大妻多摩中学高等学校

【校長室より】兼高かおる世界の旅

兼高かおる

今は誰もが手軽に海外に出かける時代です。10年も前なら、高校高学年で3週間ほどの語学研修旅行、大学生になると交換留学や卒業旅行でヨーロッパやアメリカに行くのが一般的だったと思いますが、今では小学生が語学研修で海外に行く時代、多摩中高でも昨年からグローバル・フィールド・ワークが始まり102名の中2・中3がオーストラリアに出かけました。テレビ番組でも、ニューヨークやパリなどの大都市から、南米やアジア、アフリカの奥地まで、地球の隅々まであらゆる場所を特集する旅番組やクイズ番組がたくさんあります。例えば皆さんがよく見たことがあるのは日テレの『世界の果てまでイッテQ!』やTBSの『世界ふしぎ発見!』などでしょうか。私もNHKBSの『世界ふれあい街歩き』、『恋する雑貨』、テレ朝の『世界の車窓から』やNHKの『岩合光昭の世界ネコ歩き』などは時間が合えば楽しみにして見ます。

今から60年前の1959年に始まり、1990年まで30年も続いた、日本初の海外旅行番組に『兼高かおる世界の旅』があります。日曜日朝10時半からの一時間番組で、ディレクターとレポーター、ナレーターと編集もすべて兼高かおるさんが一人でつとめ、30年間で世界160カ国を取材した番組でした。テーマ音楽は「80日間世界一周」、協賛が当時人気だったパンアメリカン航空でした。パンナムはアメリカを代表する航空会社で地球を模したロゴマークが有名でしたが、1995年に日本市場から撤退、1998年に経営破綻してしまいました。

「兼高かおる」といえば「世界の旅」とすぐ結びつくように、兼高さんのエキゾチックな顔立ちと、聞き手の芥川隆行アナに「わたくしは~なんですのよ」と美しい日本語で答える軽妙な掛け合いが印象に残っています。なによりも、一ドルが360円で海外旅行がそれほど頻繁でない時代に、世界各国の政治家から映画俳優に至るまであらゆるセレブと対等に笑顔でインタビューする兼高さんの話術に憧れたものでした。この番組を知っているといえば40代以上ということになるでしょうか。

その兼高さんが90歳で亡くなったというニュースが飛び込んできたのは1月5日のことでした。海外旅行も当たり前になり、海外の試合も事件もインターネットでLIVEで見ることができる最近では、テレビで兼高さんのお顔を拝見できなくなって久しいと思っていたところでした。たまたま私の本棚にあった『わたくしが旅から学んだこと』にはサブタイトルがあり、それは「80過ぎても『世界の旅』は継続中ですのよ!」でした。(小学館文庫、2013)

この本の冒頭には兼高さんの人生哲学が述べられています。

人生。
最初の3分の1は、あとで世の中の役に立つようなことを習う。
次の3分の1は、世のため、人のために尽くす。
残りの3分の1は、自分で好きなように使う。

お父様がインド人、お母様が日本人の家庭に育ち、英国系の日本の女学校で学び、卒業後アメリカに留学、紆余曲折を経てジャーナリストになって『世界の旅』の番組を引き受けることになったそうです。今でも、ディレクターとレポーター兼カメラマンの二人で弾丸取材などという企画があるようですが、今から60年前に制作スタッフは兼高さんを入れて3人、兼高さんがプロデューサー兼ディレクター兼ナレーター、そしてあとはカメラマンとアシスタントだったので、取材には臨機応変に機転を利かせ、情報は十分に下調べをしてから自分の目で確かめて正確に伝えることを心がけたといいます。また要人とのインタビューでは着物を着て日本人であることをアピールしたと書いてありますが、絶賛されたという美しい所作は持って生まれたものなのでしょう。この本は80歳を超えた兼高さんが人生を振り返って、海外での取材には日本の礼儀や作法がいかに大切か、そして今や「礼儀正しい日本人は絶滅危惧状態」だと嘆いています。「日本では学校や家庭で高級の場の歩き方、ふるまい方も教えるべきです。有名私立小学校の女子生徒にしても、登下校のときに歩道いっぱいに並んでだらだら歩いている。後ろからわたくしが歩いていても気づく気配はなく、もちろん道を譲ることもありません」 なかなか耳の痛い言葉です。兼高さんは日本人に海外旅行の楽しさ教えてくれると同時に、世界の人々に日本女性の素晴らしさを示してくれた人といえるでしょう。1980年に日本女性放送者懇談会賞などいくつもの賞を受賞、1991年には紫綬褒章を受章しています。