ほとんど報じられず復興が進んでいるのかも分からない状況です。きっと在校生の中には当時小学校にも上がっていなかった生徒もいるでしょう。東日本大震災という日本にもたらした大きな災害は、少なからず人々の記憶から薄れてしまっています。
思い出してみると東京も他人事ではありませんでした。原発事故による電力不足で各地域では計画停電が行われ、ほとんど被害はなかった地域でさえ不自由な生活を強いられていました。今も原発事故による風評被害や地盤沈下など抱える問題は山積みです。

私達生徒会では、東日本大震災直後から支援、交流を続けてきた岩手県岩泉町への訪問を続けています。これまで地元の中学生の皆さんと一緒に合唱コンサートを開いたり、両校のバレーボール部の合同合宿を行ったりと交流を続けてきました。

昨年の夏は岩手県の陸前高田市、宮古市田老地区、岩泉町をはじめとする震災の被害が大きかった地域を生徒会役員と一般生徒とで訪問しました。どこの地域もがれき撤去の大半が終わり、道路の整備や今後の地震・津波対策としての防波堤建設や海辺の住宅の高台移転などが行われ、そして私たちのような訪問者への防災学習を行っています。

今年度は、初の試みで、陸前高田の市民の方のもとで民泊を行いました。そして生徒は各家庭でたくさん震災の話を聞かせていただきました。農家や漁業を仕事にしている方が多く、なんとか命は助かったけれど家や船、仕事小屋はすべて津波によって流されてしまったとおっしゃっていました。一生懸命私たちに震災の怖さを伝えて下さいましたが何年経ってもあの日を思い出すと怖くて胸が苦しくなるそうです。そして『忘れることはない』と。
ですがそんな中でも受け入れ先の皆さんは、私たちをわが子のように思い、陸前高田の特産物を食べさせてくださったり、復興した町の様子をみせていただいたり普段の東京にいては感じることのできない経験をたくさん教えて下さいました。

岩手県岩泉町では、2014年に訪問した際はまだがれきの山で生活するのも一苦労。震災当時、海の近くにあった地元の小本中学校のプールの屋根は破損したままでしたが、昨年訪問した際には撤去されていました。また次の津波に備えて大きな防潮堤を作り、二度と津波で命を落とすことのないようにという町と心の復興を少しずつではありますが訪問するたびに感じています。
東北地方も震災から少しずつ復興が進み、明るい兆しが見え始めた2016年8月30日。本校と交流を続けている岩手県岩泉町が台風により震災以上の甚大な被害を受けました。ニュースで見る光景は、自分たちの知っている道の駅や道路が泥沼で水没し、看板を見てやっとわかる程度。本当に心が痛みました。ですが昨年の夏訪問した際にはがれきや泥の後は残っているものの道は整備され、お店も通常通り営業している姿をみて、東北の皆さんの負けない力強さを感じました。

自然災害の数が多い日本。次から次へと災害が起き、どうしてもある程度の時が立つとマスメディアには報じられなくなってしまうこともあります。しかし、東日本大震災から完全に復興し、全て元の姿に戻ったわけではありません。訪問の際に「忘れないでほしい。そして東北へ遊びに来てほしい」と皆さんおっしゃいます。

実際この大妻多摩に入って、何年も訪問を続けることで、復興がほんの少しずつ毎年進んでいること、東北の皆さんの温かさは学校で机に向かっていては感じられないことを本当に多く感じました。
皆さんもこれを機に東日本大震災を思い出し、今ある生活が当たり前ではない事を考え、もし震災が東京で起きたら自分はどうしたらよいかを家族や友人と話してみて下さい。

今後も岩手県岩泉町並びに、東日本大震災において被害を受けたすべての地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。