大妻多摩中学高等学校

【教員つれづれ草】第242段

 最近、印象に残った「折々のことば」から。

  「わかりやすさというのは、親切なように見えて、実は非常に不親切なことなのかもしれません」(『朝日新聞 2017年5月29日』)

 この「ことば」のあとに、簡単な解説が続く。
 「その人が気づく機会を奪うから」と。この部分は深く心に響いた。

 わかりやすく説明することは、説明を聞いている人の主体性を奪っているかもしれない。相手に「モヤモヤ」する感じを与え、自ら調べさせる部分も残すことが大切なのだろう。

 かつて、「つれづれ第9段」でもこんなことをつづったことがある。7年前だった。あれから、私は成長しているのだろうか? 「わかりやすく教えたい」という欲から悟れているのだろうか?

 さて、今年も夏休みの課題で、中学1年生から高校2年生は「私の折々のことば」に挑戦する。日常で触れるさりげないとばにアンテナを張って、思いをめぐらすよい機会にしてほしい。「ことばの力は大きい」と信じたい教員の思いである。

井の中の高野聖